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杜屋の茶菓菜 vol.2 続きの続き

「杜屋の茶菓菜 vol.2 ‘04.9.30.発行」
~お茶・菓子・果物・野菜・素材・酒・肴・酒菜などについてのひとりごとです。~

八月一日(日)
長野県に住む知人が、自家製の野菜を盛りだくさん送って下さった。両手にとり、しげしげと見つめる。どうしてこんなに立派なのが出来るんだろう…。自分で作った野菜と比べ、少し悲しくなる。じゃがいもはピンポン玉大、とうもろこしはヒゲしか出ない、枝豆はさやに豆が入ってない、きゅうりは一回転する…わんさか繁ったのは青紫蘇とハーブだけである。買ってきた苗を植えればとりあえず実るかと思ったが、やはり一筋縄ではゆかないらしい。
八月四日(水)
夫が一人で埼玉県・所沢へ行く。ホンダF1チームのエンジニアディレクター・中本さんのお宅に、お話をうかがいに行ったらしい。モータースポーツにうとい私はそれがどれだけ無謀な行為であるか気づかない。
お土産に、自作のブルーベリーシフォンを持っていってもらったら、奥様から、ブルーベリーが底に沈まないようにする作り方を教えて欲しい、と言われたというので、すぐにメールで返答する。ブルーベリーに粉を少々まぶしてから最後に生地に混ぜるやり方もあるが、私の場合は、まずブルーベリーを半分に切り、メレンゲを混ぜる前に卵黄生地に混ぜこんでしまうのだ。ブルーベリーを細かく刻みすぎないのがポイントである。
八月五日(木)
結婚一周年記念日。結婚式、披露宴の類をやらないかわりに、半年毎・一年毎に二人で外においしいものを食べに行ってお祝いしよう、という約束をしたハズだが、そんな覚えは全くないと夫はシラをきる。私もこの日は忙しいのでやめようかと思ったが、こういうことは記念日のその日に実行しないと意味がないのである。
浜松市のレストラン「ミルポワ」へ。ビーフシチューがおいしい欧風家庭料理店。運転手の夫にすまないと思いつつ、私一人、赤ワイン片手にビーフシチューをつつく。
帰宅する前に、新しくオープンした「ジャスコ志都呂店」へ立ち寄る。夜十時をまわっていたため、魚介類のほとんどが半額になっている。そこで目をひいたのが「宮城県産・生本マグロ」。ジャスコオープン記念に1本丸ごと買いつけて、解体ショーでもやったのだろうか。中トロ、赤身、大トロと各種そろって皆半額シールが貼ってある。こんなチャンスでもなければ買うことのない大トロを一パック購入し、帰宅して日本酒を呑みながら頂いた。とろけるうまさとはまさにこのこと。大トロは脂の味が強すぎる、といわれるが、これはしっかり肉のうまみも味わえた。
八月七日(土)
全国的にも有名な袋井市の花火大会へ。先月北海道で箱買いしてきた缶ビール、「北海道限定・サッポロクラシック生」を片手に花火見物。途中から天気が荒れてくる。花火があがった空に雷の閃光きらめき、花火の音と同時に雷鳴とどろき鳴り響く。ものすごい迫力の花火大会であった。
八月十日(火)
車で長野、新潟経由で日本海側を北上。「道の駅・笹川流れ」で、今が旬の岩ガキが売ってないか土産物売り場を物色するが、値段が高い。外にでて、あてもなく歩いていると、道むこうから「~一ヶ二〇〇円だよ。」との声が耳に入ってきた。ん?よく見ると、若い夫婦がビニールのエプロンをつけて長靴をはいたおばさんと何やら交渉している。魚屋ではなく、魚問屋といった感じのところだ。道を横断して後ろから様子を眺めていると、岩ガキを取り出してきたおばさんが、金づちでたたいてナイフを入れている。どうやら岩ガキの貝柱を切って開けやすくしているらしい。「もう仕事終わろうとしてたところでしょ。悪いねー」と言いながら、彼らは二〇個買っていった。そこですかさず私も負けじと「すいません、こっちも岩ガキもらえませんか?四個でいいんですけど…」
その先の海に潜って遊んだあとに、日本海に沈む夕日を見ながら岩ガキを食べた。新鮮そのものの香りの「海のミルク」が口のなかにとろりと広がった。
八月十一日(水)
