真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「日韓請求権協定」の問題

2019年10月02日 | 国際・政治

 昨年、韓国の大法院(最高裁判所)が、新日鐵住金を被告としたいわゆる「徴用工」による損害賠償請求訴訟で下した判決に対して、安倍首相は「国際法に照らしあり得ない判断」だと指摘しました。そして、日韓関係は悪化の一途をたどり、改善の見通しが立ちません。安倍首相は過去の日本政府の考え方を変えたんでしょうか。それとも、二枚舌なんでしょうか。

 安倍首相が依拠とするのは、1965年に日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約と同時に締結された付随協約のひとつ「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」の第二条、
両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
という文言でしょうが、これは、 私人の財産・権利とりわけ国家に対して有する権利もしくは請求権を、個人に代わって国家が放棄したものでなく、国家が放棄したのは国家による「外交保護権」であるといわれているものです。すなわち、「徴用工」の問題に関して、韓国政府が日本政府に請求権を行使することはできませんが、韓国の元「徴用工」個人が請求権を行使することは禁じていないということです。したがって、韓国の大法院判決は、「国際法に照らしあり得ない判断」では決してなく、かつて日本政府も「条約では個人の請求権は消滅しない」と力説し、原爆被爆者やシベリア抑留被害者の賠償や補償請求を退けたということです。


 そのことのはじまりは1951年のサンフランシスコ平和条約で、この条約には「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し…」という文章があるので、これを理由に、広島の原爆被爆者が日本国に対して補償請求訴訟を起こしたところ、被告である日本国は次のような主張をしたといいます。
 ”国家が個人の国際法上の賠償請求権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利が外国との合意によって放棄できることは疑ないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。従って、対日平和条約第19条(a)にいう「日本国民の権利」は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交保護権のみを指すものと解すべきである。…国民自身の請求権はこれによって消滅しない。従って、仮に原告等に請求権があるものとすれば、対日平和条約により放棄されたものではないから、何ら原告等が権利を侵害されたことにはならない。”(東京地裁1963年12月7日判決による被告主張要旨)

 また、「日ソ共同宣言」で、日ソ双方が「戦争の結果生じた、すべての請求権を相互に放棄する」(第6項)と定めたので、シベリア抑留被害者が日本政府に補償を要求した(シベリア抑留訴訟)ときも、日本政府は、サンフランシスコ平和条約や日ソ共同宣言によって放棄したのは国家の外交保護権のみであり、被害者個人のアメリカやソ連に対する損害賠償請求権は消滅していないから、日本国は被害者に対して補償する義務はないと主張したといいます。
 シベリア抑留者が、日ソ共同宣言によってソ連に対する賠償請求権を日本政府が放棄したから、その賠償を日本政府に求めた訴訟に関して、日本政府は、個人の請求権は放棄されていないとして、被害者の補償を拒んだのです。
 韓国大法院判決は国際法違反という、日本の大合唱は、いったい何なのかと思います。


 また、韓国大法院判決が「国際法に照らしあり得ない判断」をしたということであれば、韓国大法院を批判すべきで、文政権を批判するのはまったく筋違いであり、それは、三権分立を否定することにほかならないと思います。安倍首相の独裁性が疑われますし、報復的に対韓輸出規制に走るのでは、積極的平和主義の内実が問われます。日本政府はとても好戦的だと思います。

