ジョン・メイオール 来日公演パンフ
パンフは全ての頁が白黒
ジョン・メイオールは、EL&Pのメンバーに先んじて、
英国ロックシーンに登場したミュージシャンです。
私は中学1年の後半から、
洋楽ロックを聴くようになり、
1年ぐらいは、ポール・マッカートニーやビートルズのアルバムを集める事に熱中していたわけですが、
クラスメイトは当時、3大バンドと称される事もあった、
クィーン、エアロスミス、KISSの中でも、クィーンとエアロスミスのレコードを購入していたので、
2つのバンドに関しては、クラスメイトから借りて鑑賞していたわけです。
KISSに関しては、従兄弟が、所持していましたが、
私も、1976年の12月に発売された「地獄のロックファイヤー」を購入しました。
1977年の3月に、
EL&Pに興味を惹かれて、
その後、一部のプログレのアルバムを熱心に集め出したので、
プログレ以外のブリティッシュ・ロックやアメリカン・ロックが、
私のロック鑑賞史からは抜け落ちる事になりました。
ツェッペリンやパープルのアルバムは、同級生が所持していた事もあり、
例外的にアルバムを聴く機会があったのでこれは幸いでしたし、
自分で廉価盤を求めたタイトルもあります。
但し、クラプトン参加のクリームの音楽をラジオ以外で聴く機会に恵まれたのは、
高校を卒業してからですね。
そして、ジョン・メイオールまでは、
数年前までは、全くたどり着けずにいたわけです。
ジョン・メイオールは、
今年の2月にアルバムをリリースしたのですが、
おんとし、86歳、創作意欲も衰えておりません。
このアルバムの事前告知では、
ジョン・メイオールのお気に入りのギタリストとも、
共演を果たしているという事だったのですが、
その中に、ラッシュのバンド活動を卒業した、
アレックス・ライフソンの名前もありました。
これは意外でしたね。
ラッシュが創造した音楽を考えると、
ジョン・メイオールの懐の深さを伺わせる共演だと思います。
ジョン・メイオールとEL&Pのメンバーの接点というのは、
特に存在していないと思われますが、
キース自伝翻訳本の55頁で、
このような言い方をしています。
「~略~クローダディ・クラブという、サリーのリッチモンドにあるかなり古いクラブだった。ここから“ブリティッシュ・ブルーズ・シーン”の全てが生まれた。
バンド・リーダーのジョン・メイオールはその創始者で、彼の結成したブルースブレイカーズの“ひな鳥”たちはみなここから巣立って、ブリティッシュ・ロックという内向きなシーンを彼ら自身の手で未来に向けて発展させようとしていた。」
キースの目に映っていたジョン・メイオールは、
現時点において、爆発的な売れ方をしていないにせよ、
ブリティッシュ・ロックの音楽のルーツにいるミュージシャンの1人なわけです。
パンフの内容の一部
系統図
ジョン・メイオールに関連した物品で、
EL&P図書室2号で取り上げたい数点が、
ご縁があって数年前に我が家に辿り着きました。
その前に、ジョン・メイオールに関して、
少しだけ触れておく必要があると思い、
ロック・ミュージシャンの来日史にその名を刻んだ、
ジョン・メイオールのコンサートパンフを、
取り上げた次第です。
70年10月25日公演のチケットも貼付添付
来日時は、ML誌の表紙にもなっていますね。
以上。
EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
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ジョン・メイオールは、EL&Pのメンバーに先んじて、
英国ロックシーンに登場したミュージシャンです。
私は中学1年の後半から、
洋楽ロックを聴くようになり、
1年ぐらいは、ポール・マッカートニーやビートルズのアルバムを集める事に熱中していたわけですが、
クラスメイトは当時、3大バンドと称される事もあった、
クィーン、エアロスミス、KISSの中でも、クィーンとエアロスミスのレコードを購入していたので、
2つのバンドに関しては、クラスメイトから借りて鑑賞していたわけです。
KISSに関しては、従兄弟が、所持していましたが、
私も、1976年の12月に発売された「地獄のロックファイヤー」を購入しました。
1977年の3月に、
EL&Pに興味を惹かれて、
その後、一部のプログレのアルバムを熱心に集め出したので、
プログレ以外のブリティッシュ・ロックやアメリカン・ロックが、
私のロック鑑賞史からは抜け落ちる事になりました。
ツェッペリンやパープルのアルバムは、同級生が所持していた事もあり、
例外的にアルバムを聴く機会があったのでこれは幸いでしたし、
自分で廉価盤を求めたタイトルもあります。
但し、クラプトン参加のクリームの音楽をラジオ以外で聴く機会に恵まれたのは、
高校を卒業してからですね。
そして、ジョン・メイオールまでは、
数年前までは、全くたどり着けずにいたわけです。
ジョン・メイオールは、
今年の2月にアルバムをリリースしたのですが、
おんとし、86歳、創作意欲も衰えておりません。
このアルバムの事前告知では、
ジョン・メイオールのお気に入りのギタリストとも、
共演を果たしているという事だったのですが、
その中に、ラッシュのバンド活動を卒業した、
アレックス・ライフソンの名前もありました。
これは意外でしたね。
ラッシュが創造した音楽を考えると、
ジョン・メイオールの懐の深さを伺わせる共演だと思います。
ジョン・メイオールとEL&Pのメンバーの接点というのは、
特に存在していないと思われますが、
キース自伝翻訳本の55頁で、
このような言い方をしています。
「~略~クローダディ・クラブという、サリーのリッチモンドにあるかなり古いクラブだった。ここから“ブリティッシュ・ブルーズ・シーン”の全てが生まれた。
バンド・リーダーのジョン・メイオールはその創始者で、彼の結成したブルースブレイカーズの“ひな鳥”たちはみなここから巣立って、ブリティッシュ・ロックという内向きなシーンを彼ら自身の手で未来に向けて発展させようとしていた。」
キースの目に映っていたジョン・メイオールは、
現時点において、爆発的な売れ方をしていないにせよ、
ブリティッシュ・ロックの音楽のルーツにいるミュージシャンの1人なわけです。
パンフの内容の一部
系統図
ジョン・メイオールに関連した物品で、
EL&P図書室2号で取り上げたい数点が、
ご縁があって数年前に我が家に辿り着きました。
その前に、ジョン・メイオールに関して、
少しだけ触れておく必要があると思い、
ロック・ミュージシャンの来日史にその名を刻んだ、
ジョン・メイオールのコンサートパンフを、
取り上げた次第です。
70年10月25日公演のチケットも貼付添付
来日時は、ML誌の表紙にもなっていますね。
以上。
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