秋田と山形の県境に位置する鳥海山へ登山。今回で三度目である。といっても前回は二回とも頂上まで登らずに途中で引き返してきた。いつも無計画の行き当たりばったりの旅行をするため、たまたま鳥海山の近くまで来た時、「んじゃ登ってみっか。」という感じで登り始めるので、当然時間が足りなくなってしまうのだ。先月、北海道から帰ってくるフェリーの中で同室になった登山家のおじさんにその話をしたら、「山登りは人生と同じだよ。」と言われてしまったので、今回は頂上を目指すことにした。
ありの行列のごとくに多くの人が頂上に向かって歩いていく。かなり必死でやっとこさ達した頂上から、男鹿半島、白神山地、飛島などが見渡せた。一瞬、太陽に虹色の環が二重にかかった。
はればれとした気持ちで下山する。上りの時とうってかわって人の姿が見えず、まんまと道に迷ってしまった。夕方5時半にようやく駐車場に戻り、夕日を眺めてから、車で下る。
とっぷりと日が暮れた暗い道の脇に「……水」とかかれた道標が一瞬目に入ったので、車を引き返すと、涌き水などどこにもない。あきらめて行こか、と夫を促すと、「こっちから水の音がする。」と言いながら闇と化した林の中へ、ずんずん入りこんでいく。懐中電灯も無しに、沢にでも落ちたらどうすんだーと思いつつ、後を追う。するとそこにはちゃんとコップまで備えてある湧水があった。車に常備している水タンクにたんまり汲んでいく。
八月十二日(木)
秋田県・五城目町へ。数百年の歴史があるという朝市へ足を運ぶ。お盆のお供え用の飾りや果物を売っているお店が多い。その中で、紫色をした洋なしを見つけた。聞けば、いちじくと洋なしをかけ合わせたものだといって、試食させてくれた。…これは買わないことにする。
お惣菜のお店に「サンド一〇〇円」と書いてある三角形のフライが並べてある。次から次へと売れていく。サンドとは一体何ぞや?と思い一個買って揚げたてアツアツをほおばる。耳を落として薄切りにした食パン二枚でひき肉入りのじゃがいもコロッケの具のようなものをはさみ、斜め半分に切ってからフライの衣をつけて油で揚げたものだった。なかなかイケる。人気があるのもうなずける。
鈴木京香のJR東日本のポスターの舞台となった酒蔵「渡邊彦兵衛商店」で、吟醸酒の酒粕を買い、野菜の種屋で手作りの紙封筒に入れた辛味大根の種を買って朝市をあとにする。
琴丘町の道の駅へ。名物「こはぢゃソフト」を食べる。こはぢゃとは、ツツジ科の果樹「ナツハゼ」の方言だという。ブルーベリーとカシスの間のような、甘酸っぱい風味である。実をいうと、このソフトを食べるのは三回目である。昨年五月、東北一周旅行した際初めて食べて、そのおいしさに感激した。東北の道の駅を八十三ヶ所巡り、そのほとんどで名物ソフトを食べたけど、この「こはぢゃソフト」は堂々一位に輝いた。(ちなみに二位は道の駅・かみこあにの「ほおずきソフト」。)
ところが、昨年八月に二度目にこの「こはぢゃソフト」を食べた時は、最初のような感動が無かったのである。正直、「あれ、こんなもんだったっけ?」と思ったのだが、ソフトの為にわざわざここまで運転してきてくれた夫にすまなくて、言葉には出せなかった。
それが今回、ぺろっとなめて、ついお店の人のいる前で言ってしまった。「あっ!今日のはおいしい!」その言葉を聞いた夫が、「でしょーそうだよね。」と相槌を打つ。何が一体違うのだろう。今日のはなめらかなのである。凍っている粒子の一粒一粒が緻密な感じなのだ。しかし、舌ざわりの違いでここまで味の印象が変わるものなのだろうか。特にソフトクリームなど機械が作るものだから、そんなに変化はないものだと思うのだが、それは素人考えだろうか。よく出来たここの「こはぢゃソフト」は、酸味と甘みのバランスが絶妙で、口に入れた瞬間にスッと溶け、まるでおいしいケーキ屋のムースを食べているようだ、と思った。
バイクで東北ツーリング中の夫の友人から、タイヤがパンクしたので鹿角に滞留しているという連絡が入る。鹿角の道の駅で彼と落ち合い、道の駅内のレストランで一緒に食事をする。どこのファミレスにもありそうなサラダバイキングコーナーがあった。しかし何とここのは、全て地元鹿角産の朝採り野菜だという。トマトをはじめ、アスパラ、ブロッコリー、とうもろこしなど、一皿三〇〇円で食べ放題。みな味が濃くて甘みがあっておいしい。野菜の不足しがちな長期旅行者にはありがたい企画である。是非日本全国の道の駅でやってもらいたい。
