真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

選択的夫婦別姓制度導入反対論と「国体の本義」と性別役割分業論

2021年04月27日 | 国際・政治

 平成22年、内閣総理大臣や衆議院議長、参議院議長、法務大臣に提出された選択的夫婦別姓制度の法制化に反対する宮崎県西都市議会の意見書に、 
いま、かかる「夫婦別姓制」の導入を許せば、家族の一体感を損ない、子供に与える精神的影響もはかり知れず、また、事実婚を増加させ、離婚の増加や婚姻制度の崩壊をもたらすおそれが多分にある。
 とか、
そもそも、婚姻に際し氏を変える者で職業上不都合が生じる人にとって、通称名で旧姓を使用することが一般化しており、婚姻に際し氏を変更するも、関係者知人に告知することにより何の問題も生じないことである。また、氏を変えることにより自己喪失感を覚えるというような意見もあるが、それよりも結婚に際し同じ姓となり、これから新たな家庭を築くという喜びを持つ夫婦のほうが、圧倒的多数であり、極めて一般的な普通の感覚である。すなわち、夫婦同姓制度は、普通の日本人にとって極めて自然な制度である。もし、別姓が導入され、別姓世代が数代にわたって続けば家系は確実に混乱して、日本のよき伝統である戸籍制度、家族制度は瓦解し、祖先と家族・親と子を結ぶ連帯意識や地域の一体感、ひいては日本人の倫理道徳観にまで悪影響を及ぼすものである。
 と書かれています。でも、選択的夫婦別姓制度導入に反対する人たちの本当の思いは、もっと深いところにあると、私は思います。

 上記の意見書のような理由がほとんど根拠のないものであることは、いろいろ指摘されていますし、選択的夫婦別姓制度導入の要求は、すべての夫婦に別姓を義務づけることを求めているのではないのです。
 また、かつて、日本政府が”世界中で夫婦同氏を義務付けている国は、日本以外に知らない”と答弁しているように、世界で例がないといわれています。
 さらに、女子差別撤廃条約に関わる国際機関から、日本は3回も、夫婦同氏を定めた民法第750条の規定を改定すべきとの勧告を受けているといいます。そして、そのような日本の姿勢が、国際的な活動を行っている個々の日本企業への信頼をも損なうことにもなっているといわれているのです。
 日本は国際人権規約(自由権規約)や女性差別撤廃条約を批准していますが、国際人権規約には、”すべての人民は、自決の権利を有する”とあります。別姓を選択して生きる権利があるということではないかと思います。また、夫婦別姓の選択は、日本国憲法第十三条の幸福追求権にもかかわると思います。にもかかわらず、自民党政権中枢は、地方議会に圧力をかけてまで、頑なに選択的夫婦別姓制度の導入に反対しています。何故でしょうか。

 私は、それが敗戦後の民主化政策で公職を追放されたかつての戦争指導層が、国内外の情勢の変化によって、追放を解除され、復帰したことと深く関わっていると思っています。かつての戦争指導層やその考え方を受け継いだ人の多くは、戦後の日本国憲法に基づく考え方を、「自虐史観」と称して否定します。また、戦時中の南京大虐殺や従軍慰安婦問題その他の野蛮な事実を明らかにした記録・手記・研究書や、そうしたものに基づく教育を「東京裁判史観」などといって否定し、日本はアジアを解放するために戦ったかのような主張をしたりします。自らの戦争指導を正当化したいのだろうと思います。かつて戦争を指導した人たちは、戦後の日本を受け入れることが、自らの戦争指導が過ちであったことを認めることになるからだと思うのです。自らが戦争犯罪者であることを認めるようなことはできないということで、戦前・戦中の考え方を維持しようとするのだと思います。現在は、かつて戦争を指導し人の子や孫がそれを受け継いであるのだろうと思いますが…。

 だから、夫婦同姓(同氏)を法的に義務づけた世界に例ない民法を改めようとしない姿勢は、「伝統的家族観」という戦前の考え方を維持しようとしているからだろうと思います。
 下記のような資料は、日本の戦争を支えた「国体」観念が、明治時代に始まった日本の家族制度抜きには考えられないことを示していると思います。

 先ず資料1ですが、これは1937年に文部省が国民教育用に編纂した『国体の本義』です。家を支柱とする「国体」の観念が、しっかり示されています。かつての戦争指導層や安倍前総理が取り戻したいのは、この「国体」ではないかと、私は思います。

 資料2は、「家族主義の教育」新見吉治(クレス出版)から個人主義家族主義の違いなどを論じた「家長権を論ず」や”女子は須らく家庭の人たるべきである”ということを論じた「女権」から、その一部を抜萃しました。ナチスの政策から学び、その考え方を共有しようとしたもので、戦前・戦中の日本の指導層の考え方が分かるのではないかと思います。

