真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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報道の歪み

2022年05月30日 | 国際・政治

 最近、ロシアの沿海地方の議会で、野党・共産党のレオニード・ワシュケービッチ議員が、議案審議中に発言を求め、ロシア軍のウクライナ侵攻について、”軍事的手段での成功はあり得ない。作戦を続ければ、軍人の死者や負傷者が増えるのは避けられない”と訴えたという報道がありました(プーチン大統領の政権与党は統一ロシア)。また、”軍事作戦をやめなければ、孤児がさらに増える。国に大きく貢献できたはずの若者たちが軍事作戦(への参加)によって体が不自由になった”と指摘し、「軍の即時撤退」を要求したといいます。そういう考え方は、きっと広く存在すると思います。だから、時々表に出てくるのだと思います。先だっては、ロシア国営放送生放送中に、キャスターの後ろで「NO WAR(戦争反対)」「プロパガンダを信じないで」と書かれた紙を掲げた女性(マリーナ・オフシャニコワ氏)がいました。まったくの孤立無援の状態では、考えられない行動だと思います。

 私が問題だと思うのは、そうした行動に対するメディアの受け止め方であり、その扱いです。
 同じような要求が、ウクライナ側にも必ずあると思います。武力で決着させようとすることに対する抵抗がないということは考えられないと思います。子どもたちも、両国の平和を願う絵を描いています。だから、それらの要求や願いを停戦に結びつけていくのが、メディアに課せられた責任ではないかと思います。
 でも、不思議なことに、ウクライナにおける反戦の動きはまったく報じられず、ワシュケービッチ議員の発言も許可なし発言だとくり返し警告され、マイクが切られたことや、議場からの退場および発言権が剥奪されたという事実、また、オフシャニコワ氏が長時間ロシア当局に身柄を拘束され尋問されたことや罰金を課せられたという事実が強調され、やはりロシアは武力で屈服させる以外に方法がないというような(アメリカの意向に沿う)印象の報道になっているように思います。レオニード・ワシュケービッチ議員の勇気ある発言や、オフシャニコワ氏の「戦争反対」を実現しようとする方向ではなく、それらを政治的に利用し、発言の趣旨に反する方向の報道になっていることが、重大な問題だと思います。

 私が見聞きするウクライナ戦争の報道も、破壊された建物の惨状や戦況、使用されている武器の解説や考えられる両国の作戦などに関するものばかりで、停戦が行き詰まっている理由やそれを打開する方法などに関するものはほとんどありません。人が殺し合っている時に、なぜなんだ、と私は思います。 
 かつて日本のメディアは、軍部の強力な言論統制の下、独自の取材に基づく報道を放棄し、軍の意向に沿う報道に徹しました。そして、嘘を含む大本営発表もそのまま報じて、国民を騙すことに協力しました。でも、現在は思想統制も言論統制も検閲もなく、表現の自由や報道の自由が保障されていると思います。その自由やメディアの責任を自ら放棄するかのように、ロシアを武力的に屈服させようとするバイデン政権やバイデン政権に追随する日本政府の方針に協力するような報道はいかがなものかと思います。

 そして、そうしたワシュケービッチ議員やマリーナ・オフシャニコワ氏の決死の行動の扱いが、ノーム・チョムスキーが、「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」チョムスキー:鈴木主税訳(集英社新書)の「認識の偏り」で書いている、エルサルバドル人権擁護委員会の生残りメンバー、エルベルト・アナヤのエスペランサ(「希望」の意)監獄における努力の扱いと同じではないかと思います。
 アナヤは、エスペランサ監獄で、400名を超える囚人から宣誓供述書を取りつづけ、残虐な拷問の実態について詳細に明らかにしたにもかかわらず、それはほとんど報道されず、釈放されたのちに暗殺されてしまったというのです。
 1986年5月に獄中から解放され回想録を出版したキューバの政治犯、アルマンド・バヤタレスとエルサルバドル人権擁護委員会の生残りメンバー、 エルベルト・アナヤの扱いの違いが、そのまま現在、ウクライナ戦争に対するアメリカやアメリカに追随する日本社会の反応としてあらわれているように思います。アメリカに敵対する国で拷問されたという人物と、アメリカが支援する国で拷問をされたという人物をあからさまに差別し、平然としているのです。それは、言いかえれば、アメリカの政治や報道が、法や道義・道徳を尊重せず、その時その時の自らの利益や権力保持のために都合よくなされ、日本もそれに習っているということです。それをチョムスキーは、「正義なき民主主義」と表現したのだと思います。

