無意識日記
宇多田光 word:i_
 



チャック・ベリーが逝った。あれやこれやは昨晩呟いたので略。いちばん多い反応は「お疲れ様」「まだ生きてたのか」「バック・トゥ・ザ・フューチャーの人」の3点だったな。日本だとそんなもんだろう。やっぱり大ヒット映画で取り上げられると知名度が桁外れになる。

それは別に日本に限った事ではない。アメリカの歴代レコード(CD)売上上位には、マイケル・ジャクソン、AC/DC、イーグルスなどに混じって「サウンド・オブ・ミュージック」「サタデー・ナイト・フィーバー」「ボディガード」といった各時代の映画サウンドトラック盤が名を連ねている。全国民を巻き込むような特大ヒットの為には映画の力は欠かせない。

そもそも、ロック&ロールだって最初のヒット曲は「ロック・アラウンド・ザ・クロック、映画「暴力教室」の使用曲である。そういやこの映画観た事ないや。この曲が1955年に8週連続1位に輝いた所からロックの歴史は始まっている。時計の針が動き出したのだ。

その事実を踏まえるとチャック・ベリーの訃報が「ロックの創始者死去」という見出しの許でリリースされているのは奇異といえるかもしれないが、前も書いたように彼はその1955年当時の流行にうまく乗っかった「調子のいい男」に過ぎない。様々な要因が伝えられているが、1950年代半ばの「R&Rブーム」は短命であり、ディスコグラフィをみてもチャックのヒット曲はこの数年だけでピタッと途絶えている。恐らく、60年代には「時代遅れ」として忘れられていたのだろう。

彼が今こうやって「ロックの創始者」として崇め奉られているのは、彼の次の世代が恐ろしく巨大な存在になったからだ。ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンである。彼らはチャックからの影響を隠さなかった。黒歴史だろうがストーンズのデビュー曲はチャックのカバーなんだから。彼らがロックという大衆文化を肥大化させた事でチャックは伝説的な存在になったのだ。実態はただのチンピラ親父である。

なので、若い人たちが彼の事を知らない、聴いてみても全くピンと来ない、というのも無理はない。世代が違い過ぎる。しかし、ジョン・レノンやキース・リチャーズ、ジョー・ベリーといったロックの巨人たちが同じフレームに収まっている写真や映像を目にすると、彼らが途端に少年のような表情になっているのが手にとるようにわかる。彼ら巨人にとって存命する真のスーパースターの1人が、チャックだったのだ―という事実は、今回の訃報で知れ渡る事になったのではないだろうか。それでもう十分だ。彼の遺したものの巨大さに較べれば、彼が今生きているかもう死んでいるかなんて関係がない。彼がどんな人間だったかなんて更にどうでもいい事だ。そう言い切ってしまいたくなる。しかし、これから、彼の名前を皆忘れ去ったとしてもロックンロールの遺伝子は末長く受け継がれていくだろう。なんだか、それで総てはOKなんだ。気にする事はない。

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