玄洋は唐津神社の裏手にある海鮮料亭。座敷席に囲まれるように生簀が据えられ、奥の水槽にはツイーと群泳するイカの水槽も。名の通り玄界灘の魚介が集まっているよう。小杉買った箸置きの魚種を賞味したいところだが、サバは話題の新進ブランド魚の「Qサバ」、クエは滅多に入らない幻の大型魚と、なかなかの高級魚介だけに迂闊になぞらえたら財布に響きそうだ。
せめてイカならば予算内か、と品書きを眺めたら、まる一尾のつくりがなんと3000円とあった。普段食べるイカ料理の相場からすると結構なものの、「活け造り」が水揚げが近い立地ならではの仕様なのだろうか。これに決定、小鉢や茶碗蒸しなどがつく「活け造り膳」も勧められたがさらに高いので、ご飯だけ頼んでイカオンリーの刺身定食といってみよう。
イカのつくりと聞き、角皿にのった白い刺し盛りをイメージしていたところ、運ばれてきたのは砕いた氷がたっぷりの大鉢で、上にはスケルトンの謎の物体が横たわっていた。なんと、耳(えんぺら)から頭から下足まで全部揃った、イカのまるごと完全体ではないか。イカソーメンとかイカリングとか、イカ料理といえば一部の部位が食材になっており、まる一尾をひとりで、しかも生で食べることなどまずない。恐る恐る観察すると、三角のえんぺらは敷かれた笹が透過するほどの透明度で、まるで現代アートかのように見とれる美しさ。対照的に頭の部分はギョロ目が威圧し、ゲソは箸が触れるとウネッと踊り思わずビクッ。どこからどう食べて良いものか、軽く途方に暮れてしまう。
潮流の早い対馬暖流が流れる玄界灘は、身の締まった魚介の宝庫でもある。イカもこの海域の主要漁獲で、佐賀県では呼子地区を中心とする玄海地区で、主に水揚げされている。季節ごとにとれる種類が変わり、夏秋は透明度があり食感の良いヤリイカ、冬春は身が厚く甘みの強いミズイカが代表的だ。生簀から出して間髪入れずにおろし、まだ動くうちにお客に供する。語るは簡単だが、イカは人の体温で火傷するほど温度の影響を受けやすく、鮮度落ちも激しいため、捕らえてから活きたまま運んで料理屋で出すのは、かなりのスピードと設備を要するという。こうした技と鮮度も味と値段のうちと思えば、いい値段がするのもさもありなんなのだろう。
えんぺらの刺身を数切れつまみ上げると、縦横に包丁が入った透けた身は意外と薄い。醤油をつけて一口スルリ、といったところでこれは驚愕。ゴリゴリの歯ごたえは生命感にあふれ、ピュアな甘さは見た目と同じ、透明感ある味わいだ。イカの地力は鮮度にありというが、これまで出会ったことない衝撃的なイカの味に、思いがけず身ぶるいしてしまう。甘めの醤油がイカの甘味をより引き立ててくれ、逆にワサビは使わないほうが、持ち味を損なわないよう。ご飯を頼んだのが大正解で、イカをつるりとすすっては飯をかっ込むと、シンプルイズベストな至福のイカ刺し定食に、もう笑顔が収まらない。
そんなバキバキと威勢のいい歯ごたえも、食べ進めるうちにクキクキ、シコシコとだんだんトーンダウンしてくる。見た目の透明感も、次第にほんのり白っぽさがかかってきた。命の旨さは時間の経過とともに儚く収束していくようで、食欲に合いの手を入れるように時折踊ってたゲソも沈黙した様子。するとお姉さんが、まだ食べ終えてない皿をいったん下げます、とやってきた。刺身のイキが落ち着いてきたら、ゲソと一緒に天ぷらにするのが、当地流のイカ刺しの食べ方だそう。品書きに特記がなかった分、想定外に料理が倍増して得した気分だ。
ほどなく再登場した揚げたてのイカは、歯ごたえがすっかり復活していた。ゲソはブツブツと小気味好く、えんぺらはパッキパキに元気に。加熱したので、生とは違う膨らんだ甘みがまたうまく、刺身の生(き)に負け気味になったタイミングにも嬉しい。塩だけでいただくのが、イカならではの素地が出てきてよろしいよう。半分残しておいたご飯とともに、後半は至高の天ぷら定食にて締めのご飯となった。