真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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湾岸戦争の真相

2022年05月27日 | 国際・政治

  ノーム・チョムスキーの「メディア・コントロール 正義なき民主主義と国際社会」鈴木主税訳(集英社新書)の、下記のような文章を読むと、ウクライナ戦争に関わる欧米日の現状は、湾岸戦争当時の状況と同じような気がします。湾岸戦争当時、イラク人民主主義者の声が封じられたのと同じように、今、ウクライナ戦争に反対し、停戦を求める人々の声が、ほとんど封じられているように思うのです。

 そして、ウクライナ戦争に関わる重要な情報が、きわめて巧みにコントロールされ、事が進んでいるように思います。
 前稿で取り上げましたが、十年近く前に、チョムスキーは、NATOの存在について重大な指摘をしていました。ベルリンの壁が崩れ、ロシアの脅威がなくなっても、NATOを解体せず、逆に拡大したのは、”米国の政策立案者たちはヨーロッパが当時の言い方で第三勢力になることを恐れていた。”と指摘していたのです。NATOは、ヨーロッパ諸国を末永くアメリカの影響下に置くことが目的であったということだと思います。
 でも、ロシアからドイツへ天然ガスを輸送するパイプライン、「ノルドストリーム2」が有効に機能するようになると、ヨーロッパ諸国に対するロシアの影響力が拡大し、たとえNATOが存続しても、アメリカの利益が損なわれ、恐れていたヨーロッパ諸国のアメリカ離れが現実のものになるであろうことは明らかだと思います。
 だから、アメリカ産の液化天然ガス(LNG)をヨーロッパ諸国に売り込み、ヨーロッパ諸国との関係を維持するために、アメリカはオバマ前米政権時代から、ノルドストリーム2に反対していたのです。そして、トランプ大統領が、ノルドストリーム2プロジェクトに携わる企業に制限を加える制裁法を立案し、さらに、バイデン政権が21年5月にパイプラインの建設に関わる船舶にも制裁を科すことを決定したのです。バイデン大統領は、ロシアがウクライナに侵攻する前の声明で、”ロシアがウクライナに侵攻した場合、ノルドストリーム2を停止するよう緊密に調整してきた”と明かしています。

 ドイツのメルケル前首相は、原発の停止を決定し、エネルギーをロシアに依存するノルドストリーム2計画を進めましたが、その結果、トランプ大統領との関係が悪化し、「犬猿の仲」といわれたりしました。そして、その決定の影響は、今なお変わらず続いているのだと思います。
 ドイツのシュタインマイヤードイツ連邦共和国大統領は、ポーランドやバルト3国の大統領とともに、ウクライナの首都キーウを訪問する方針でしたが、”自身についてはウクライナから「望まれていない」ことが分かった”と述べ、参加しなかったといいます。ゼレンスキー大統領が、シュタインマイヤー大統領の参加を拒否したのは、彼がメルケル政権下で外相を務め、ノルドストリーム2の建設を推進し、ロシアに融和的だったからだと思います。ゼレンスキー大統領にとっても、バイデン大統領同様、ロシアは話し合いの相手ではないということだと思います。
 
 だから、チョムスキーの指摘を踏まえれば、戦争をする必要があるのは、ロシアではなく、アメリカとウクライナの方です。アメリカやウクライナに停戦協議を進める気がないのは当然なのです。停戦協議を進めて、戦争が終わってしまうことになれば、ロシアのヨーロッパ諸国に対する影響力拡大を阻止出来ず、ロシアの弱体化も実現できないので、アメリカは巧みに、停戦協議が進まない状況をつくりだしているのだと思います。イギリスのジョンソン首相も、そうしたアメリカの戦略に協力しているのでしょう、Boris Johnson ordered to stop Russia-Ukraine talks…、というような情報を見ました。

 メディアが、日々、ロシア軍に攻撃されたというウクライナの惨状や、ウクライナ軍の戦果の報道に徹し、侵攻前のウクライナを含むNATO諸国の軍事演習を問題にしないのも、アメリカのウクライナに対する武器の配備を問題にしないのも、また、侵攻にあたってのプーチン大統領の演説を取り上げないのも、ロシアを「悪 」とし、屈服させ、弱体化するためだろうと考えます。あらゆる組織からのロシアの排除やロシア側の情報の遮断も、多くの人たちの情報のやり取りによって、停戦の声が大きくなることを恐れているからではないかと想像します。

 そのため、一般の市民は、ロシア軍のウクライナ侵攻理由がよくわからず、あたかもプーチン大統領が、「偉大なソ連」という幻想にとらわれていて、配下にあると思っていたウクライナが、ロシアに背を向け、アメリカやEUとの関係を深めているのが気に食わないので、ウクライナ侵攻を命じたのだ、というような考え方がまことしやかに語られる状況になってしまっているのではないかと思います。そして、問題の解決は、ウクライナに軍を侵攻させた欲深いロシアを屈服させるほかにはないというような状況をつくり出し、停戦を求める声を封じているのではないかと思います。そうしたことが、湾岸戦争当時と同じではないかと思うのです。