 さらに見逃すことができないのは、連行朝鮮人労働者(徴用工)に対する朝鮮人聯盟の補償要求を「不当要求」として拒否した日韓請求権協定締結以前の諸問題です。特に1946年6月21日付厚生省の「朝鮮人・台湾人及中国人労働者の給与に関する件」という「次官通牒」は、日韓請求権協定が如何なる考えで締結されたのかを窺わせます。
 厚生省次官通牒の内容は、下記のように、日本人と植民地労働者との差別的取扱を禁じたGHQの「覚書」を、補償要求拒否の根拠として逆利用し、ポツダム宣言を持ち出すことによって戦時中の差別的賃金格差その他のすべてを帳消しにした上、未払い金の委託要求は、朝鮮人聯盟が労働組合法で規定された労働組合ではないとしてこれを拒むというものだったのです。そして、その姿勢を変えることなく、日本が日韓請求権協定へ進んでいったということは、参議院日韓条約特別委員会において椎名外務大臣が 「…これを裏づけるよすがもない。…」とか「事実関係を実証するような材料というものはもうみなくなっておる」として、 連行朝鮮人労働者(徴用工)に対する賠償や補償を「経済協力」に置き換える方針を決定したことにあらわれているということです。でも、当時供託金や供託報告書は地方法務局に保管されていたということが指摘されており、日韓請求権協定そのものにも、連行朝鮮人労働者(徴用工)に対する賠償や補償を回避しようとする日本側の意図があったということだと思います。
 
 下記は、「在日韓国・朝鮮人の戦後補償」戦後補償問題研究会(明石書店)から、抜粋しましが、嫌韓・反韓の主張があふれている今、下記の文章が明らかにしている事実は重大だと思います。
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                        Ⅴ 朝鮮人強制連行の戦後処理

      三 政府と資本家団体の対応

 厚生省は、1946年1月10日付の省令第二号で、日本政府の「職業政策」(=雇用政策)を明示した。その中で同省は、「工場・事業場其ノ他ノ場所ノ事業主ハ其ノ使用スル労務者ノ賃金、給料、就業時間其ノ他労働条件ニ関シ国籍、宗教又ハ社会的地位ノ故ヲ以テ当該労働者ニ対シ有利又ハ不利ナル差別的取扱ヲ為スコトヲ得ズ」(「労務者ノ就業及従業ニ関スル件」)として日本人労働者と植民地労働者の差別的取扱を禁じ、さらに同月17日付次官通牒では「差別的取扱ノ禁止トハ技能能力其ノ他ノ条件ニテ同等ナル日本人ト同等ノ権利、特権、恩典、機会ヲ与フルコトヲ意味シ不利ナル取扱ハ勿論特ニ有利ナル取扱モナスコトヲ得ザルモノナルコト」(「厚生省省令第二号事務取扱ニ関スル件依命通牒」)と差別的取扱の意味を明らかにした。
 GHQの「日本政府ニ対スル覚書」を規定化したこの省令を日本政府は朝鮮人聯盟の「不当要求」=補償要求を禁止するための法的根拠にしようとした。しかしそれは、補償要求を押さえ込む上で何の役にも立たなかった。1946年一・ニ月の大手建設会社の朝鮮人聯盟への大幅譲歩は、この点を白日の下にさらした。1946年2月、内務省警保局は公安課長名で通牒を出し、朝鮮人の「暴行脅迫等」に対しては「機ヲ失セス警察力ヲ集中配備シ、不法行為ノ排除ニ断固タル検挙取締ヲナシ彼等ノ乗スヘキ間隙ヲ与ヘサル等之カ取締ノ強化ニ遺憾ナキヲ期セラレ度」(「朝鮮人団体ノ不当要求ニ随伴スル不法行為取締方ニ関スル件」)と、警視庁警務部長および府県警察部長に指令した。またこれと連携して、日本鉄鋼協議会も「此種事件ノ発生ノ節ハ速に関係警察部ト連絡善処相成度候」と事務局長(藤井丙午)を通じて同協議会加盟の各社に指示し、併せて、3月13日連合軍司令官マーナム大佐が朝鮮人聯盟幹部を招き、内務省保安局長および公安課長立合い下に、「朝鮮人聯盟ヨリノ不当要求ハ今后絶対為スヘカラスト申渡スト共ニ、朝鮮人台湾人ハ連合国人トシテ取扱ヲ為サス、日本人ト同一ノ取扱ヲ為ス旨申渡」(「朝鮮人聯盟ノ不当要求ニ係ル内務省ノ取締方針ニ関スル件」『二一鉄協総』第三三号)したことを付言している。GHQを取り込み、国籍による差別的取扱を禁じたGHQの対日職業政策を連行朝鮮人労働者の補償要求の封殺策として利用し、これに対する抵抗は警察力の集中配備・取締の強化によって押さえ込むという政府と資本家団体の政策が、こうして形づくられた。しかしそれは、補償要求封殺の決め手とはならなかった。「不当要求」と言う場合の「不当」とは何を指すのかがまったく不明確であったからである。厚生省、日鉄本社の反対にもかかわらず、6月5日補償要求を大幅に認める岩手県内務部長の調停案が成立したのは、朝鮮人聯盟岩手県本部による突き上げの激しさや彼らに対する盛岡進駐軍司令部の好意的な態度ばかりでなく、この点とも深く関わっていた。
 政府と資本家団体は新たな対応が迫られた。1946年6月21日付で、厚生省は、「朝鮮人・台湾人及中国人労働者の給与に関する件」なる次官通牒を発して省令の意図を明確化し、これに基づいて朝鮮人聯盟の補償要求に対処するよう地方長官(県知事)に指令した。
 通牒の主な内容は
(一)省令は1946年1月10日より施行されているがGHQの「覚書」の趣旨を考慮し、特に賃金に関しては前記省令の趣旨を前年の11月28日まで、退職手当については同年9月2日までさかのぼって実施させること、
(二)1945年11月27日および同年9月1日以前にさかのぼって、前記省令の趣旨を事業主に実施させようとする要求は法令上根拠がないばかりでなく不当である。
(三)労働組合法第二条の規定に該当する労働組合でない朝鮮人聯盟その他の団体は、朝鮮人、台湾人および中国人のための賃金に関して事業主と交渉する権限をもたず、金を集める権限ももたないこと、この三点であった。この次官通牒は、日本人と植民地労働者との差別的取扱を禁じたGHQの「覚書」を補償要求拒否の根拠として利用したばかりではない。ポツダム宣言を持ち出すことによって戦時中の賃金格差その他のすべてを帳消しにし、それでカヴァーできない未払い金の委託要求は、朝鮮人聯盟の法的性格を問題にすることによってこれを拒否するという、まったく理不尽そのものであったが、それは補償要求・未払金委託要求を拒否する上で決定的な重みをもった。

