無意識日記
宇多田光 word:i_
 



おおぅ、また新情報追加か。しかも2つも!? 毎日慌ただしいな。大変嬉しいぞ。


https://twitter.com/hikki_staff/status/1694330675137237200
まずは先日TwitchのAmazon Music JPチャンネルで配信された「有泉MUSICA編集長による宇多田ヒカル90分インタビュー」が1週間限定でアーカイブ配信されると。あなめでたし。これで好きな表情のヒカルの静止画を心ゆくまでのんびり眺められるぞ。勿論ディープな音楽談義も必聴だ。平日の20時からという時間帯の所為で観れなかった人にも、もう一度観たい人にも朗報だ。


そして本日のもうひとつのニュースが

「GoldのMVを映画館の幕間で上映!」
https://twitter.com/hikki_staff/status/1694330172378599559

である。一瞬何のことだかわからなかったが、つまり、映画館で、本来なら各種映画の予告編を流す時間帯に『Gold ~また逢う日まで~』のミュージック・ビデオを上映してくれるらしい。あの時間、どれくらいあるんだっけ。10~20分くらいあるんだろうか。だったら4分余りのMVを流す尺自体はあるんだな。

軽くググってみたところ、このような試みは史上初ではないものの、あまり前例は無さそうだ。実際に史上初かどうかより、映画館に来た人が不意討ちでヒカルの歌を聴かされる(そして虜になる)のが狙いだろうから、「幕間にMVが流れることがある」という事実があまり一般的に流布していない段階でトライしてみるという事実が重要だろう。恐らく多くの人が面食らうと思われる。勝手な感想を言わせて貰うと、これ提案して実現に漕ぎ着けた人は仕事が出来るなと。素晴らしい着眼点だ。

勿論、上手くいくかどうかはわからない。映画を観に来た人にとって流行歌のミュージック・ビデオを“半強制的に”観させられるのが好評に繋がるか不評に陥るか、結構予想がつかない。が、だからこそ「実際にやってみる」のがいいわよね。それが出来るだけの知名度と実積が宇多田ヒカルにはあった訳だ。大変、素晴らしい。

問題は、さっきもちらっと触れたけど、尺だよね。フルコーラスなのか、それともスポット的にワンコーラスだけ…或いはもっと短い?わかんないけど、『Gold~』という楽曲の性質上、フルコーラスでないと意味がないとも思えるし、まだ論じてないけどMVのストーリー性としてもこれもフル尺で観てみて欲しいところ。しかし、15分前後の予告編枠で4分強の時間を独占するって出来るのかな? 結構大胆だよね。いやホント、私今観たい映画あったかな。すぐさまチェックしに行ってみたいところよ。

ただ、どの映画を観に行くかだよね。今回は映画館が決まっているし、その館で上映してるものに絞られる。まだ各館のスケジュール観てないんだけど、例えばだけど「キングダム 運命の炎」を観る前に、即ち2時間後にエンドロールで『Gold ~また逢う日まで~』が流れてくるのを聴く前にあのMVを観ちゃったら、どうしてもヨドバシと金魚がアタマに浮かんじゃってエンドロールの余韻が台無しになりはしないかとちょっと危惧しちゃうよね。だとすると、「キングダム 運命の炎」上映直前の予告編コーナーは避けて貰った方がいいか? うーん、ここも判断がつかない。ここらへんも実験色強めになるね。

ともあれ、映画館の大画面でヒカルの動く姿が観れて、更に大音量でまたあの歌声が聴けるというのは心踊らせずにはいられない。私なんぞMVだけ観て映画本編始まる前に帰っちゃうかもしれないけれど(こいつならやりかねない(笑))、まぁそんな極端なことしなくても、ちょっと気になってた映画とかを観るいい切っ掛けになったなくらいに軽く考えて行ってみるのがいいかもしれない。こういう新しい試みはワクワクするねぇ。どんなリアクションが返ってくるか、自分の感想がどんな風になるのか大変楽しみですわいな。

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昨日のメッセ並みツイートの

『理解できないと理解すること。』

の一言は多くの人に感銘を与えたかと思う。が、私の方はといえばこれを読んで「日本語巧いなぁ」とその技巧に着目していたのであった。ちょっとズレてますね。

この真ん中の『と』がいいんですよ。そうか、ここは助詞一文字でいいんだと目から鱗が落ちたわ。

だって本来の意味は

「(他者を)理解できないという事実を(受け容れて)理解すること。」

なんだもんね。これをもっと読みやすく覚えやすく反芻しやすいように短く言うにはどうすればいいか。確かに、最適解は“内容を示す格助詞”「と」の一文字ですわ。それで済みますわ。ここらへんのセンス、限られた文字数に言葉を当て嵌めて意味を伝えないといけない作詞家としての力量が窺えるよ。

これを例えば

「理解できないことを理解すること」

のように書くと、間違いではないにせよ文が多義的に解釈可能になって大意を誤解されるケースが出てくる為ベストとはいえなくなってくる。

ここらへん、英語に訳してみるとわかりやすいかな。(英語苦手な人にとっては余計わかりにくいんだけども)

その「理解できないことを理解すること」を英語にすると

“To understand what you can't understand.”

になるが、元々の『理解できないと理解すること。』の方は

“To understand that you can't understand it.”

なのだ。意味が違ってくるのよね。


なんでこんなことを書いてるかというと、試しにその『理解できないと理解すること。』をグーグル翻訳にかけてみたら

“Understanding the incomprehensible”

って返ってきたから。逆翻訳にかければわかるとおり、これって

「理解できないことを理解すること」

なのよね。それだと

“To solve what you can't solve”

つまり、「解けない問題を解くこと。」の方に解釈されがち。もうこうなるとヒカルの言いたかったことの真逆になってしまう。ヒカルは

“To know THE FACT that you can't know it”

つまり「(他者の事を)知ることは出来ないという“事実”を知ること」が大事なんだと言ってるのだから。

こんななので、ヒカルの呟きを自動翻訳にかけて読んでる日本語圏外の皆さんは混乱してないかなぁ、という勝手な心配をしているのでした。…いやそれならこの日記自体を英語で書けばよかったってか!? …その通りだねぇ…(今の今まで気がついていなかった人…)。

まぁ兎も角、誤解するにせよしないにせよ、このヒカルの呟きもまた僕ら一人々々にとっては「他者の言葉」な訳なので、自分が理解できたかどうかについて油断する事はないようにしておきたいなと肝に銘じ直しましたという話でしたとさ。

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