 今、大事なことは、戦争を止めることであり、停戦のための話合いだと思います。でも、あれこれ言って話合いをうやむやにし、武器の供与しています。殺されたウクライナの人たちや破壊されたウクライナの惨状ばかりに人の目を向けさせて。
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                      認識の偏り

 恐ろしい敵をでっちあげることが長きにわたってつづいてきた。その例をいくつか紹介しておこう。
 1986年5月に、獄中から解放されたキューバの政治犯、アルマンド・バヤタレスの回想録が出版された。メディアはさっそくそれに飛びつき、盛んに書きたてた。メディアはバヤタレスによる暴露を「カストロが政敵を処罰し、抹殺するために巨大な拷問・投獄システムを用いていることの決定的な証拠」と評した。
 この本は「非人間的な牢獄」や血も涙もない拷問についての「心を騒がせる忘れがたい記述」であり、また新たに登場した今世紀最大の大量殺人者の一人のもとで行われた国家権力の記録である。
 この殺人者は、少なくともバヤタレスの本によれば、「拷問を社会体制の手段として制度化する新しい独裁政治を構築している」のであり、〔バヤタレスが〕暮らしていたキューバはまさに地獄だった」。
 これが『ワシントン・ポスト』と『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された批評である。カストロは「独裁者の暴漢」と称された。極悪非道かれの行為はこの本で完全に暴露されたことでもあり「よほど軽率で冷酷でもないかぎり、この暴君を擁護する欧米の知識人はまず皆無だろう。(『 ワシントン・ポスト』)とされた。
 だが、これhある個人の身に起こったことの記述である。
 これがすべて真実だとしよう。バヤタレスは拷問されたと言っているのだから、彼の身に起ったことについて疑義を呈するのは止めよう。ホワイトハウスの人権デー記念式典で、バヤタレスはロナルド・レーガンから名指しされ、血に飢えたキューバの暴君の恐ろしい残虐行為に耐えぬいた勇気を称えられた。
 その後、バヤタレスは国連人権委員会のアメリカ代表に任じられ、そこでエルサルバドル政府とニカラグア政府を擁護する意向を述べた。いくら仕事とはいえ、バヤタレスの被害もささやかに見えるほどの残虐行為を非難されている両政府を、どうして擁護できるのだろうと思うが、それが現実なのでる。
 これは1968年5月のことだった。なるほど、合意のでっちあげとはこんなところから始まるのかもしれない。同じ5月に、エルサルバドル人権擁護委員会の生残りメンバー──指導者たちは殺されていた──が逮捕され、拷問された。
 そのなかには、委員長のエルベルト・アナヤも含まれていた。彼らはエスペランサ(「希望」の意)監獄に送られたが、獄中でも人権擁護運動をつづけた。法律家のグループだったので、囚人から
宣誓供述書を取りつづけた。監獄には全部で432名の囚人がいた。彼らが署名した430人分の宣誓供述書には、囚人たちが受けた電気ショックをはじめとする残虐な拷問について詳細に記されている。
 制服を着たアメリカ合衆国の陸軍少佐に拷問された囚人もこのいた。この少佐については、かなりくわしい記載がある。これは非常に明白かつ包括的な宣誓証言であり、拷問部屋で起こっていることに関して、他に類を見ないほど綿密に記録されている。この160ページからなる囚人の宣誓証言の報告書は、受けた拷問について獄中で証言する本人たちを撮影したビデオテープとともに、ひそかに監獄からもちだされた。そして、カリフォルニア州マリン郡異教徒専門調査会によって配布された。
 ところが、アメリカの全国紙はこれを報道するのを拒んだ。テレビ局はビデオ放映を拒否した。マリン郡の地元紙「サンフランシスコ・エグザミナー」に短い記事が掲載されたが、私の知るかぎりそれだけである。誰もこの一件に触れようとしなかった。同じころ、他方ではかなりの数の「軽率で冷酷な欧米の知識人」が、ホセ・ナポレオン・デュアルテやロナルド・レーガンを公然と称賛していた。アナヤにはいかなる賛辞も呈されなかった。彼は人権デーの式典に招かれもしなかったし、何の公職にも任命されなかった。それどころか、捕虜交換で釈放されたのち、彼は暗殺されてしまったのだ。犯人は明らかに後ろ盾にした治安部隊だった。
