「手さぐり 松代大本営 計画から差別の根源まで」原山茂夫(銀河書房)の第2章の「天皇は特別装甲車に乗って」というところに、司馬遼太郎の一文が引用されている。司馬遼太郎が「敵が本土に上陸してきた時に、避難する一般民衆の雑踏する中で、軍隊をどう移動するのか」ということについて質問したら”大本営からきた人”は「轢き殺してゆけ、といった」という部分である。ほかの著書でも引用されていたように思うので、少し長くなるが、「沖縄・先島への道 街道をゆく六」司馬遼太郎(朝日新聞社)から、その前後を含めて抜粋する。
----------------------------------
ホテルの食堂
沖縄戦では、あれだけ惨憺たる状況だったにもかかわらず、県民は、いまからふりかえれば腹立たしいほどにけなげだった。それでも軍隊がときに住民を敵視し、加害者になったりした。
「もともと沖縄人に対し、本土人に差別があったからでしょうか」
と、かつてこの那覇にきたとき、町を案内してくれた沖縄タイムスの大湾さんが、べつに恨みをのべるふうでもなく、町内のうわさ話をしているような調子で、いった。大湾さんは、当時はたくましそうな体を黒いスーツに包んだ30代の好青年だったが、いまはおそらく、いい初老の紳士になっているであろう。
・・・
私は、大湾さんの質問に答えねばならないが、それに対して答えられるほどの経験をもっていない。むろん答えにならないが、自分の中に、多分に仮定に近い経験だけはある。
私は、以下のことは、以前どこかに書いた。大阪駅から東海道線に乗って名古屋を通過すると、大阪へ行くときには車窓から見えた名古屋城の天守閣が、栃木県へ帰るときには見えなかった。名古屋は一望の焼野原だった。そういう時期のことである。
連隊に帰ってほどなく本土決戦についての寄り合い(軍隊用語ではないが)のようなものがあって、大本営からきた人が、いろいろ説明したような記憶がある。
そのころ、私には素人くさい疑問があった。私どもの連隊は、すでにのべたように東京の背後地の栃木県にいる。敵が関東地方の沿岸に上陸したときに出動することになっているのだが、そのときの交通整理はどうなるのだろうか、ということである。
敵の上陸に伴い、東京はじめ沿岸地方のひとびとが、おそらく家財道具を大八車に積んで関東の山地に逃げるために北上してくるであろう。当時の関東地方の道路というと東京都内をのぞけばほとんど非舗装で、二車線がせいいっぱいの路幅だった。その道路は、大八車で埋まるだろう。そこへ北方から私どもの連隊が目的地に急行すべく驀進してくれば、どうなるか、ということだった。
そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて、押し殺したような小さな声で──かれは温厚な表情の人で、けっしてサディストではなかったように思う──轢き殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。
しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは、本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど希有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。
軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか。
さらに軍隊行動(作戦行動)の相手は単一である。敵の軍隊でしかない。従ってその組織と行動の目的も単一で、敵軍隊に勝とうという以外にない。それ以外に軍隊の機能性もなく、さらにはそれ以外の思考法もあるべきはずがない。
そのとき私が無知にも思ったように、軍隊が関東地方の住民を守るためにあるなら、やがて加えられるであろう圧倒的な敵の打撃に対し、非力な戦術的抵抗などせず、兵隊の一人一人が、住民の上にかぶさってせめてもの弾よけになるしかない。私は戦車隊にいたから、大八車で北上してくる人々のうち何人でも乗せられるだけ乗せて、北関東の山地へゴロゴロと逃げてゆけばよいのである。唯一の例外かも知れない毛沢東のゲリラ軍の思想と行動法というのにはあるいはそういう面があったかと思える。
私どもは、学校から兵隊にとられた素人兵であったが、何のために死ぬのかということでは、たいていの学生が悩んだ。ほとんどの学生は、父母の住む山河──そこには当然人が住んでいる──を守るためだということを自分に言いきかせた。私の世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは、沖縄戦での特攻で死んだが、たいていの場合は、自分で抽象化した母国の住民群というイメージに自分の肉体を覆いかぶせて自分が弾よけになるというつもりであったはずである。
軍隊というものの論理は、そういうものから超然としている。
阿南惟幾(終戦時の陸軍大臣)という人は、そういう組織論理の中に属していなければ、人柄から察して別な思想と人格のもちぬしだったかと思えるが、それでも終戦のとき降伏案に対し、かたくなに反対した。
その理由は、日本陸軍はまだ本格的に戦っていない、というものなのである。あれほど島々で千単位、万単位の玉砕が相次ぎ、沖縄は県民ぐるみ全滅したという情報もあり、広島と長崎は原爆によって潰滅し、わずかな生残者も幽鬼のようになっているという事態のなかで、軍隊の論理でいえば「日本陸軍はまだ本格的に戦っていない」ということになるのである。
島々の守備隊は、戦闘というよりただ潰されるがままに潰された。「本格的に戦っていない」というのはその意味なのである。であるから本土において、本土決戦用の兵力をひきい、心ゆくまで本格的に決戦すべきである、というのが阿南惟幾の思想と論理で、これが、軍隊の本質そのものといっていい。住民の生命財産のために戦うなどというのは、どうやら素人の思想であるらしい。
