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夏休み旅日記~8月15日



県道40号を北上。奥入瀬渓流なみに美しい熊ノ沢川を経由して八甲田山へ。
八甲田山雪中行軍遭難事件から105年を経た今。
遭難の地に巨大な銅像として凛々しく立つ後藤伍長は、行軍壊滅状態を本拠に知らせるべく胸まである積雪の中を一人突き進み、仮死状態で発見された後蘇生した。
未曾有の惨劇の中で偉業をなしたこの後藤伍長は、私の母の父の姉の舅である。
私にとっては血縁のない遠い親戚ではあるが、後藤伍長と同郷の宮城県栗駒市に現在も住んでいる祖母にとっては近い関係。
田舎なのであの辺一帯は皆親戚つながりがあるらしく、平成14年の遭難100周年の時には大型バスを借り切って栗駒近辺の一族郎党で八甲田に出向いたそうだ。後藤伍長はとても酒好きな人で、凍傷で両手両足切断しながらも両腕先で杯を抱えるようにして酒を飲んでいたという話を祖母から聞いた。

八甲田山死の彷徨
新田 次郎
新潮社

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むつ市の本屋で新田次郎の「八甲田山 死の彷徨」の文庫本を見つけたので買った。
悲劇のノンフィクションをおもしろいというのも何だが、ぐいぐいと惹きつけられて目を離せず一気に読みきった。親戚が関わっていることもあり、今回の旅の新郷村から田代を抜けて青森へ出るルートがまさに弘前三十一連隊の道程だったということもあるが、風化した過去のドラマという感は全くなく、非常におもしろい本だった。
新田次郎の本を読むのは実は初めて。他の著作も読んでみたい。

数年前青森を旅した時は無かった「八甲田山遭難資料館」なるものが幸畑に出来ていた。
赤松の巨木と桜の木がそびえる土手に囲まれて、静謐な空気が満ちているこの場所は、まさに遭難した五連隊の墓地だった。
階級ごとに墓碑が並び「近づきがたいものを感じた」と新田次郎も言っている。

3年前に出来たというこの遭難資料館も充実していた。
行軍の装備、服装、凍傷対策に足をくるんだ油紙や唐辛子なども展示され、また雪中で野営する時に掘った雪濠に身動き出来ないほど隊員がぎっしりとつまった様子の模型などもあった。

興味深く展示品ひとつひとつに顔を近づけて眺めていた。
ゴン。鈍い音が館内に響いて注目を浴びる。
ショーケースのガラスに気づかずおでこをぶつけてしまった。恥ずかしい~。
照れ隠しに夫に向かって「ぶつけちゃったよ~」とニヤけてごまかしたが、やっぱり私って鈍くさい。


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