日本軍のカニバリズム(Cannibalism):人肉食事件-「慮人日記」より
次はフィリピンのネグロス島で、敵軍だけではなく友軍の攻撃にも怯えながら、飢餓や悪疫と闘い奇跡的に生還された小松真人氏の「慮人日記」(ちくま学芸文庫)より抜粋する。
行き倒れ-----------------------------
蟹釣りに上流の方へ行くと大きな岩の上に髭だらけの男が寝ている。死臭がしている。死んでいるのかと近寄って見ればまだ息をして薄目を開けている。どうしているのかと問えば「小諸部隊の水夫だが糧秣がないので五、六人で食を求めてここまできたが飢えで動けなくなり、皆に置いてゆかれてこうしている」という。「何か食べるか」と問えば、「もう何も食べたくない、御慈悲ですから水を一杯くれ」と手を合わせて拝むので一杯飲ませると喜んでいた。もうどうせあと、二、三日の命だ。名前を聞いて別れる。それから二日目に行ってみた時は意識もなくコンコンと寝続けていた。その晩大雨が降ったので多分死んだろうと思ったら、果たして死んでいた。
山では行き倒れはいたる所にあり、皆互いに腹が空いているので穴を掘ってやる元気も体力もないので倒れたところで朽ちてゆくだけだ。山の登り口とか乗り越えねばならん大きな倒木、石等の所には必ずといって良い程死んでいた。
死ねば、いや死なぬ内から、次に来る友軍に靴は取られ服ははがれ、天幕、飯盒等利用価値のある物はどんどん取り去られてのでボロ服を着た屍以外は裸に近い屍が多かった。
追いはぎ------------------------------
糧秣のない部隊は解散して各自食を求めだした。そして彼らの内、力のない者は餓死にし、強き者は山を下りて比人の畑を荒し、悪質の者は糧秣運搬の他の部隊の兵をおどしあげて追いはぎをやったり、射殺したり切り殺して食っていた。糧秣運搬中の兵の行方不明になった者は大体彼等の犠牲となった者だ。もはや友軍同士の友情とか助け合い信頼というような事は零となり、友軍同士も警戒せねばならなくなった。
帰れぬ兵------------------------------
河原に住んでいると糧秣を失った兵隊が食を求めてこの谷川づたいを下り、食糧地帯へ出ようとたくさん通過して行く。一人、二人の者、五人、十人と組んで行く者等様々だが、皆二日も三日も食べていないので足元はよろよろして、ころんでも良い所ではころげながら下って行く。悲惨なものだ。中には遺書を自分に託して行く者もいた。
悲惨だったのは特攻隊の飛行士が夕方空の飯盒を持って我々の所に来て、銃でも刀でも質におくから一食分の米を貸してくれという。我々も人に貸す米等なかったが、余り気の毒なので籾糠を与えた。泣きながら近くの天幕へ帰って行った。
彼等より川下の連中が近くに泊まった時は、いつ手榴弾が投げ込まれ、米と命が奪われるかわからんので警戒せざるを得なかった。
後にこの谷川をどの辺まで下れば魚がいるかと調査に行った時、滝壺に行き当った。両側は絶壁でそれから下は下れん様になっていた。たくさんの行き倒れを見つけた。この川を下った者で助かった者はおそらく無かったと思う。
女を山へ連れ込む参謀------------------------
兵団の渡辺参謀は妾か専属ガールかしらないが、山の陣地へ女(日本人)を連れ込み、その女の沢山の荷物を兵隊に担がせ、不平を言う兵隊を殴り倒していた。兵団の最高幹部がこの様では士気も乱れるのが当然だ。又この参謀に一言も文句の言えぬ閣下も閣下だ。
サンカルロスやレイテ、カランバン、オードネルとあちこちの収容所を移動させられた小松真人氏は収容所で聞いた話として、下記のような人肉食の事実を明らかにしている。
サアマール島から新たな投降兵--------------------
12月17日に、痩せ衰え、ややむくみを帯、真っ黒に日焼けして、若者とも老人ともつかず、目ばかり野獣の如く光った五百羅漢の群れが入所してきた(70名)軍規は厳正だ。サアマール島から来たという(塩なしの生活のレコード)。身体がすっかり衰弱しているので、小柄の人間ばかりのように思われた。山の生活は言語に絶するものがあったという。人間狩りをやって食べたという話さえした。投降がもう少し遅れたら、栄養失調で皆倒れただろうと行っていた。
ホロ島の話-----------------------------
同じ幕舎にホロ島の生残者藤岡明義君(大阪商大出)がいた。ホロ島とはミンダナオの南の島(ニューギニアとの間で、ここには飛行場があり七千名近い陸海兵と、土民にはモロ族がいた。兵は米軍上陸以来山に追いあげられたが、島が小さいのでその大半は敵の砲弾で倒され、残りはマラリアと飢え死にと自殺とモロ族の襲撃で倒され、食糧がないので友軍同士その肉を食い合ったという。そして終戦後この島から生きて出たのはわずか七十名だけだったという。
ルソン島の話----------------------------
我々はネグロスで、ルソンには山下兵団がいて相当武器もあるだろうから、そうおめおめと負けんだろうと思っていた。ところがここへ来てルソンの話を聞くと、初めは大分やったようだが、あとは逃げただけだったことが分かった。しかも山では食糧がないので友軍同士が殺し合い、敵より味方が危ない位で、部下に殺された連隊長、隊長などざらにあり、友軍の肉が盛んに食われたという。ここに至るまでに土民からの略奪、その他あらゆる犯罪が行われた事は土民の感情を見ても明らかだ。
ミンダナオ-----------------------------
ここは全比島の内で一番食物に困った所で、友軍同士の撃ち合い、食い合いは常識的となっていた。行本君は友軍の手榴弾で足をやられ危なく食べられるところだったという。敵も友軍も皆自分の命を取りにくる思っていたという。友軍の方が身近にいるだけに危険も多く始末に困ったという。
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