今から振り返ると、『桜流し』は『ULTRA BLUE』でいえば『COLORS』と同じ立ち位置の曲なのだなと、そう思った。
『COLORS』に関してヒカルは、これで日本とは暫しの間お別れになるから(実際には『ヒカルの5』と『誰かの願いが叶うころ』が生まれたが)と、「これ一曲でアルバムのような満足感を」という意図と気概で作曲した旨語っていた。果たして、確かにこの曲は非常にバランスのよい、これ一曲で満足できるような楽曲になっていた。
これ一曲で満足、というのは例えば献立でいえば丼モノみたいなヤツだ。トンカツだけ出されても人は物足りないと思う。キャベツの千切りに味噌汁、白飯にお新香がついて漸くひとつの献立、「トンカツ定食」が出来上がる。普通、アルバムというのはそうやって作るものだ。速い曲遅い曲、静かな曲激しい曲、楽しい曲悲しい曲、色々と取り揃えて味わって、アルバム全体でひとつの献立として満足させられるように仕上げる。
『COLORS』はカツ丼だった。一品で満足できる一品だ。具体的には、スロウで棚引くような主旋律と、切迫感溢れるリズム隊の組み合わせ。抑えた低音から伸びのある高音まで聴かせるダイナミックな歌メロ。その歌のエモーショナルなアプローチと、水墨画のような主旋律を同時に鳴らして成立させるというヒカルにしか出来ない神業っぷり(この手法はThis Is Love、テイク5等を経て、Goodbye Happinessで頂点を迎える)。様々な対比が大きな振り幅と共に一曲の中に封じ込まれていた。
そんな『COLORS』だから、余程ヒカルの中で重要な曲だったのだろう、『Single Collection Vol.1 -思春期-』に一旦収録されたにも関わらず、リリースから3年半後のアルバム『ULTRA BLUE』にも収録され、その上、アルバムの中心部分に置かれた。昔解説した通り、同作はA面が『夜から朝へ』、B面が『朝から夜へ』の楽曲で構成されているアルバムである。それを反転させるのが、昼に夜をもたらす『Eclipse』と、もう一曲が『COLORS』なのだ。同曲は同作に欠かせない存在なのである。踏み込んで言えば、『ULTRA BLUE』という多彩な楽曲を収録したカラフルなアルバムのカラーをそのまま(歌詞においても、タイトルにおいても)体現した楽曲なのだ。
私は今、『桜流し』にその『COLORS』と同じ匂いを感じている。3年半前の曲。そして、これ一曲でアルバム一作分に匹敵する満足感を与えられるダイナミズム。更には、これが今回の本題なのだが、『花束を君に』と『真夏の通り雨』の2曲の位置付けが、『桜流し』を『ULTRA BLUE』における『COLORS』のように中心に据える事によってよくよく見えてくるような気がしてきたのだ。次回はそこら辺の話をしますね。
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