無意識日記
宇多田光 word:i_
 



1日ずらして書いておくか。

母親の命日を毎年迎える、とはどんな気分なのだろう。人の子である以上そういう日々はやってくる。慣れるというか、それが日常の一部になる、のかな。普段から祈っているのなら逆に、そう特別な事でも、ないのかもしれない。

最近身近でその逆、「これから毎年母が娘の命日を迎える」事例があったばかりだ。それに較べれば、ぐっとこう、自然の流れの一部として、わかるかもしれない。

語るべき事は多くない。起こった事は起こった事で、今生きている人間が学ぶかどうかだ。まだヒカルの歌の歌詞には色濃く影が残る。これから消えていくのか、それとも益々濃くなるのか。もう暫くは見守る事に、しておくか。

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