 盛岡進駐軍司令部の支援もあって調停案を成立までこぎつけた岩手県内務部長は、この次官通牒
によって集中砲火を浴びることになった。通牒がだされたのは7月3日であったが、これに先立ち6月25日には厚生省において通牒に関する懇談会が開かれ、山田給与課長から趣旨説明がなされた。
 この懇談会に労務課長を送った釜石製鉄所は、厚生省給与課長に依頼して「貴管下朝鮮人労務者ノ慰籍料ノ件ニ付調停方取運中ノ由ナルガ右ニ関シテハ近ク厚生省次官ヨリ通牒アル筈ニ付一時見合セラレ度」(「朝鮮人労務者問題ニ関スル件」『釜労』486号)と県当局に圧力をかけさせた。が、さらに同月28日帰釜の途中同労務課長は県当局を訪ね、今回の通牒の内容を説明、製鉄所としては通牒の趣旨に従い調停案は受諾しがたい旨を申し入れ、併せて通牒到着前に予想される聯盟の活動に対する取締り上の措置についても、県保安課長に依頼した。釜石製鉄所のこうした動きに連動して、県内の大鉱山三菱鉱山と松尾鉱山もこの問題で出県、協議の結果通牒の趣旨に従って調停案を拒否することに決定した。こうした状況の中で県当局も、「既往ノ行キ懸リニ拘泥スルコトナク県調停案ノ見合セヲ諒承」し、「正式通牒到着ヲ俟テ県ヨリ聯盟ニ対シ県調停案ノ白紙還元ト通牒内容ヲ徹底セシムルコト」(同上)を釜石製鉄所に確約した。

