真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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ラーベの日記 1938年1月26日 南京事件

2014年12月09日 | 国際・政治

 下記は、『南京の真実 The Diary of John Rabe』ジョン・ラーベ著 エルヴィン・ヴィッケルト編/平野卿子訳(講談社)から、1938年1月26日の記述を抜粋したものである。

 ラーベの日記からの抜粋1回目、12月16日では、「武装解除した中国人兵士がまだ数百人、安全区から連れ出され、銃殺されたという。そのうち、50人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されたという」というような日本軍による国際法無視の処刑を、また、抜粋2回目の12月17日では「昨晩は千人も暴行されたという。金陵女子文理学院だけでも百人以上の少女が被害にあった。いまや耳にするのは強姦につぐ強姦。夫や兄弟が助けようとすればその場で射殺。見るもの聞くもの、日本兵の残忍で非道な行為だけ」というような強姦を中心とする日本兵の犯罪行為を見逃すことができないと思った。

 さらに、3回目となる今回の1938年1月26日では、凄まじい略奪の実態ととともに、「日本大使館の態度から、軍部のやり方をひどく恥じていることがずっと前からわかっているだけになおさらだ。なんとかしてもみ消そうとしている。南京の出入りを禁止しているのだって、要は南京の実態を世界に知られたくないからだ」という文章も、しっかり記憶にとどめたいと思ったのである。

 なぜなら、このところ日本では、南京大虐殺は「捏造だった」とか、「東京裁判によってでっち上げられた」とか、「非道行為を行なったのはむしろ中国兵たちだった」というような主張が多くなっているからである。それは「南京の実態を世界に知られたくないからだ」というのと同類ではないかと思えるのである。

 ラーベの日記は、ラーベという個人が、ただ日々の出来事を日記に書きとめただけではない。その日記には、彼が南京安全区国際委員会の代表として、日本軍の南京市民に対する指示や対応、また、日本兵の蛮行に関して、日本大使館をはじめ、様々な人とやりとりした事実や、その証拠ともいえる文書が含まれている。そして彼は1937年9月22日、その日記に「本日をもって私の戦争日記の始まりとする」として書き始めているのである。間違いなく、南京事件に関する第一級の資料であると思う。

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1月26日
 中国人兵士の死体はいまだに野ざらしになっている。家の近くだからいやでも目に入ってしまう。いったいいつまでこんなことが続くのだろう。信じられない。なんでもたいそうなお偉いさんがくるという話だ。こちらの軍隊ではなく、陸軍省直属の将校だとか。ぜひともこの混乱をおさめてもらわなければ。もう限界にきている。

 この間1人の若いアメリカ人が、日本の衛兵につきそわれてやってきた。イギリス大使館に配属されているそうだ。英米合弁製材会社の膨大な在庫を日本軍に売りにきたという。この人から聞いたのだが、上海からここへ来る途中、はじめの50マイルで出会った人間は全部でたった60人くらいだったという。いまだに大ぜい人が住んでいるのはもはや南京だけだといっていた。上海と南京のあいだはどこも死に絶えたも同然だ、と。

 安全区を出て人気のない道を行く。どの家にもそのまま入っていける。ドアが軒並みこじ開けられているか、大きく開けっ放しになっているからだ。そして、くりかえしすさまじい破壊の結果を見せつけられる。なぜこんなに野蛮なのか、理解できない。思えばこれは実に衝撃的なことだ。

 いったい何のためにこれほどひどいことをするのだろう。ただただわけがわからない。日本大使館の態度から、軍部のやり方をひどく恥じていることがずっと前からわかっているだけになおさらだ。なんとかしてもみ消そうとしている。南京の出入りを禁止しているのだって、要は南京の実態を世界に知られたくないからだ。だが、そんなことをしたところで、しょせん時間の問題だと思うがね。ドイツ、アメリカ、イギリスの大使館に再び外交官をおくようになってから、何百通もの手紙が上海へ送られているのだから。それには、ここの状況が克明に記されている。大使館が電報で報告しているのはいうまでもない。

 南京のなかで、安全区は人々が生活していることを感じさせる唯一の場所だ。ここの中心部にはつぎつぎと新しい露天ができている。朝早く、たいていまだ薄暗いうちに、人々は手元残った品物を手あたりしだいに引きずってくる。まだ売り物になるもの。あるいは、なる、と思っているもの。そして、誰か買ってくれないだろうか、ときょろきょろするのだ。食べもの以外のものに使える金をまだいくらかふとろこにしている人はいないだろうか、と。群集は押しあいへしあいしながら、この露店の立ち並ぶ街、常設市を押し分けて進んでいく。貧困と窮乏の支配する市を。生活必需品や嗜好品──米、小麦粉、肉、塩、野菜、タバコ──のその時その時の相場で物価が決まる。

 我々はドイツをはじめ、アメリカやイギリスの各大使館に頼んで、なんとかして食糧をとりかえしてもらいたいと考えている。市内の倉庫にはまだ米や小麦粉があるはずなのだ。だが、日本軍の手に渡ってしまったので、取り戻せる見込みはきわめて少ない。

 我々の話を聞いた大使館の3人は、それはどうかな、という顔をして首を振った。たとえばまだ残っているとしても日本軍は引き渡さないだろう。それどころか、なんとかしてこれ以上補給させまいとがんばるに違いない。われわれはかれらにとって目の上のこぶだからだ。厄介払いしたいにきまっている。一日一日とけむたい存在になっているのだ。そのうち、ぽいと上海に追い出されはしないかと、我々のほうでもひやひやしている。

 ジーメンス社洋行・中国本社のラーベあての手紙 1938年1月14日 於上海

 ラーベ様
 新聞の報道はむろんですが、なによりも奥様からお元気だと伺って安心しています。早くまた電話がつながって、仕事の件や資本、そのほか主要な設備状況などについて、報告していただけるようになるとよいのですが。

 それから、エッケルト氏よりパプロ社の南京の住宅と事務所の電気関係の設備を据えつけるよう頼まれました。できるかぎりこれらの建物の状態を調べて、氏にお知らせください。
 ラーベさんがそちらでどのくらい自由に動けるのか、なにぶんこちらでははっきりつかめません。けれども、折りをみてご報告くだされば、エッケルト氏ともども幸いに存じます。

 どうかお元気で過ごされるよう祈っております。
    ナチ式敬礼をもって
           ジーメンス洋行               プロープスト、マイヤー

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