真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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朝鮮教育令と民族文化の抹殺

2009年08月08日 | 国際・政治
 韓国併合前後から敗戦に至るまで、日本は朝鮮半島における民族的・愛国的言論や出版活動を取り締まりの対象とし封殺した。例えば「新聞紙法」(1907年7月公布)では、その第11条に「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、若クハ国憲ヲ紊乱シ或ハ国際交誼ヲ阻害スル事項ヲ記載スルコトヲ得ズ」、また第12条には、「機密ニ関スル官庁ノ文書及議事ハ 当該官庁ノ許可ヲ得ザレバ詳略ニ拘ハラズ記載スルコトヲ得ズ、特殊ノ事項ニ関シ当該官庁ニ於テ記載ヲ禁止シタル時モ亦同ジ」とし、違反したときの罰則も規定した。また、1909年2月公布の「出版法」も同じように朝鮮における言論・出版活動を弾圧するものであった。さらに、日本は朝鮮半島における愛国主義教育を「不良」「不穏」と見なし、下記のような法規によって朝鮮人の自主的教育権を剥奪するとともに、民族独立思想の教育は徹底的に取り締まった。「日本帝国主義の朝鮮支配 上」朴慶植(青木書店)からの抜粋である。
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              四 民族文化の抹殺

 3 「朝鮮教育令」

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 「朝鮮教育令」は1911年8月に公布されたが、その実施に際して寺内は、「帝国教育の大本は夙に教育に関する勅語に明示せらるる所之を国体に原ね之を歴史に徴し確乎として動かすべからず朝鮮教育の本義此に在り、惟うに朝鮮は未だ内地と事情の同じからざるものあり、是を以て其の教育は特に力を徳性の涵養と国語の普及とに致し以て帝国臣民たるの資質と品性とを具えしめむことを要す」「学校の系統及程度を簡約にして民度の実際に適応せしめんとするは新学制の主眼とする所にして何れの種類の学校を問わず一貫せる教育の方針なり」などの論告をおこなった。
 「朝鮮教育令」の主要な条文は次の通りである。


    「朝鮮教育令」(1911年8月、勅令第229号)
 第1条 朝鮮に於ける朝鮮人の教育は本令に依る
 第2条 教育は教育に関する勅語の旨趣に基き忠良なる国民を育成することを
      本義とす
 第3条 教育は時勢及民度に適合せしむることを期すべし
 第4条 教育は之を大別して普通教育、実業教育及専門教育とす
 第5条 普通教育は普通の知識技能を授け特に国民たるの性格を涵養し国語を
      普及することを目的とす
 第6条 実業教育は農業、商業、工業に関する知識技能を授くることを目的とす
 第7条 専門教育は高等の学術技芸を授くることを目的とす(以下省略)


さらにこの「教育令」実施に関して総督寺内および内務部長宇佐美勝夫の訓示がある。
 「蓋し今後朝鮮の教育は専ら有用の知識と穏健なる徳操とを養成し帝国臣民たるの資質品性を具えしめることを以て主張と為さざるべからず故に先ず普通教育の完備を期し且重きを実用教育に置き之に加うるに高等普通教育を以てし、進んでは専門教育を施し各自其の分に応じ身を立て家を興すの素地を作り以て国家の進運に伴わしむるを要す。此の趣旨に基き近く朝鮮学制の発布を見るべし。」
(寺内)


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 「朝鮮教育令」およびこれらの訓示にても分かるように、朝鮮人教育は、①天皇に忠良なる日本臣民を養成すること ②日本国民たるの品性を涵養し「国語」を普及すること ③「民度」にあった普通教育、とくに実業教育に重点をおくことなどを主目的としたが、これは朝鮮人民を日本帝国主義の植民地奴隷にしようとする方針であった。

 4 奴隷化教育

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 次に教科書の内容について見よう。
 『普通学校修身書』巻1(1913年発行)は35課から成立っているが、第10課「テンノウヘイカ」(天皇陛下)、第25課「ヨイ生徒」を通して、「天皇に忠良な国民を育成」する意図がはっきり示されている。
 第10課「テンノウヘイカ」の教授目的には、「天皇陛下ハ我ガ国ヲ治メ給ウ最モ尊キ、最モ有リ難キ御方ナルコトヲ知ラセルノガ本課ノ目的デアル」(教師用)とし、教授要領として、まず天皇が宮城から出かける絵の説明をしてから、「天皇陛下ハ我ガ大日本帝国ヲオ治メ遊バサレ、臣民ヲ子ノ様ニアワレンデ下サイマス。我等ハ皆天皇陛下ノ御恩ニヨッテ、安寧ニ暮スコトガ出来ルノデゴザイマス。皆サンガ学校デ学ブコトノ出来ルノモ、畢竟天皇陛下ガ教育ヲ重ンジ給ウ大御心ニ由ルノデゴザイマス。臣民タルモノハ天皇陛下ノ御恩ヲ有リ難ク思ハナケレバナリマセン」とし、天皇のことを話す時の言語・態度に注意をし、敬意を表し、最敬礼の仕方を教え、国旗や天長節についても教えることになっている。


・・・

 朝鮮総督府は「私立学校令」の内容をさらに強化した「私立学校規則」(1911年10月)を公布して、学校設立は勿論、教員の採用、教科課程、教科書はじめ授業内容その他全般にわたって統制・監督を厳しく規定した。法令の規定に違反した場合には学校の閉鎖が強権をもっておこなわれた。「私立学校規則」の主要内容は次の通りである。

   「私立学校規則」(1911年10月) 
 ①私立学校は総督の許可を受けた上でなければ設立することができぬ。
 ②学校長及教員は総督の許可を受けたものでなくては採用できぬ。
 ③修業年限、教科目、教科課程及毎週教授時数、生徒の定員、学年、学期、休
   業日、入学者の資格等学制に規定すべき事項は許可を受くることを要する
 ④教科書は朝鮮総督府の編纂したるもの又は朝鮮総督の検定を経たものを用
   いねばならぬ、若し之等の図書存在せざるときに限り総督の認可を受け其の
   他の図書を教科書として採用することを得
 ⑤一定の事項に該当するものは私立学校を設立することを得ず、又学校長、教
   員たることを許さない、若し学校の設立後設立者が此の一定の事項に該当す
   るに至りたるときは設立の認可を取消し、学校長教員之に該当するに至りた
   るときは設立者に対し其の解雇を命ずることができる。
 ⑥学校の設備、授業其の他の事項にして不適当なりと認めたるときは其の変更
   を命ずることができる。
 ⑦法令の規定に違反したるとき、安寧秩序を紊乱し又は風俗を壊乱するおそれ
   あるとき、⑥の命令に違反して之を実行せざる場合の如きは制裁として朝鮮
   総督は私立学校の閉鎖を命ずることができる。


 さらに、1915年3月「私立学校規則」に大改正を加え、私立学校の教科の制限(宗教科目の排除)、日本人教員の採用、教員の制限(日本語のできない教員の排除)などをおこない、「忠良なる皇国臣民」の養成という日本国家の要求する教育方針をさらに強化した。……(以下略)

 ・・・

 また、朝鮮人学徒間に、排日感情がより烈しくなっていくことを恐れた寺内は、1916年1月4日総訓第2号として「教員心得」定めた。その骨子は次の通りである。

 「我ガ帝国ハ開闢以来万世一系君臣一体世界ニ比類ナキ国体ヲ有ス故ニ帝国臣民タルモノ、協心戮力祖先ノ美風ヲ継承シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼セザルベカラズ是レ実ニ教育ノ大本ニシテ又国家ガ特ニ教育ヲ布ク所以ナリ故ニ教育ノ任ニ当ル者ハ常ニ国民教育ノ大本ニ思ヲ致シ特ニ左ノ参箇条ニ留意シテ努力奮励セムコトヲ要ス
 第1条 忠孝ヲ本トシ徳性ヲ涵養スベシ
  忠孝ハ人倫ノ大本ニシテ臣子ノ至情ニ出ヅ此ノ大本ニ基キ至情ニ出デテ始メ
  テ百行其ノ軌ヲ謬ラザルヲ得ベシ……
 第2条 実用ヲ旨トシ知識技能ヲ教授スベシ
  教育ノ要ハ実用的人材ヲ育成シ国家ノ需要ニ応ゼシメントスルニ在リ……
 第3条 強健ナル身体ヲ育成スベシ
  凡百ノ事業ヲ遂行スルニハ強健ナル体力ヲ要シ国家ノ富強モ亦強健ナル国民
  ノ努力ニ待ツコト大ナリ……


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コメント (6)
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