goo

卑弥呼-女王創出の現象学-   大阪府立弥生文化博物館

2015-05-03 | ア-トな話し
2015年5月1日(金曜日)~7月5日(日曜日)

大阪府立弥生文化博物館は2009年以来である

ブログはここ 弥生文化博物館-池上曽根遺跡-貝塚寺内町

この時のテーマは、「弥生建築 卑弥呼のすまい」
卑弥呼ファンなのです(笑)



「卑弥呼と出会う博物館」をコンセプトにリニューアルした弥生文化博物館が、謎の倭国女王・卑弥呼にふたたび挑みます。


卑弥呼(ひみこ、生年不明 - 248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。後継には宗女の壹與が女王に即位したとされる。

邪馬台国(やまたいこく)は、2~3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつである。 邪馬台国は卑弥呼が治める女王国であり、倭国連合の都があったとされている。邪馬台国の所在地が九州か近畿かは、21世紀に入っても議論が続いている。



卑弥呼の登場です



卑弥呼の横顔



卑弥呼の館 復原

中央が高殿、その右が神殿



レプリカですが、印影も見えるように工夫されてます


金印

「漢倭奴国王」は、漢の皇帝から日本の「奴(な)」国の王に送られた称号で、この文を刻んだ金印が発見されています。年代は1世紀。漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)国宝です



そして、「親魏倭王」は、魏の皇帝から日本の「邪馬台国」の女王卑弥呼に送られた称号で、『魏志倭人伝』の記載から、この印文をもつ金印が卑弥呼に与えられたと考えられています。年代は3世紀。
まだ発見されていません。卑弥呼のお墓にある可能性が大きいと考えられている

鏡とか鉄器も展示されていました




超大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)




画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)




マンガ日本史 改訂版 【創刊号】

これで更に、卑弥呼の勉強をしよう。


近くの「池上曽根史跡公園」へ行きました 弥生時代の建物が復原されています

いずみの高殿

東西17m、南北7m、面積約135m²の最大級の独立棟持柱(むねもちはしら)の高床式建物跡で、神殿らしい。
建物を支えていた直径70cmヒノキ柱の基礎部分25本が腐らずに出土。
柱の間隔は1.8m、長辺の中央部2.3m前後。
土器編年では弥生時代中期後半であるが、柱の1本を年輪年代測定法で調査の結果、紀元前52年に伐採されたことが判明。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )