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2月22日・「世間虚仮 唯仏是真

 

2月22日

「世間虚仮、唯仏是真」

(せけんこけ・ゆいぶつぜしん)

 

聖徳太子(推古天皇30年=622年・2月22日没)

のことばに、「世間虚仮・唯仏是真」がある。

「世間は虚仮にして、唯(ただ)仏のみ是れ真なり」と読む。

しかしこの言葉ほど誤解されているものは少ない。

たとえば、江戸時代の儒者たちは、聖徳太子は摂政皇太子であったから政治家で有った筈だ。その政治家が自分が治めるべき世間を虚仮(こけ=いつわり)と見ていたのでは、いい政治が出来るわけはない―と攻撃をしている。

 だがそれは聖徳太子の言葉を曲解したものだ。私はそう思う。

聖徳太子の考えはこうである。

―私たちの生きているこの世間は、差別の世界である。

大と小、長と短、男と女、

美と醜、善と悪、益と害・・・と様々な差別がある。

 しかしそうした差別は“仮”のもの、“虚仮”なるものであってそれらの差別を絶対視してはならない。

 それらの差別を超えた所に、無差別平等の仏の世界があり、その仏の世界のみが真実なのだ。我々はその真実の仏の世界を忘れてこの世間の差別にこだわってはいけない。

そう太子は言われたのだと思う。

 たとえば、私たちは学校で出来る子、出来ない子に差別している。本当は、どの子もすべて素晴らしいほとけの子なのに、子供たちに点数をつけて差別しているのである。

 それはよくないことだ。しかしいま点数評価を一切止めると、現行の教育制度は崩壊してしまう。

 だから文部省は、差別の制度を守り続けるであろう。しかしその時でも文部省のお役人は、子供を差別しても良いとは思わないで欲しい。

人間を差別する権利は誰にもない。

差別せざるを得ないのであれば、それは仮に差別させて貰うのだ。涙をこぼしながら、差別を許してもらう。

それが「虚仮」の意味である。

 会社の経営者は社員の給料に差をつけねばならぬだろう。しかしその時でも、働きの悪い者には給料は低くて当たり前・・・といったふうに考えないでほしい。

 申し訳ないが、会社を運営していくために差をつけさせていただく・・・と、詫びながら差をつけさせていただくのだ。そういうことを聖徳太子は教えられたのである。

 

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