ミュージックライフ 1972年 4月号
展覧会の絵が大ヒットし、日本でもEL&Pがにわかに注目を浴び始めて来た頃のミュージックライフ誌になります。
ロック・ピープルというシリーズものの特集が組まれていまして、
第4回目に取り上げられたミュージシャンがグレッグ・レイクです。
グレッグ・レイクを取り上げるにあたり、
やや遠回りとも言える説明が為されているのですが、
どんな事かと言いますと、
現在、一般的に知られている事としては、
キング・クリムゾンとザ・ナイスの合同アメリカンツアー中に、
キースとグレッグが新グループ結成に向けての話し合いを始めたのが、
最初のスタートという事になっているのですが、
それは間違いのない事であるようです。
しかし、
このレポートは、その事には触れずに、
書かれているのは、
ロックにクラシックを導入するためには、どのような試みが必要かを、
その合同ツアー中に、ロバートとキースは意見交換をし、
ツアーを終えて英国に戻ってからも、
ロバートとキースは毎日のように電話か何かで話し合っていたとの事。
その時にいつも話題に登場するのが、
グレッグだったそうです。
ロバートとキースのエピソードはありうる話でもありますが、
本当の事であれば、
キースはロバートと音楽の話をしながら、
裏ではグレッグとのグループ結成を模索しているという、
渦中にあったわけですね。
また、グレッグは、キースを1970年の10月にオリンピアで開催された、
第16回、国際オーディオ&ミュージック・フェアーに誘ったとの事。
ここでは、300台のシンセサイザーが陳列してあり、(本当か?桁が一つ違うような!)
これが、シンセサイザー導入のきっかけになったような説明が為されています。
「衝撃のロックトリオ伝」では、この出来事をとても簡潔にまとめて表現しており、
グレッグが「シンセサイザーをバンドに導入するのであれば、キースとバンドを組んでも良い」みたいな事を言ったような記載があったように思います。
キース個人のインタビューには、グレッグに誘われたこのフェアーの話はあまり出てこなかったように思うので、
この辺りの真相もハッキリとした事は解りません。
また、
英国でのファーストアルバムの発売は1970年の11月ですから、
もし、この話がキースとシンセサイザーとの最初の出会いだとした場合、
わずかの期間にシンセサイザーを使用して、ラッキー・マンを仕上げた事になるわけです。
「あり得ない」とは言いませんが、かなり急な仕事であった事にはなりますよね。
これらのエピソードの元となるネタはどこから出てきたのかは定かでありませんが、
グレッグは、大作、「展覧会の絵」を制作した偉大なるミュージシャンの1人として、
一挙手一投足が注目されていたのかなと思います。
以上。
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本ブログは、私自身のEL&Pに関連する思い出、所持物の観察日記、妄想、関連している品物の紹介等、EL&Pにまつわるアレコレを思いのままに書き綴っております。
世代を越えたEL&Pファンのちょっとしたお楽しみになればと思います。
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第4回目に取り上げられたミュージシャンがグレッグ・レイクです。
グレッグ・レイクを取り上げるにあたり、
やや遠回りとも言える説明が為されているのですが、
どんな事かと言いますと、
現在、一般的に知られている事としては、
キング・クリムゾンとザ・ナイスの合同アメリカンツアー中に、
キースとグレッグが新グループ結成に向けての話し合いを始めたのが、
最初のスタートという事になっているのですが、
それは間違いのない事であるようです。
しかし、
このレポートは、その事には触れずに、
書かれているのは、
ロックにクラシックを導入するためには、どのような試みが必要かを、
その合同ツアー中に、ロバートとキースは意見交換をし、
ツアーを終えて英国に戻ってからも、
ロバートとキースは毎日のように電話か何かで話し合っていたとの事。
その時にいつも話題に登場するのが、
グレッグだったそうです。
ロバートとキースのエピソードはありうる話でもありますが、
本当の事であれば、
キースはロバートと音楽の話をしながら、
裏ではグレッグとのグループ結成を模索しているという、
渦中にあったわけですね。
また、グレッグは、キースを1970年の10月にオリンピアで開催された、
第16回、国際オーディオ&ミュージック・フェアーに誘ったとの事。
ここでは、300台のシンセサイザーが陳列してあり、(本当か?桁が一つ違うような!)
これが、シンセサイザー導入のきっかけになったような説明が為されています。
「衝撃のロックトリオ伝」では、この出来事をとても簡潔にまとめて表現しており、
グレッグが「シンセサイザーをバンドに導入するのであれば、キースとバンドを組んでも良い」みたいな事を言ったような記載があったように思います。
キース個人のインタビューには、グレッグに誘われたこのフェアーの話はあまり出てこなかったように思うので、
この辺りの真相もハッキリとした事は解りません。
また、
英国でのファーストアルバムの発売は1970年の11月ですから、
もし、この話がキースとシンセサイザーとの最初の出会いだとした場合、
わずかの期間にシンセサイザーを使用して、ラッキー・マンを仕上げた事になるわけです。
「あり得ない」とは言いませんが、かなり急な仕事であった事にはなりますよね。
これらのエピソードの元となるネタはどこから出てきたのかは定かでありませんが、
グレッグは、大作、「展覧会の絵」を制作した偉大なるミュージシャンの1人として、
一挙手一投足が注目されていたのかなと思います。
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