 9月26日、県内務部長は調停案について改めて協議したいとして関係者を県庁に招集した。この協議会には進駐軍側から軍政部長、憲兵隊長、通訳の三名、朝鮮人聯盟から岩手県本部委員長以下五名、業者側から三菱鉱業、日本鉱業、松尾銅山、釜石製鉄所、釜石鉱山等八社、県庁側から内務部長、公安、厚生両課長および係官五名が出席した。軍政部長、憲兵隊長立合いの下での協議会では、内務部長=業者対聯盟の間で数時間にわたって激論がたたかわされた。聯盟の攻撃は県当局と4月5日の懇談会で県当局に無条件一任をした釜石製鉄所以外の業者に向けられた。しかし、聯盟側の「絶対反対」にもかかわらず、結局、厚生省通牒の趣旨に沿って、当局は調停案を白紙撤回した。軍政部もこれを確認した。6月25日の厚生省給与課における懇談会の席上、山田給与課長は「マ司令部デハ朝鮮人問題ニ付テハ詳細ニ研究シアリ、之ガ取締ニ付テハ相当峻烈ナル意向アリ、米第八軍管下ニハソノ趣旨徹底ヲ計ルコトトナッタ」(『朝鮮人労務者関係』)とマ司令部の朝鮮人政策を説明しているが、このことが軍政部の方針転換を促したのであろう。なお、県調停案の白紙撤回と同時に県内務部長は「全然別の観点」から業者の寄付問題を提案した。業者間で協議の結果、聯盟事務費として終戦帰国送還人一名当たり十円を一応の算定基準とすること、千円未満の場合は千円とし最高は五千円を超えないことで合意をみ、県当局もこれを了承した。釜石製鉄所は県内業者のこうした合意をもとに
(一)軍政部に対する県当局の立場も考慮せざるを得ないこと
(ニ)対聯盟問題は昨年以来の懸案でありこの機会に解決したいこと
(三)聯盟側が個々の朝鮮人労働者から委任状を集めて個別的に事業主に対して交渉するという嫌がらせ戦術を採用し始めていることなどから、県を通じてこのさい五千円を聯盟に寄付し、政治的に本件を処理するのが得策であると本社に書き送り、その同意を求めた。しかし、日鉄本社はこれを拒否した。在京関係企業(日鉄、三菱、日鉱、松尾鉱業、田中鉱業)は、10月14日岩手県鉱業会主事和泉武を招いて現地報告を聞くと同時に、厚生省、内務省、全国鉱山会、石炭鉱業会の意向も聴取の上「事務費名目ノ寄附金ハ一切之ヲ拒絶スルコト」を決定、その旨を釜石製鉄所その他関係企業に通告した。(全国鉱山会労務課長「朝鮮人聯盟岩手県支部ノ要求ニ係ル寄附金ニ関スル件」)その理由として業者側は、6月21日の通牒により朝鮮人聯盟岩手県本部との契約も当然無効となったこと、制限会社はマ司令部の資産移動禁止により、正常な業務遂行上のこと以外の寄附的性質の支出は禁止されていることの二点を指摘しているが、これは単なる口実にすぎず、その真のねらいは「本件ハ単ニ本件ノミノ問題ニ止マラズ全国ニ波及スル惧」(同上)があるという点であった。日鉄本社をはじめとする関係企業は、このように強制連行された朝鮮人やその利害代弁機関としての朝鮮人聯盟に対しては一切の支払いを拒否しながらも、その反面で朝鮮人聯盟の要求額を現実に支払ったものとして「管理費」の名目で国庫から多額の資金を引き出した。日鉄本社が受け取った「管理費」は総額五千万に達した。(日本製鉄株式会社「朝鮮人労務者の休業手当等の国庫補償獲得の為の資料提出に就て」「総勤」第212号)。

      四 未払い金の供託

 朝鮮人聯盟の補償要求・未払い金の委託要求を次官通牒によって押さえ込んだ日本政府は、その一方で、供託制度を設け、連行朝鮮人を雇傭した企業に対して未払い金の供託を義務づけた。「未払賃金等ハ事業主側ノ保管ノママニシテイルト時日ノ経過ト共ニ不道徳資本家ハ之ヲ奇貨として証拠隠滅ヲ計ル等相続人ニトツテ不利ノ結果ヲ生ズルカラ是非聯盟ニ供託サレタシ」(『朝鮮人労務者関係』)という朝鮮人聯盟の要求はそれ自体根拠のあるものであり、朝鮮人聯盟の批判をかわすためにはこうした措置が不可欠であった。室蘭進駐軍司令部が「一切の朝鮮人関係未払手当金は該軍政部に於いて清算処理すること」(『輪労』第683号)を決定、1946年7月29日までに内訳書類を添付のうえ、未払い金を同司令部に納入するよう終戦連絡札幌地方事務局室蘭出張所長を通じて通告したことは、これを加速させた。厚生省は、こうした地方軍政部の動きに対抗してGHQとも協議を重ねる一方、各社に対して未払い金の申告を命じ、次官通牒によって同年7月中にも供託制度を発足させようとしていた。しかし、「マ司令部許可遅延ノ為」、結局それは同年9月初旬までずれこんだ。連行朝鮮人に関するGHQの方針が、室蘭進駐軍司令部の場合と同様「軍政部を経て総司令部宛該金を送付し、朝鮮進駐軍に依託の上それぞれ本人に交付する」(『朝鮮人労務者関係』)というものであったかどうかは即断できないけれども、少なくともこれを許容していたことは確かであり、そのことが「マ司令部許可遅延」の一因だったと解される。
 供託所は都道府県の司法事務所(後の地方法務局)に設けられ、朝鮮人労務者を雇傭した企業は、未払い金を債務履行地の供託所に供託するとともに、供託完了時には未払い金の総額とその内訳を記載した報告書二部を地方長官(県知事)に提出することが義務づけられた。また、地方長官は、関係者(債権者)の要求がある場合には前記報告書を閲覧させ、記載事項に異議があれば再調査をし、未払い金の公正化を図ることとされていた。(厚生省労政局長「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」)。日鉄釜石製鉄所の場合、1946年12月、同八幡製鉄所は翌47年1月、同大阪製鉄所は47年4月にそれぞれ供託を完了していることからみて、供託の完了は1946年末から翌47年初頭にかけてのことであった、と推測される。
 朝鮮人労働者を雇傭した企業が供託した未払い金の総額がどの位になるかは、供託報告書が公開されていない現段階では明らかではないが、日本製鉄株式会社の場合、表3にしめすように総額66万4077円にのぼっている。
 ・・・
 …「日鉄釜石製鉄所愛国貯金会規約」によれば、職員は毎月賃金の百分の七以上を、また男子工員は一円以上を貯蓄銀行に貯金することが義務づけられ、同会を退職するとき、軍隊へ入隊するとき、病気により長期欠勤するとき、国債または貯蓄債を購入するとき以外は、払戻請求はできなかった。
(『岩手県工場鉱山関係調査資料』1940年)釜石製鉄所にはこのほか任意貯金があり、預金通帳は前者は会社側が、後者は各自保管となっていた。
 …しかし、朝鮮人が同製鉄所に連行される同年末以降貯金率は急速に高まり、1942年初頭には20%を超えた。
 ・・・ 
 …釜石製鉄所の場合、1945年12月まで連行朝鮮人を拘束したこともあって、逃亡者や事故帰国者が続出したが、製鉄所は前者はもちろん、製鉄所との合意の上で帰国した後者に対しても賃金・退職積立金等を中心とする未払い金の支払いや保険金の立替えは一切しなかった。それのみか「満期帰国」者に対してさえ、未払い金を支払っていない。