 ロシアによるウクライナ侵攻を受けて、ウクライナ政府は直ぐに成人男性の出国を禁じました。そのため国境や列車の駅で、退避する人々の涙の別れがくり返し報じられました。自分は祖国に残って祖国のために戦う、と語る男性のインタビューは、何度か見ましたが、女装して出国しようとした人や、違法な手段を使って国境を越えた男性もいたというのに、そうした男性に対するインタビューを、私は見たことがありません。国のために戦うのか、家族と一緒に生き抜くのかの選択を迫られ、後者を選んだ人もいたということ、また、中には国からの徴兵に応じない人たちもいたということが、なぜ、きとんと報道され、議論されないのか。

 武器を取って戦うことに反対する人は、ロシアにもウクライナにも必ず存在すると思いますが、メディアは、ロシアにおける戦争反対の動きを報じても、ウクライナにおける戦争反対の動きを報じません。そして、停戦協議にこだわり、停戦に至る道筋を追い求める声が、ほとんど聞こえない状況にあることが、チョムスキーが指摘する湾岸戦争当時の状況と同じではないかと思うのです。
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                             湾岸戦争   

 うまく機能している宣伝システムがどれほどの効果をあげているか、わかってもらえただろうか。国民は、アメリカがイラクやクウェートに武力を行使するのは、不法な占領や人権侵害には武力をもって対抗すべきだという原則にしたがっているからだと思いこまされている。
 この原則がアメリカの行動に適用されたなら、どんなことになるかを国民はわかっていない。徹底的な宣伝がみごとに成功した結果である。
 もう一つの事例を見てみよう。
 八月(1990年)以降の湾岸戦争の記事をたんねんに調べてみれば、いくつかの重要な意見が欠落していることに気づくだろう。たとえば、イラク人のなかにもフセインに敵対する民族主義の信奉者がいる。非常に勇気のある、決して小さくない反対勢力である。
 もちろん、彼らの活動拠点は国外の亡命先だ。イラク国内にいたら殺されてしまうからだ。彼らは主にヨーロッパにいて、銀行家、技師、建築家として働いている。彼らには明確な意見があり、それを伝える手段もあり、実際に発言もしている。
 去る二月、サダム・フセインがまだジョージ・ブッシュの大切な友人であり、イラクが貿易相手国であったころの話だ。反対派筋の情報によると、彼らはわざわざワシントンまでやってきて、イラクに議会制民主主義を確立したいので何らかのかたちで支援してほしいと訴えたという。だが、彼らの訴えはにべもなく拒否された。アメリカはそんなことにまったく興味がなかったのだ。そして、これにたいする反応は公の記録にはまったくあらわれていない。
 八月以降、彼らの存在を無視すうrのはいささか難しくなった。アメリカは八月に、長らく可愛がってきたサダム・フセインをにわかに敵視するようになったのである。そこに、この件について言いたいことがあるにちがいない反対派のイラク人による民主主義勢力が存在した。
 サダム・フセインが腸を抜かれ、身体を八つ裂きにされるのを、彼らはぜひ見たいはずである。フセインは彼らの兄弟を殺し、姉妹を拷問にかけ、彼ら自身を母国から追いだしのである。ロナルド・レーガンとジョージ・ブッシュがフセインの頭を撫でていたあいだ、彼らはずっとフセインの暴政と戦ってきた。
 彼らの声は届いただろうか? 全国のメディアを眺めかえし、八月から三月(1991年)までのあいだにイラク人民主主義者の反対勢力についての報道がどれくらいあったかを確認してほしい。これが、皆無なのである。
 彼らに意見がなかったわけではない。彼らは声明を発表し、提案をし、呼びかけをし、要求をだしていた。それらを見れば、アメリカの平和運動となんら変わらないことがわかるだろう。彼らはサダム・フセインに反対しているが、イラクとの戦争にも反対だ。誰だって自分の国を破壊されたくない。
 彼らが望むのは平和的な解決であり、それがかならずしも無理なお願いではなかったことも間違いなくわかっていた。しかし、それは誤まった考え方なので、彼らは無視された。
 イラクの民族主義者の反対勢力について、私たちは何も聞かされていない。彼らについて知りたければ、ドイツやイギリスの新聞を見るしかない。さほど多く書かれているわけではないが、アメリカの新聞よりも厳しく統制されていないので、少しはものが言えるのである。
 これは組織的宣伝の恐るべき成功である。第一に、イラクの民主主義者の声は完全に排除されている。そして第二に、誰もそれに気づいていない。これも興味深いことである。国民がどれほど思考統制を受けているかがわかるだろう。
 イラクの民主的な反対勢力の声が聞こえてこないことに気づかず、したがってアメリカ人は聞こえてこない理由を問うこともなく、明白な答えを知りえないように仕向けられている。なぜ聞こえてこないのか。それは、イラクの民主主義者にはしっかりした考えがあるからだ。彼らは国際平和運動に賛同している。だから、彼らは許容されない。
 ところで、湾岸戦争はなぜ起こったのだろう。戦争の理由はいちおうあげられていた。侵略者が報いられることは許容できないし、侵略があれば暴力に訴えてもすみやかに侵略者を追い返さなければならない──これが湾岸戦争の理由だった。これ以外に基本的な理由は何もあげられていないのである。
 だが、こんなことが戦争を始める理由になるのだろうか? アメリカは、そんな原則──侵略者が報いられることは許容できないし、侵略があれば暴力に訴えてもすみやかに追い返さなければならない──を掲げているのか?