 この事件に関する情報はほとんど表面にあらわれていない。この残虐行為が暴露されていたら──事実を公表せず、一切を伏せておくかわりに──アナヤの生命が救われていたかどうか、メディアは決して追及しなかった。
 この一件からも、うまく機能している合意でっちあげシステムがどれほど効果的かがわかる。エルサルバドルのエルベルト・アナヤが暴露したことに比べれば、バヤタレスの回想録など、大きい山の隣のエンドウ豆ほどの重みもない。しかし、人にはそれぞれの役割があり、それが私たちを次の戦争へと導いていく。次回の作戦が実行されるまで、私たちは何度もこれを聞かされるだろう。
 前回の作戦についても少し述べておこう。手始めに、前述したマサチューセッツ大学での調査の話をしたい。この調査からは、いくつかの興味深い結論がでている。質問の一つに、違法な占領や深刻な人権侵害を正すためにアメリカh武力介入すべきだと思うか、というものがああった。約二対一の割合で、アメリカ国民はそうすべきだと考えていた。違法な土地占拠や「深刻な」人権侵害があった場合には、われわれは武力を用いるべきである、と。
 アメリカがこの助言に従うなら、私たちはエルサルバドル、グアテマラ、インドネシア、ダマスカス、テルアビブ、ケープタウン、トルコ、ワシントンなど、あらあゆる国の都市を爆撃しなければならなくなる。それらはみな違法な占拠や侵犯や、深刻な人権侵害という条件を満たしているのである。こうした事例の多さを知っていれば、サダム・フセインの侵略や残虐行為も、多くの事例のうちの一つでしかないことがよくわかるであろう。フセインがやっていることは、とびきり極端な行為ではないのだ。
 どうして誰もこうした結論に到達しないのだろう?
 それは、誰も事実を知らないからだ。うまく機能している宣伝システムのもとでは、いま私があげたような多数の事例について誰も知りえないのである。きちんと調べみれば、これらの事例がまぎれもない事実だとわかるはずなのだが。
 湾岸戦争時に危うく気づかれそうになった一つの事例を取り上げてみよう。
 爆撃作戦のさなかの二月、レバノン政府はイスラエルに、レバノンからの即時無条件撤退を求める国連安保理決議425号にしたがうように要求した。この決議が採択されたのは、1978年3月である。以後、イスラエルにレバノンからの即時無条件撤退を要求する決議は二つあった。もちろん、イスラエルはどれも守らなかった。占領をつづけることをアメリカが裏で支持していたからだ。一方、南レバノンは恐怖におちいっていた。大きな拷問部屋までありそこで、身の毛のよだつようなことがつづいていた。ここを基点として、レバノンの他の地域にも攻撃が加えられた。
 1978年以来、レバノンは侵攻され、ベイルートは爆撃され、約二万人が殺された。犠牲者の80パーセントは民間人である。病院も破壊された。テロ、略奪、強盗が横行した。にもかかわらず、アメリカはそれを是認した。これはほんの一例である
 メディアにはまったく取り上げられなかったし、イスラエルとアメリカが425号をはじめとする国連安保理決議を守るかどうかが議論されることもなかった。まあた、国民の三分の二が支持する原則にしたがえば、アメリカはテルアビブを爆撃するべきなのに、それを要求する者はいなかった。
 誰がどう言おうと、これは違法な占領であり、深刻な人権侵害である。そして、これは一つの事例にすぎない。もっとひどい事例もある。インドネシアは東チモールを侵略して、約二十万人を殺害した。この一件とくらべれば、どんな事例も瑣末に見える。アメリカはこれにたいしても積極的な支持を与え、いまなお外交と軍事の両面で強力に支援し続けている。こういう例はいくらでもあげられるのだ。

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