     五 日韓協定と未払い金問題

 朝鮮人聯盟の補償要求は、日本政府と資本家団体によって圧殺され、未払い金の委託問題も供託所への供託によって凍結された。だが、それは問題の解決とはならなかった。事実、強制連行された朝鮮人労働者に対する補償問題は、日韓会談における最重要議題の一つとなった。朝鮮人聯盟の補償要求、未払い金の同盟への委託要求を拒否する法的根拠となった6月21日付の例の次官通牒の中で、「このような要求は或は将来日本政府に対する全般的な要求の中の一項目となり得るかも知れないと想われる」(「朝鮮人労務者等に対する未払金その他に関する件」 厚生省発労第36号 )と厚生省は述べたが、それがまさに現実のものとなった。韓国政府は世論に押されて執拗に問題の解決を迫ったが、日本政府はこれを頑なに拒み続けた。しかし1961年の池田=朴会談では、韓国の対日請求権は個々の韓国人が日本に対してもつ恩給、未払い賃金などを中心とする請求権であって、決して賠償的なものではないことを韓国政府に認めさせ(中川信夫『日韓問題の歴史と構造』81頁)翌62年の大平=金会談(「金・大平メモ」)では、無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款1億ドル以上の「経済協力」とひきかえに、一切の対日請求権の放棄を韓国側に「了解」させ、1965年も日韓協定においてこれを追認させた。その結果、強制連行された朝鮮人は何らの補償もされなかっただけでなく、個々の労働者に返還されねばならなかった未払い賃金、退職積立金、預貯金、保険金、弔慰金等の未払い金さえも日本政府に没収された。日韓条約を審議した第五十回国会で、後宮アジア局長は法務省に供託されていた未払い賃金や郵便貯金、あるいは恩給局保管の恩給等の個人請求権はどうなるのかという議員の質問に対して、「いわゆる金・大平了解の線で片付きましたので、全然個別の請求はないわけなんです」(外務省条約局条約課『日韓条約国会審議要旨』269頁)と答弁している。日韓請求権交渉を未払い賃金・恩給等を中心にした未払い金に限定させた日本政府は、その未払い金さえ連行朝鮮人労働者から奪い去ったのである。それは、警察力の集中配備・取締りの強化とセットされたかの次官通牒による補償要求の全面拒否、供託所への未払い金の供託という対朝鮮人政策をさらに押し進めたものといってよいだろう。朝鮮植民地支配についての日本政府と議会の反省の欠如が日韓請求権協定の決着をこうしたものにしてしまった。朝鮮植民地支配の最大の犠牲が強制連行された朝鮮人であったという認識が政府と議会にあったとすれば、かれらの犠牲の上にこうした協定が取り結ばれるようなことはなかったろう。…
・・・
 それにしても、日韓協定において「強制労働者に対する請求権が経済協力に置き換えられた事情」(前掲『日韓条約国会審議要旨』228頁)は何であったのだろうか。1965年12月3日の参議院日韓条約特別委員会において椎名外務大臣はこの点についてこう答えている。「この問題は、それはもう長い時日を経過しておるし、それから日本にも敗戦という、それからまた本土爆撃という大混乱がありました。朝鮮半島においても、御承知のように大動乱があったわけです。これを裏づけるよすがもない、こういうことで、それは合意の上完全かつ終局的に終了したことにいたしまして、そして経済協力という方法によってその問題を置き換えるということに相成った次第で、御了承願います」(『前掲書』222-223頁)。椎名外務大臣の言わんとするところは、彼が別の箇所で述べているように、「経済協力」と「請求権問題」というそれ自体何ら法的因果関係をもたない二つの問題を同時に、「並行的に」処理せざるをえなかったのは、「事実関係を実証するような材料というものはもうみなくなっておる」(『前掲書』227頁)という点にあった。椎名外務大臣のこの答弁は果たして事実だったのだろうか。日韓協定の正統性の有無にかかわる論点なので、若干この点を事実に即してみてみよう。…