この日の夜は、奥入瀬渓流北の一軒宿、蔦温泉に宿泊。最長十一日間連続で車中泊の旅をしてきた我々であるが、たまにはどっかいい温泉にでも泊まろうか、といってこの日の朝、ダメもとで蔦温泉に電話してみたら、たまたま今日だけ空いていたのだ。ここの温泉は源泉の上にそのまま湯船があるため、湯に身を浸すと足元からポコリ、ポコリ、と泡が上っていく。東北屈指の名湯である。食事も美味しく、宿の裏には散策できる原生林が広がっており、気持ちがいい。たまの贅沢とはこういうものだ。
八月十三日(金)
青森県八甲田山へ。一〇〇年以上の時がすぎた「八甲田山雪中行軍」。銅像の後藤房之介伍長は私の母方の親戚にあたる方である。像の前で手を合わせ、今や遠い過去となった事件に思いをはせる。
青森市の三内丸山遺跡へ。青森なまりのボランティアガイドのおじさんの後ろにくっついて、遺跡をまわる。縄文時代の人々の、日々の暮らしの豊かさを思う。この遺跡は、そもそも野球場を建設すべく、整地し始めたら発見されたという。新潟県の奥三面ダムのように、貴重な縄文遺跡の存在が認められていたにもかかわらず、ダム工事を途中で止めずに水の底に埋没させてしまう愚行をやってのける日本では、三内丸山遺跡は見事に保存されているのではないかと思う。
浅虫温泉の道の駅で温泉に入り、一階売店で売っていた下北半島・大間町のお寺の住職が作っているという地発泡酒をフロ上がりにあおる。下手な地ビールよりもおいしかった。そのまま道の駅で車中泊。
八月十四日(土)
朝六時に起きて、道の駅近くの食堂「ろくさん」へ歩いて行く。ホタテの直売もやっているこの食堂、昨年五月に青森旅行した際たまたま見つけ、「海鮮丼」と「焼き魚定食」を食べたのだが、隣のテーブルの人が食べていたホタテ丼が実においしそうだったので、「次回は必ずホタテ丼」と心に誓ったのだ。静岡から車で行くとなると往復二〇〇〇㎞はかかるが仕方あるまい。
私は念願の「ホタテ丼」を、夫は「ホタテ貝焼き定食」を頼む。笑顔のかわいい津軽美人の奥さんが運んできて下さる。丼ごはんにホタテの刺身がびっしりのった上にいくらまでのっかっている。そしてみそ汁。なにをかくそうこの店は、定食全てにホタテの稚貝のみそ汁がついてくるのだ。これがまた、絶品なのである。しかしよく見ると今回のは、稚貝ではなく大きい。みそ汁に使うのがもったいない位の大きさである。うほー♪前回来たのは五月。今は八月。この三ヶ月が大きさの差なのかも。今回はホタテの煮つけまでついている。たまらずに箸をとってかっこむ。半分残しておいて、夫ととりかえっこして食べるのが、我ら夫婦の外食時の掟なのだが、それを忘れてむさぼり食べる。その勢いに驚いた夫が慌てて私を制し、半分以下となったホタテ丼と半分以上残っているホタテ貝焼き定食を交換して再び食べ始める。こころゆくまで堪能した。
駐車場に戻る途中にあった「永井久慈良餅店」で、板かりんとうを自分用のお土産に買う。浅虫名物の久慈良餅もおいしいが、私はここの板かりんとうが好きなのだ。電車の切符をもっと細長くしたような形で、カリッとした食感と、ごまの香りに病みつきになる。
浅虫温泉駅前で、無料の足湯につかりながら、ここまで来て良かったと感慨に浸る。
八月二十一日(金)
我が家の裏の物置の横から、得体のしれないつる性の植物が勝手に一本生えてきた。じゃまなので、引き抜こうと思って手をふれたら葉っぱから独特なニオイがする。もしかしてゴーヤかも?と思い、そのまま放っておくことにした。それから約一ヶ月。今日のおかずはゴーヤチャンプルー。畑に植えた野菜はろくに実を結ばないのに、勝手に生えたこんなのに限ってしっかり結実してくれる。
八月二十四日(火)
夫の釣りキチの友人から「大きなカツオが釣れたから、夕飯食べに来て下さい。」と連絡が来た。なんと体長八〇㎝、体重一〇㎏のカツオだそうだ。刺身、タタキ、煮つけをお腹一杯頂く。てんこもりの刺身の横に、ちょこんと小鉢で出してくれたのはカツオの皮の湯引きだという。カツオの皮って硬そうだけど、食べられるのか?と思いつつ箸をつけると、これが未だかつて味わったことのないおいしさ。珍味である。酒がすすむ。尾っぽの近くの腹側の皮だけはこうして食べられるという。
八月二十八日(土)