それは、政治的指導層にとって都合のよい前近代的な性別役割分業論です。

 資料3は、イギリスのサッチャー元首相の政策における「性別役割分業」の考え方を取り上げ、日本も同じような考え方で進むべきだとする文章を「国民の思想」八木秀次(産経新聞社)から、抜萃しました。その考え方は、資料2の、新見吉治教授と基本的には、同じだと思います。問題は、敗戦後もなお、八木教授が、”基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認”するとした国際連合憲章や、個人の尊重および法の下の平等を定めた日本国憲法に反するような生物学的性別役割分業論に固執し、女性の社会進出を抑える「伝統的な家庭」の強化を主張していることだと思います。こうした考え方の人物が、日本会議や日本教育再生機構を通じて、政権中枢と関わっていることを考えれば、世界経済フォーラム(World Economic Forum)が発表した世界各国と日本の男女格差(ジェンダーギャップ)指数ランキングで、日本が120位であることも不思議ではないと思います。

資料1ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  第一 大日本国体
一、肇国 
 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いている。而してそれは、国家の発展と共に彌々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国の事実の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。
 我が肇国は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵ノ尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の国に降臨せしめ給うたときに存する。而して古事記・日本書紀等は、皇祖肇国の御事を語るに当つて、先づ天地開闢・修理固成のことを伝へてゐる…
 そして家の生活における祖孫一体の徳義については次の如くである。
 我国の家の生活は、現在の親子一家の生活に尽きるのではなく、遠き祖先に始まり、永遠に子孫によって継続せられる。現時の家の生活は、過去と未来をつなぐものであって、祖先の志を継承発展させると同時に、これを子孫に伝へる。古来我国に於て、家名が尊重せられた理由もこゝにある。家名は祖先以来築かれた家の名誉であって、それを汚すことは、単なる個人の汚辱であるばかりでなく、一連の過去現在未来の家門の恥辱と考へられる。
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                一 家族制度論
二 家長権を論ず
 ・・・ 
 夫婦の関係が個人主義に近づいてきたことの著しき例は特有財産の規定である。イギリス、アメリカ合衆国の如きは夫婦財産を異にし、妻は自分名義の財産を管理し、自分の所得を勝手に処分することが出来るといふことである。斯うなれば全くの個人制度であるが、ドイツに於ては特別の約束が無ければ夫は妻の特有財産を管理して利益を収むる権を有するよしである。フランスに於ては妻は全く夫の後見の下に立ち、夫を待たなければ法律行為をなすことを得ず、妻の特有財産は不動産に限られ、妻の所得は夫の有に帰するといふことである。されば西洋といっても一概に個人主義が出来て居ると思ふのは間違ひである。
 我国にに於ても妻の特有財産が認められて居る。けれども是は決して近世西洋思想輸入の結果ではない。大宝令の規定に於て既に妻の特有財産が認めれれて居たのであった。そしてその管理権は今日も尚ほ夫の手にある。
 それで吾輩が戸主権廃止を主張するは、法律上の戸主の家長権廃止の意味であって、子に対する親権、妻に対する夫権を没却するの意味ではない。吾輩は狭義の戸主即ち家庭の長の存在を認むるものである。
 我国の民法では、女が戸主となりて夫を家族とするを得るやうになってゐる。此れは我国に於ては家系の存続といふことを尊重して、一人娘に養子した場合、其養子に家督を相続せしめて、全財産を勝手に処分せしむることを防ぐ意志から起る変態である。吾輩は之を以て善良なる風俗と認めない。女は夫に従はねばならぬといふが、古来の道徳教訓である。有夫女戸主といふものは排斥せねばならぬと思ふ。
 有夫の女戸主は廃すべしと思ふが、未亡人若しくは未婚の独立したる女が、一戸を構へ独立の生計を営むことは差支えない。西洋に於て男女同権の唱へられ女子の参政権要求あるは、要するに、独立の女子が納税の義務を負ふに拘らず、参政権なきを不公平と考ふるに基いて居る。併し男女の独身生活といふは社会の変態である。女子が配偶者を得て、家庭を組織すれば、夫は出でて金儲けをなし、妻は内に在りて家政を料理するが、是が男女両性の相違に原く自然の分業で、女子が結婚せず、独立して男子と一様に生存競争をやるといふは間違った話である。ドイツの経済学者ビュッヘル氏は男女の自由競争を放任して置くと、労銀の安い女子が次第に男子の職業を奪って遂には夫が内に居て勝手働きや子供の世話をなし、妻が外で働いて夫や子を養はねばならぬやうになると警告して居る。良妻賢母主義は天下の公道ではあるまいか。夫婦共稼ぎの場合、若くは夫が不幸にして廃疾となり、妻の細腕にて生計を立つる場合に、妻が同権若しくは同等以上の権利を主張せんとすることも起らうが、此は善良なる風俗に背いて居るといふ観念を永く滅却せぬやうにしたい。個人主義と家族主義との分るゝ処は、妻の地位にあるのである。

