ウマさ特盛り!まぜまぜごはん~おいしい日本 食紀行~

ライター&編集者&散歩の案内人・上村一真(カミムラカズマ)がいざなう、食をテーマに旅をする「食紀行」を綴るブログです。

用のない街・高崎さんぽ5

2017年02月18日 | 用のない街にあえて泊まり旅気分に浸る
市役所前から循環バスに乗って10分ほどの、少林山達磨寺へと足を延ばした。多くの人が、高崎といえばまず「だるま」と脊髄反射がくる所以は、この寺にある。碓氷川の洪水の際に出てきた霊木に彫られた達磨大師像を、観音堂に安置したのが寺のはじまり。のちに付近の農家が副業で張り子のダルマを作り、市で売り出したところ評判に。それぞれから、縁起が良いダルマの寺として知られるようになったそうである。

唐風の総門から長く急な大石段を登り、招福の鐘が下がる鐘楼の回廊を息切れしながらくぐったところが、講堂と寺務所のある広場。鯉の泳ぐ放生池を眺め、ダルマと思えばそう見えなくもない大岩の「達磨石」に参拝してから、さらに本堂へとひと登り。途中で振り返ると、烏川越しに見える榛名連峰と赤城山が見事だ。

本堂の霊付堂がだるまの納め所で、堂を囲む回廊にダルマがびっしり積みあがる、かの有名な光景が拝めた。ダルマの胴には、高崎をはじめ県内の企業名が書かれてるのが目立ち、商売繁昌祈願なのだろうか。いずれも両目が入っていて、こちらに満願成就の目線がたくさん注がれると、自身も幸運の縁を授かっている気分になれる。目はそもそも、当地で盛んだった養蚕の農家が、繭の出来の大当たりを祈願して入れたのが所以とか。

社務所にかかる絵馬もダルマで、日本中のダルマが並ぶ達磨堂の前には大ダルマも鎮座している。境内どこにいても赤に囲まれ、エネルギッシュな縁起の良さを授かったような。

用のない街・高崎さんぽ4

2017年02月18日 | 用のない街にあえて泊まり旅気分に浸る
高崎市役所21階の展望ロビーは、おそらく市街一の観光スポットだろう。東は歩いてきたシンフォニーロードの向こうに高崎駅、眼下に城址の西の丸の様子が見下ろせる。左方向からは稜線を広くとる赤城山と榛名連峰が、高崎市街を懐に抱くように広がる。

西は右方向に、白く雪をまとい稜線がゆるやかな浅間山と、左に並びノコギリ状のがたついた峰々が荒々しい妙義山が対照的。そして烏川越しに正面を向いて、高崎のシンボルである観音像と対峙する。市街を囲む丘の上の鬱蒼とした森の中に、白衣をまとい屹立。右方向の浅間と並び、縁起の紅白の白を印象付ける眺めだ。

フロアのベンチは、地元の中高生が眺めを見ながら勉強したり弁当食べたりと、憩いの場になっている。一角には新洋食レストラン「アートマルシェ」があり、山形のアルケッチァーノにゆかりがある店だそうだ。高崎を代表するローカルポーク・えばらハーブ豚のソテーほか、焼きまんじゅう300円もあり、観音を眺めながらローカルフードでの喫茶もよさげた。

白の縁起にふれたところで、移動して赤もふれてみましょうか。

用のない街・高崎さんぽ3

2017年02月18日 | 用のない街にあえて泊まり旅気分に浸る
シンフォニーロードをまっすぐ行くと、高崎市役所のある高崎城跡にたどり着く。高崎の藩祖は井伊家17代目の直政で、関ヶ原の合戦で徳川方で大活躍した武将。高崎城は1598(慶長3)年に、氏によりこの地に築かれた。ここを中心に城下町や寺院が形成されたのが、いまの高崎の街の基礎となっており、さっきのあら町もそれまでの町に加えて新たにつくられた町なので、その名が付いたそうだ。

いまでは市役所のまわりに、三ノ丸を囲む土塁と堀がわずかに残るだけだが、役所の周りを歩いているといくらかはその遺構がしのばれる。この後、城郭を上から見てみましょうか。

用のない街・高崎さんぽ2

2017年02月18日 | 用のない街にあえて泊まり旅気分に浸る
高崎駅前から西方面へは、音楽ホールの高崎シンフォニーホールがあることから「シンフォニーロード」と名付けられている。途中の「あら町」界隈はローカルな雰囲気が残り、石組の屋台蔵か隣接する諏訪神社、しゃれた店が点在する舗道「南銀座」など、さんぽ向けの寄り道物件が目に入る。シンフォニーホールそばには、音楽ゆかりのこんなモニュメントも。

持ち帰り可のカツ丼屋「栄寿亭」は大行列で諦めたが、そのそばに大当たりの昼ごはん? の店を引き当てたからたまらない。

用のない街・高崎さんぽ1

2017年02月18日 | 用のない街にあえて泊まり旅気分に浸る
高崎には何度か泊まってるものの、日中に市街をちゃんと歩いたことがない。このたびは昼着・宿泊で、じっくりめぐり歩くことに。「縁起がいい街」がキーワードだけに、掘り出し物の縁に巡り会えればいいけれど。

こんなお出迎えから、まずは観音様のある駅西口に行ってみましょうか。