我が福田町の花火大会。非常に知名度が低いので、仙台市の七夕前夜祭花火大会を見て育った私としては、信じられないほどお客さんが少ない。花火打ち上げ場所の目と鼻の先の河原に大きなシートを敷いて、二週間前に新潟で箱買いしてきた「エチゴビール」を片手に花火見物。台風が来ていたので、強風が花火の煙を一瞬で吹き飛ばしてくれて、とてもきれいだった。
九月五日(日)
七月に北海道旅行に行った際に一泊した、標茶の民宿「木理」さんから、サンマが一箱届いた。びっくりして開封し、手をつっこんでみると、ピッカピカの特大サンマが二十四匹も入っている。電話をして、「代金を支払います」と告げると、「この間いろいろ頂いたお礼です。安いので気にしないで下さい。」とおっしゃる。確かに旅行から帰ってきてから宿の前で撮った写真ともに送ったものがあるが、私の伊予柑マーマレードの小瓶一つと地元のウコンパウダー一つだけである。御夫婦ともに酒豪なのでウコンを送ったのだが、これも地元では格安で手に入るものだ。海老で鯛ならぬサンマを一箱釣ってしまったようなものである。かえって申し訳ないと思いつつ、友人をよび、刺身、〆サンマ、炭火焼、蒲焼、にんにくバター焼き、南蛮漬け、醤油漬け丼にして大変美味しく頂いた。
そしてまだ南蛮漬けが冷蔵庫に残っている三日後、宮城県気仙沼市からの宅急便が届いた。仙台の実家の母が、気仙沼港直送サンマを私達の為に注文してくれていたのである。なんとありがたし。再び友人をよび、右記のメニューをくり返して食べ尽くした。
気仙沼のサンマには、塩焼き用に大分特産のカボスもついていた。カボスとは、漢字で香母酢と書くということを初めて知った。すっぱい母の香り…。すえたような…?
焼き魚や鍋料理の風味付けに使うカボスだが、マーマレードにしてもおいしいらしい。たくさん手に入ったら試してみたい。
九月十七日(金)
仙台の叔母から電話がきた。
「またお菓子お願いしたいんだけど…スコビッティ一〇袋いいかしら?」
「…スコビッティじゃなくてビスコッティだよ。」
「あ、そうだっけ。スコビッティなんて、イタリア人の名前みたいだもんね。ハハハ…」
…そんな名前のイタリア人がいるかどうかは知らないが、確かにビスコッティはイタリア発祥のお菓子である。
しょっちゅうお遣い物として私のお菓子を注文してくれるこの叔母のおかげで、今や叔母の大学時代の同級生の姪御さんにあたるという方からも、直接注文のお電話を頂くようになった。誠にかそけき縁であるが、大切につないで行きたい。
九月二十六日(日)
浜松市福祉センターの調理室を借りて、二十五名様を対象にしたお菓子教室をやる。私がお教えするのだが、教室というよりは、皆で作ってその場で食べて楽しむ会、といった感じである。昨年に引き続き二回目だが、何度やっても自分の口下手さはなおらない。「お菓子を作る」ことと「お菓子作りを教える」こととは、天と地ほどの違いがあるのだ。でも、オーブンの前で残り時間をカウントし、「5,4,3,2,1,出来たー」と言って拍手している様子を見ると、こっちも楽しくなる。
九月二十七日(月)
イタリア出張から帰ってきた夫の会社の友人から「生ハムとチーズとスパゲッティとグラッパを買ってきたので、うちに食べに来ませんか。」と連絡がきた。やったー生ハム!私の大好物である。「一度でいいから生ハムをてんこ盛りにして食べたいと思っていたんですー。」と言ったら「そんなにないです。スミマセン。」と言われてしまった。
イタリアの蒸留酒、グラッパはブランデーと違い、あまりお菓子作りに使われないので、名前は知りつつも、一度ものんだことが無かったが、一発でやみつきになってしまった。華やかで典雅な香りのお酒をちびり、ちびりと頂く。アルコール度数が四十二度あるので、おちょこ一杯で酔いがまわってくる。グラッパおいしいなー帰りに酒屋に寄って買ってこうかなーでもきっと値段高いんだろうなーと思いつつ、重い腰をあげ、帰り仕度をして玄関を出かかったその時!「あ、良かったらこれ持っていって下さい。杜さんへのお土産です。」…何とまだ八分目以上残っているグラッパを丸々一本下さったのである!やったーグラッパ!るんるん気分で帰宅し、切子のグラスを取り出してあらためてのみ直そう、と思ったが、一口のんだら睡魔におそわれ、そのまま寝入ってしまった。
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