ーーー

             十一 ドイツの国民運動と婦人問題
                一 ドイツ国民運動
二 女権問題
 女権の問題といふは米国の独立、及びフランス革命に於ける人種宣言に萌芽を有する女子の参政権要求、女子の解放問題である。男女の平等権は世界大戦後に至り、始めて英、米、独を初め新興の諸国に実現されることとなった。我が国の如きも、尚早論のために未だ女権が抑えられて居るが、女権を否定する反対論は殆んどないやうな有様である。この女権論なるものは自由平等の思想に根拠をもちて性的区別を認めぬものであるが、ヒットラーの国民運動は性的区別に立脚して、断然男女の同権を認めない。男女は各々その性に従って国家に対する特殊の義務を負はねばならぬ。男子と女子とはその国家に盡すべき任務に於て自ら異なるところがある。女子の任務は家を齊へ子女を教養するにある。女子は須らく家庭の人たるべきである。男女が力を協はせてドイツを列国の奴隷たる境遇から救ひ出さねばならぬ。労働者が資本家に対する階級意識から出発して、資本家に対する闘争団体として労働組合を組織し、外国の労働者と手を執って自国の資本家に反抗するが如きは、非国家的所行だあると同様に、ドイツの女権運動者が外国の女権運動者と手を執り口を合はせて、自国の男子に対して反抗したり、解放を叫ぶは非国家的である。かうした女権論は古くさい。新女権論は女子の個人としての自由の解放を後にして、先づ国民全体の自由解放を絶叫するところの団体主義でなければならぬ。女権もなければ男権もない。男女相扶けて自己の利益よりも協同の利益を先きにといふ党の原則に向って精進するのみだ。古い女権論者から、ナチスは女子を国家のために子を産む道具と考へて居るといはれても、ナチスはそれを当然のことと考へ、ドイツ国民の存続のため、その勃興のためには産児制限などは以ての外だといきまいて居る。従ってその政策は結婚多産を奨励するにある。主婦としての女子の任務は国家更生に大なる力を有つ。家族の衣服の手入れを怠らず、靴下の綻びの大きくならぬ中に修理するなどで節約し得た金は、たとひ小額であってもこれを全ドイツ国全家庭に亘って一年間積って見ると、その総額は驚くべき巨額に上るものである。女子は消費者として節約によって利得を計るべき経済上の任務を有する。夫の幇助者としての妻の人格を認めることは婦人問題として大切であるが、経済上の独立といふことを女子の解放と心得るは間違ひであるとする。
資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
            第一章 教育正常化なくして日本の再生はない
 伝統的な家族の強化と国民道徳の再生
 ・・・
 「伝統的な家族」を強化する必要から、サッチャー女史はまた性別役割分業を説き、専業主婦の役割を重視した。生物学的に決定された女性の役割は家事・育児であり、女性は家庭の中で主婦として母親としての役割が求められ、家庭内にとどまることが美徳である、とした。間違っても今日のわが国のように、配偶者特別控除の廃止などを打ち出すことはなかった。もちろん彼女自身を含めて働く女性、とくにキャリアを持つ女性が存在することも認めていた。しかし他の女性の大半は外で働くことを押し付けられてはならず、働く女性も出産・育児・家事という女性の役割をおろそかにしてはならない、と説いた。
 彼女自身、主婦であることに誇りを持ち、自分は国家という「家計」を担っているのだと主張した。一家の主婦は収入と支出を均衡させるものだし、倹約精神を持っている。サッチャー女史は自身の経済政策・社会政策の正当性の根拠を、このような健全な主婦像に求めた。
 主婦が家庭にとどまることによって、育児は保育所の役割ではなく、家庭の役割と認識される。それにより、実の親による濃密で健康な育児が可能となり、公共支出の削減にもつながる。主婦が余剰の時間を地域における文化活動や老人介護施設などでのボランティア活動に充ててくれれば、福祉などの公共支出も減少する。つまり家庭の主婦を介して国家から家庭、地域社会へと役割が移動する。国家が本当に担うべき役割と家庭や地域社会が担うべき役割を区別して、家庭や地域社会が担うに値する役割は元に戻す。こうすることで小さな政府も実現できる、と考えたのである。しかし目的はあくまで「伝統的な家庭」の強化であった。
 
 サッチャー女史は国民道徳を再生させるに当たって「ビクトリア朝の価値観」、彼女の言葉でいえば「ビクトリア朝の美徳」を称賛した。それは福祉依存症に陥っていた国民に、ビクトリア朝時代にはごく当たり前だった健全な自助、勤勉、努力、勤労などの精神に目覚めさせ、自立を促すためである。
 世の中には援助に値する貧困と値しない貧困とがあり、両者の区別が必要であるとして、両者に同じように援助してきた福祉政策の間違いを訴えた。「援助の目的はただ単に人々に半端な人生を送ることを許すことにあるのではなく、自らの規律を回復させ自尊心をも取り戻させることにある」(同右)と、言葉の正しい意味で国民に”人間としての尊厳”を回復させようとした。また学校と家庭を国民道徳の”再生装置”と位置付け、その正常化と強化の政策を打ち出したのだった。
 サッチャー女史はこのように教育、家庭、道徳を通じて国民の精神的な覚醒を、経済政策と並行して、いや、経済政策に先立って行った。それによってイギリスは、国民をダメにする「福祉国家」から国民の質を向上させる「品質保証国家」へと転換し、国民は活力を取り戻して、経済も再生していった。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 選択的夫婦別姓問題と伝統的... | トップ | 自由民主党憲法改正草案「前... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国際・政治」カテゴリの最新記事