エイジア 武道館’83 CD
帯とプラケース内のジャケット
本ブログの性質上、
エイジアの武道館公演にまつわる品物と、
掲載誌等に関して、何度か触れてきました。
この来日公演を探る事物として、
映像に関しては80年代に存在していたようですが、
ライヴアルバムのLPは、
長きにわたって存在していなかったわけです。
やがて、
その時の音源が、
他国では、ようやくCD化されるようになりまして、
このブログでも取り上げたように、
幾つかのヴァージョンが存在しています。
その中で、
国内仕様盤CDが登場したのが、
解説に記載された日時によると、
2001年の夏頃だったようですね。
プラケース上にシールが貼ってあるCDがあると、
述べた事がありますが、
このCDもその部類と思われます
解説は2001年という事もあり、
この時点では、
オリジナルメンバーが数年後に再び集結して、
数枚のスタジオアルバムを制作するという流れになる事は、
解るはずもなく、
ダウンズとパーマーが軸になったエイジアが、
現在まで続いていると述べており、
執筆時点で、
ダウンズとペインを中心としたエイジアが、
ライヴツアーを開始したとあります。
この解説を読むと、
ジョン・ウェットンがいてこそのエイジアではあるが、
いなくても、バンドそのものは何らかの形で、
存続してきていたのだという事が改めて解る感じです。
但し、今後、もし新たなスタジオ盤を制作するとしても、
ジョン・ウェットン不在で、
直近のスタジオ録音盤に匹敵する音楽が作れるのかという問題は残ります。
それはそれとして、
このアルバムはグレッグ・レイクの来日の刻印であります。
キースは「幻魔大戦」のサントラ録音で、
82年は、日本に滞在していました。
この時は、せっかくの来日にも関わらず、
公の場には出てきていないと思うので、
キーボードマガジン誌上に掲載された録音風景を見ていても、
ファンとしてはあまりスッキリしない感じではありました。
それでも、
83年は、サントラでキースの音に触れ、
カールとグレッグの動く姿を同時に視界に納める事ができたので、
忍耐強いEL&Pファンにとっては、
割と満足できる年ではあったのだなと今は思うわけです。
以上。
EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村
帯とプラケース内のジャケット
本ブログの性質上、
エイジアの武道館公演にまつわる品物と、
掲載誌等に関して、何度か触れてきました。
この来日公演を探る事物として、
映像に関しては80年代に存在していたようですが、
ライヴアルバムのLPは、
長きにわたって存在していなかったわけです。
やがて、
その時の音源が、
他国では、ようやくCD化されるようになりまして、
このブログでも取り上げたように、
幾つかのヴァージョンが存在しています。
その中で、
国内仕様盤CDが登場したのが、
解説に記載された日時によると、
2001年の夏頃だったようですね。
プラケース上にシールが貼ってあるCDがあると、
述べた事がありますが、
このCDもその部類と思われます
解説は2001年という事もあり、
この時点では、
オリジナルメンバーが数年後に再び集結して、
数枚のスタジオアルバムを制作するという流れになる事は、
解るはずもなく、
ダウンズとパーマーが軸になったエイジアが、
現在まで続いていると述べており、
執筆時点で、
ダウンズとペインを中心としたエイジアが、
ライヴツアーを開始したとあります。
この解説を読むと、
ジョン・ウェットンがいてこそのエイジアではあるが、
いなくても、バンドそのものは何らかの形で、
存続してきていたのだという事が改めて解る感じです。
但し、今後、もし新たなスタジオ盤を制作するとしても、
ジョン・ウェットン不在で、
直近のスタジオ録音盤に匹敵する音楽が作れるのかという問題は残ります。
それはそれとして、
このアルバムはグレッグ・レイクの来日の刻印であります。
キースは「幻魔大戦」のサントラ録音で、
82年は、日本に滞在していました。
この時は、せっかくの来日にも関わらず、
公の場には出てきていないと思うので、
キーボードマガジン誌上に掲載された録音風景を見ていても、
ファンとしてはあまりスッキリしない感じではありました。
それでも、
83年は、サントラでキースの音に触れ、
カールとグレッグの動く姿を同時に視界に納める事ができたので、
忍耐強いEL&Pファンにとっては、
割と満足できる年ではあったのだなと今は思うわけです。
以上。
EL&Pを愛し続けてまいりましょう。
にほんブログ村