(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」は、文の省略を示します。
----------------------------------
ホテルの食堂
沖縄戦では、あれだけ惨憺たる状況だったにもかかわらず、県民は、いまからふりかえれば腹立たしいほどにけなげだった。それでも軍隊がときに住民を敵視し、加害者になったりした。
「もともと沖縄人に対し、本土人に差別があったからでしょうか」
と、かつてこの那覇にきたとき、町を案内してくれた沖縄タイムスの大湾さんが、べつに恨みをのべるふうでもなく、町内のうわさ話をしているような調子で、いった。大湾さんは、当時はたくましそうな体を黒いスーツに包んだ30代の好青年だったが、いまはおそらく、いい初老の紳士になっているであろう。
・・・
私は、大湾さんの質問に答えねばならないが、それに対して答えられるほどの経験をもっていない。むろん答えにならないが、自分の中に、多分に仮定に近い経験だけはある。
私は、以下のことは、以前どこかに書いた。大阪駅から東海道線に乗って名古屋を通過すると、大阪へ行くときには車窓から見えた名古屋城の天守閣が、栃木県へ帰るときには見えなかった。名古屋は一望の焼野原だった。そういう時期のことである。
連隊に帰ってほどなく本土決戦についての寄り合い(軍隊用語ではないが)のようなものがあって、大本営からきた人が、いろいろ説明したような記憶がある。
そのころ、私には素人くさい疑問があった。私どもの連隊は、すでにのべたように東京の背後地の栃木県にいる。敵が関東地方の沿岸に上陸したときに出動することになっているのだが、そのときの交通整理はどうなるのだろうか、ということである。
敵の上陸に伴い、東京はじめ沿岸地方のひとびとが、おそらく家財道具を大八車に積んで関東の山地に逃げるために北上してくるであろう。当時の関東地方の道路というと東京都内をのぞけばほとんど非舗装で、二車線がせいいっぱいの路幅だった。その道路は、大八車で埋まるだろう。そこへ北方から私どもの連隊が目的地に急行すべく驀進してくれば、どうなるか、ということだった。
そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて、押し殺したような小さな声で──かれは温厚な表情の人で、けっしてサディストではなかったように思う──轢き殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。
しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは、本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど希有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。
軍隊が守ろうとするのは抽象的な国家もしくはキリスト教のためといったより崇高なものであって、具体的な国民ではない。たとえ国民のためという名目を使用してもそれは抽象化された国民で、崇高目的が抽象的でなければ軍隊は成立しないのではないか。
さらに軍隊行動(作戦行動)の相手は単一である。敵の軍隊でしかない。従ってその組織と行動の目的も単一で、敵軍隊に勝とうという以外にない。それ以外に軍隊の機能性もなく、さらにはそれ以外の思考法もあるべきはずがない。
そのとき私が無知にも思ったように、軍隊が関東地方の住民を守るためにあるなら、やがて加えられるであろう圧倒的な敵の打撃に対し、非力な戦術的抵抗などせず、兵隊の一人一人が、住民の上にかぶさってせめてもの弾よけになるしかない。私は戦車隊にいたから、大八車で北上してくる人々のうち何人でも乗せられるだけ乗せて、北関東の山地へゴロゴロと逃げてゆけばよいのである。唯一の例外かも知れない毛沢東のゲリラ軍の思想と行動法というのにはあるいはそういう面があったかと思える。
私どもは、学校から兵隊にとられた素人兵であったが、何のために死ぬのかということでは、たいていの学生が悩んだ。ほとんどの学生は、父母の住む山河──そこには当然人が住んでいる──を守るためだということを自分に言いきかせた。私の世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは、沖縄戦での特攻で死んだが、たいていの場合は、自分で抽象化した母国の住民群というイメージに自分の肉体を覆いかぶせて自分が弾よけになるというつもりであったはずである。
軍隊というものの論理は、そういうものから超然としている。
阿南惟幾(終戦時の陸軍大臣)という人は、そういう組織論理の中に属していなければ、人柄から察して別な思想と人格のもちぬしだったかと思えるが、それでも終戦のとき降伏案に対し、かたくなに反対した。
その理由は、日本陸軍はまだ本格的に戦っていない、というものなのである。あれほど島々で千単位、万単位の玉砕が相次ぎ、沖縄は県民ぐるみ全滅したという情報もあり、広島と長崎は原爆によって潰滅し、わずかな生残者も幽鬼のようになっているという事態のなかで、軍隊の論理でいえば「日本陸軍はまだ本格的に戦っていない」ということになるのである。
島々の守備隊は、戦闘というよりただ潰されるがままに潰された。「本格的に戦っていない」というのはその意味なのである。であるから本土において、本土決戦用の兵力をひきい、心ゆくまで本格的に決戦すべきである、というのが阿南惟幾の思想と論理で、これが、軍隊の本質そのものといっていい。住民の生命財産のために戦うなどというのは、どうやら素人の思想であるらしい。
(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
青字および赤字が書名や抜粋部分です。「・・・」は、文の省略を示します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます