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里山の暮らし

長野県旧鬼無里村。地元の方が、都会からあてどなくドライブに来た人から
「ここ何も無いんですけど、どこに行けばいいですか?」と聞かれたことがあるそう。
何も無いという人にとっては、確かに楽しい場所もおいしいお店も何も無い。
何もかもあるという人にとっては、青い山も薫る風も清澄な水も多種多様な動植物も揃っている。
私がこの村で居候生活していた十数年前、あの頃は私も若かった。
あまりにもエンターテイメントやアミューズメントというものが全く無くて、
ややもすればあまりにも濃密すぎる大自然にのみ込まれそうな不安に苛まされていた。
たまに都会へ出かけては、ほっと一息ついていた。
今は逆。ここへ来るとほっとする。空気の匂いが明らかに違う。



これ以上高い場所には人が住んでいない、という標高900mの集落。
湧水の豊富な地域で、いたるところで滔々と清水が流れている。
「防火用水」の水槽に絶え間なく注ぐ水も底まですっきり澄みきっている。夏でも手がしびれるような冷たさ。

お世話になっている地主さんは蕎麦打ち名人で、毎度食べきれないほど手打ち蕎麦を御馳走して下さる。
蕎麦の実の甘い味。水は山から湧きたての清水。
お腹がはちきれそうになるほどの超大盛りお代わり付き。これを贅沢と言わず何と言おう。

場所によっては稲の収穫が始まっていた。
稲作もされている地主さんが「もう今年の収穫が始まるから」と、去年収穫されたお米を分けて下さった。
昨年のお米といっても、精米せずにもみ殻がついたままで保管されているので劣化は少ない。
震災前の去年のお米。小さなお子さんがいる家庭など、もっと切実に必要としている人は世の中にいるのでは?
完全無農薬有機栽培というわけではないけれど、山の清冽な清水で地主さんが天塩にかけて育てたあきたこまち。
もし、ご入り用な方がいらっしゃいましたら杜屋へご連絡下さい。→メールはこちら

うちの畑のお隣のおばさんが、鍬をふるい、種を播いていた。ありふれた光景が目に焼き付いた。

昨日、テレビでDASH村を見た。震災後初めて現地へ足を運ぶ完全防護服姿のTOKIOのメンバー。
あんなに豊かで美しかった農村風景にはびこる雑草。測定される汚染濃度。
避難してマンションで暮らす「アキオさん」。いたたまれない。
DASH村を見るたびに思うけど、私がお世話になっている長野畑の地主さんは、アキオさんに似ている。
頭がよく知恵と経験があり何でも自分で出来るお百姓=百の仕事が出来る人。
「ひっくり返って寝てても仕方ないから」と言って野菜の種を播き育てるアキオさんの姿が切ないほど尊い。
「何もやる仕事がない」ということが、農村で暮らしてきた人にとってどれほど苦痛なことなのか。

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