和歌山市の岡公園 その2です
岡公園の中の小山、天妃山からの和歌山城天守閣です
ヤドリギも映っています
岡公園の由来を記した石碑がありました
【岡公園記】
明治29年(1896)建立
和歌山城の南東部は古くから岡山と呼ばれていました
この山はかつて頂きに弁財天社が祀られていたことから弁財天山、
または天妃山(てんぴさん)と呼ばれています
ここは和歌山城築城当時の石切り場といわれ、意思を切り出した矢穴の跡が
現在も残っています。江戸時代、山麓には場内の建物を普請するための
御作事所や、その職人たちが居住した百間長屋がありました
また、山頂から城郭の一部を見下ろせることから、登ることが禁じられていました。
この場所が「岡公園」として初めて公開されたのは明治27年(1894)のことです
この「岡公園記」の碑は明治29年(1896)に建立され、岡公園の沿革が刻まれています
文字は、明治の三筆とうたわれた書家のひとりである日下部東作(日下部 鳴鶴)の筆に
よるものです。
【注】
明治の三筆 日下部 鳴鶴、中林梧竹、巌谷一六
kazu_san ヤドリギ ブログはここ ヤドリギ 岡公園(和歌山市)
ヤドリギのアップ写真
さらに近づいて撮りました。
たまたま発見 ヤドリギの新芽(?)
若々しいですね
階段の上からの写真
ヤドリギも見えます 右の石はドデカイですね
岡公園の中の小山、天妃山からの和歌山城天守閣です
ヤドリギも映っています
岡公園の由来を記した石碑がありました
【岡公園記】
明治29年(1896)建立
和歌山城の南東部は古くから岡山と呼ばれていました
この山はかつて頂きに弁財天社が祀られていたことから弁財天山、
または天妃山(てんぴさん)と呼ばれています
ここは和歌山城築城当時の石切り場といわれ、意思を切り出した矢穴の跡が
現在も残っています。江戸時代、山麓には場内の建物を普請するための
御作事所や、その職人たちが居住した百間長屋がありました
また、山頂から城郭の一部を見下ろせることから、登ることが禁じられていました。
この場所が「岡公園」として初めて公開されたのは明治27年(1894)のことです
この「岡公園記」の碑は明治29年(1896)に建立され、岡公園の沿革が刻まれています
文字は、明治の三筆とうたわれた書家のひとりである日下部東作(日下部 鳴鶴)の筆に
よるものです。
【注】
明治の三筆 日下部 鳴鶴、中林梧竹、巌谷一六
kazu_san ヤドリギ ブログはここ ヤドリギ 岡公園(和歌山市)
ヤドリギのアップ写真
さらに近づいて撮りました。
たまたま発見 ヤドリギの新芽(?)
若々しいですね
階段の上からの写真
ヤドリギも見えます 右の石はドデカイですね