 ・・・
 …しかし、重要書類は私物といえども一物も残さずに焼却したといわれる日本建設工業統制組合でさえ、「会計経理に関するもの」は焼却しなかったとの証言があり(『華鮮労務対策委員会活動記録』附録98頁)また空爆や艦砲射撃によって大きな被害を受けた日本製鉄株式会社所属の八幡、釜石、大阪、輪西、広畑、富士の各製鉄所は、1946年7月から翌47年4月にかけて死亡者や逃亡者等に対する未払い金を供託報告書とともに所在地の供託所に供託しているが、このことは、これらの製鉄所がそれを可能にするだけの会計経理に関する資料を保存していたことを示している。同様のことは、未払い金を供託したすべての企業についてもいえる。後者については戦後の1946,7年に提出したもので、長い時間の経過にも「本土爆撃という大混乱」や「敗戦」や「朝鮮半島」の「大動乱」にもかかわりなく、地方法務局に保管されてきたし、いまも保管されているとみられる。それは次の事実から容易に推測することができよう。…
…さらに1971年の法務局・地方法務局供託課長会議では富山地方法務局から「朝鮮人労務者に対する未払金弁済供託金について時効処理の先例<時効完成を事由とする処理はすべきでない>は維持されていると解してよいか」との照会がなされ、合同会議は「維持されている」との判断を下している(『登記研究』288号40頁)。以上の事実は、日韓協定締結の時点では、供託金の歳入納付の手続き原則としてとられておらず、これとセットされた供託報告書もまるごと地方法務局に保管されていたことを示している。「事実関係を実証するような材料というものはもうみなくなっておる」という椎名外相の国会答弁は、その意味ではまったくの虚言であった。それは「金・大平了解の線」で日韓協定を強行するための単なる方便でしかなかった。だが、『日韓条約国会審議要旨』をみるかぎり、未払い金を奪われた朝鮮人労働者に対する同情的な発言はあっても、政府答弁のこの虚偽を見抜き、事実をもってその背理、その不当性を訴えた議員はいなかった。
 第五十回国会で、後宮アジア局長は韓国側では日本から供与された3億ドルの中から基金を作り、「証拠書類」を提出した者にはある程度弁済するようにきいていると答弁している(前掲『日韓条約国会審議要旨』269頁)。しかし、預金通帳その他の「証拠書類」を供託局に保管されている朝鮮人労働者にとって、「証拠書類」を提出することなどありうるはずもなく、韓国側がこうした措置をとったとしても、それは形だけに終わらざるをえなかった。事実、韓国では「対日民間請求権申告法」(1971年)、「対日民間請求権補償法」(1974年)が制定され、1971年5月から72年3月まで申告を受けつけ、1977年6月まで補償を行った。支払総額は91億8769万ウォンで、その内訳は財産補償66億2209万ウォン(7万4967件)、人命補償25億6560万ウォン(8552名)であった。死亡者一名の補償額は30万ウォン、補償対象は軍人・軍属と徴用労務者に限られた(『ハッキリ通信』創刊号28頁)。韓国政府が補償したものは総額で無償三億ドルの10.2%、人命のみについていえば2.9%にすぎなかった。軍人・軍属のみで戦没者は21919名にのぼっているので、補償を受けた人は4割にも満たない。これに強制連行された朝鮮人の死没者を加えると受給率はさらに低くなるだろう。在日韓国人は日本の軍人恩給・遺族年金の対象外とされたばかりか、韓国の補償法の対象からも外されている。在日韓国人は日韓両国の谷間に放置されている。

       六 結語 ・・・略
 

 

 


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