 私がぐだぐだしく言うまでもないだろうが、少しでもものの道理をわきまえていればこんな主張には十代の子供でも二分で反駁できる。にもかかわらず、これらの主張はまったく反駁されなかった。
 全国のメディアを見てみるといい。リベラル派の時事解説者や評論家、議会で宣誓証言した人びとでもいい。そのなかに、アメリカがそのような原則を掲げているという前提に疑問を投げた人がいただろうか? アメリカは自国のパナマ侵攻に反対して、侵略者を追い返すためにワシントンを爆撃するべきだと主張しただろうyuさぶらなかったのだ。か。
 1969年に南アフリカのナミビア占領が違法だと裁定されたとき、アメリカは食糧や医薬品について制裁措置を撮っただろうか? ケープタウンを爆撃しただろうか?
 いやアメリカは20年間「静かな外交」を続けた。
 その20年間も、決して波乱がなくはなかった。レーガンとブッシュの時代だけでも、南アフリカによって約150万人が周辺諸国で殺された。
 南アフリカとナミビアで起こったことは忘れよう。どういsてか、それは私たちの感じやすい心をゆさぶらなかったのだ。アメリカは「静かな外交」をつづけ、結局は侵略者が報酬を手にするのを許した。侵略者にはナミビアの主要港と、安全上の懸念を払拭するする数々の便宜が与えられた。私たちが掲げていた原則はどこへ行ったのだろう?
 繰り返すが、それが戦争に赴く理由にならないのは、子供でも論証できる。私たちはそんな原則を掲げてはいないからだ。ところが、誰もそうしなかった──重要なのはそこなのだ。そして当然の結論を、誰も指摘しようとはしなかった。戦争をする理由は一つもない。皆無である。
 分別のある子供が二分で反駁できる理由以外に、戦争をする理由は一つもなかった。これもまた、全体主義文化の一つの特徴である。考えると恐ろしいことだ。私たちはすっかり全体主義に染め上げられ、正当な理由もなしに、レバノンの要求や懸念に誰も気づかず、流されるようにして戦争におもむけるのだ。なんと衝撃的な事実だろう。
 爆撃が開始される直前の一月半ば、『ワシントン・ポスト』とABCネットワークによる大がかりな世論調査が興味深い事実を明らかにした。国連の安保理がアラブとイスラエルの紛争問題を取り上げることを交換条件として、イラクががクウェートからの撤退に同意するとすれば、あなたはこれを支持しますかという質問にたいし、三人に二人が支持すると答えたのである。イラクの民主的な反対勢力を含めて、全世界も同意見だった。
 アメリカの国民の三分の二はこれを支持しているという報告もあった。この考えを支持した人びとは、おそらくそう考えているのは世界で自分一人だと思ったのではあるまいか。だが、これがいい考えだという意見はいっさい報道されなかったのである。
 ワシントンが二つの事態の「結びつき」になることに、つまり外交上の手段に頼ることに反対するよう求めているのはわかっていた。だから誰もがおとなしく命令にしたがい、誰もが外交処理に反対したのだ。各新聞の解説欄を探してみるといい。『ロスアンゼルス・タイムズ』でアレクサンダー・コバーンがこれを名案だと書いているのが見つかるだろう。
 この質問に答えた人びとは、そう考えているのは自分一人だと思っただろう。それでも、それが自分の考えなのだ、と。
 彼らが自分一人でないと知っていたら、イラクの民主的な反対勢力ねど、ほかにもお味考えの人がいると知っていたら、これが決して仮定としての話ではなく、イラクがまさにそれを
申し入れていたことを知っていたら、どうなっただろう。
 その申し入れは、ちょうど八日前に合衆国高官によって公表されていた。一月二日、国連安保理がアラブ・イスラエル間の紛争と大量破壊兵器問題を検討するのと引き換えに、イラクがクウェートからの全面撤退を提案してきたことを合衆国高官が公表していたのだ。
 しかしアメリカは、クウェートが侵攻される前から、この件について交渉の席につくのを拒否してきた。この提案が実際に申し入れられていたこと、広く支持されていたことが知られていたら、どうか。
 実際、これは平和を望む理性ある人なら誰でもするはずの提案である。他の場合ならそうするだろう。やむを得ず侵略者を追い返すことを望む場合には、こう提案するだろう。それをする人びとが知っていたら、どうか。違う意見もいりうるだろうが、私の思うに三分の二が九十八パーセントまで上がったのではあるまいか。
 ここに組織的宣伝の大成功があった。おそらく調査に答えた人のうち、誰一人としていま述べたようなことを知らなかったのだろう。誰もが自分一人だと思っていた。だから表立っての反対がないまま、戦争の方針が進められたのである。

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