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安倍政権と創価学会の野合。その3

安倍政権と創価学会の野合

その3

公明票に頼らぬ自民議員はまず落選

 その中で学会と後藤組の間にイザコザもあったが、

公明党の藤井富雄がパイプ役として、後藤組組長の後藤忠正と密会を重ねながら両者の関係は続いて行った。

 そして1996年、この二人の密会ビデオが自民党に流れるわけです。当時公明代表だった藤井は弱みを握られた。それで自民党は野中広務を中心に揺さ振りをかけ、自公連立の流れが出来たのです。

 野中は自公連立について『叩きに叩いたら向こうからすり寄ってきた』と答えたそうです。公明党は自民党に屈服する形で連立を強いられたのです。

つまり、自公連立の始まりから、公明党は『平和の党』として死んでいたということです。

 それ以後公明党は看板を偽りながら1999年の周辺事態法。2003年のイラク特措法。そして昨年の戦争法に唯々諾々として賛成票を投じている。

『戦争の党』以外の何物でもない。

 《安倍と創価学会はズブズブの関係だ》

―自公連立で公明党は変質したのですね。

佐高;そして自民党もまた変質したのだな。

先ず自民党は、「自由と民主主義」という理念を捨てました。

 そもそも公明党は創価学会政治部あるいは池田大作の私党に過ぎず、自由も民主主義も存在しない。

 公明党議員に「池田大作を批判できるか」と問い詰めれば、おそらく全員が黙り込むでしょう。特定の人物を批判する言論の自由を持たない公明党に自由はない。  続く

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