ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

2021年05月09日 | その他

 今朝は10時に起きました。
 最近、過眠気味です。
 お休みの日はよいとして、平日は6時に起きなければならないので、苦痛です。
 目覚まし時計が恨めしく感じられます。

 年を取ると早起きになると聞きます。
 年寄というほどの年ではないですが、早起きになるきざしが見えません。
 よく眠れると考えればよいんでしょうけれど。

 晩酌がいけないんでしょうか。
 でもそれほど飲んではいません。
 焼酎の水割りを2杯だけ。

 時には3杯。

 いや、4杯飲むこともあります。 

 結局呑みすぎということでしょうか。
 そんなことを自覚しつつ、今夜も吞んでしまうんでしょうねえ。

 酒飲みというもの、愚かな生き物です。  
 


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依存

2021年05月08日 | 精神障害

 今朝は4時半に目覚めてしまいました。

 もう眠れないと思い、床から出てソファでぼんやりしていました。
 ぼんやりしているつもりが、いつの間にか眠ってしまい、目覚めたら11時過ぎ。

 どうなっているんでしょうね。

 私の場合、不眠は躁転の始まり、過眠はうつの場合によく現れます。
 今朝は両方きちゃった感じですね。

 最近、義母が同居人を頼ること夥しく、病院へ予約の電話一本入れるのさえ嫌がって、同居人に電話してきます。
 代わりに予約してほしい、と。

 で、土日、同居人はほぼ、義母宅を訪ねている感じです。 

 私が一緒に行くとなると、義母、なけなしの体力に鞭打って、掃除を始めたりするというので、私は毎週お留守番。

 今日も一人の土曜日。
 一人のほうが気楽で良いわいと思っていましたが、毎週となると、おのずと変わってきます。

 病中はもちろんそうでしたが、病癒えて10年以上が経とうとしているのに、相変わらず私は、同居人に依存しているのだな、との思いを強くします。

 老いた義母にも、病人の配偶者にも依存され、同居人は重たい物を背負って生きているのですね。

 義母からも私からも解放される日はいつ、どのような形で現れるんでしょうね。


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年寄り笑うな

2021年05月07日 | 文学

 連休明け、2日間の勤務が終わりました。


 落ち込み感はそれほどでもなかったですが、勤労意欲の低下は想像以上でした。
 わずか5日の休みでも、確実に衰えていく感じがします。
 がっつり残業をしても疲れなかったのは、遠い昔。
 今では1時間程度の残業でも疲れ果ててしまいます。

 若いころ小馬鹿にしてきた、新しいことを覚えられず、何事も仕事は部下に振って、自分は何もしない、そんなおじさんに、私がなりつつあります。

 人に起こるようなことは大抵自分にも起こるのですね。

子ども叱るな来た道じゃ。
年寄り笑うな行く道じゃ。

 というのは作者不詳の詩。

 一説に、妙好人(厚い信仰をもち、念仏に生きる人)によるものとも言います。

 私は子供を叱ることはありませんでした。
 そもそも子供が出来なかったので。

 しかし、年寄り笑うなは、つい最近まで守れずにいたのですが、今度は笑われるほうになってしまうとは。

 一念発起して、何事も部下任せにせず、ある程度は自分でやるようにしないと、ますます勤労意欲は失せて、使い物にならなくなってしまうでしょうねぇ。

 一昔前と違って、60歳で定年は迎えるものの、希望すれば65歳まで雇わなければならないことになっています。

 で、還暦過ぎて急に肩書を失ったかつての偉い人が、新聞の切り抜きをやったり、ひたすら頼まれたコピーをやったり、なかなかにハードなことになっています。
 ちょっと降格になっただけで、まだまだ元気な人もいますが。

 私はこれらの人々を笑うことなく尊重し、自身は年をとってもある程度使える忍耐力を涵養せしめなければならないと、つくづく思います。


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怖い

2021年05月06日 | 精神障害

 連休あけ初日。
 恐ろしく勤労意欲のわかない日でした。

 やるべき仕事はたくさんあるのに、自分の机に向かった、ただ、緊張のあまり手が震えたり、何もやろうとしない自分を観察したり、ろくなものではありません。

 しかし、40代までは、そこまでひどくなかったような気がします。
 50を超えて、急激に何事も怖くなりました。

 働くことも、車を運転することも。
 運転は左目がよく見えなくなってきたので理由がはっきりしています。

 問題は働くこと。

 若いころは怖い者無しで、上司だろうが先輩だろうが、言いたいことをさんざん言って、それで嫌われたりもしましたが、意に介しませんでした。
 
 今は上司が怖いのはもちろん、部下も怖い。
 私のことを馬鹿にしているんじゃなかろうかと思って。

 とにかく今日、明日は低空飛行でしのぐしかなさそうです。


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しんどい

2021年05月05日 | 精神障害

 今日でゴールデンウィークも終わり。
 5連休なんて呆気ないものです。

 連休の終わりに恐れおののいて、今日は憂鬱に沈みました。
 これでお盆のお休みまで大型連休はありません。

 まるで連休の終わりを嘆くように、一日、強風が吹いて曇天でした。
 そのため家に籠るしかなく、気分転換もできません。

 連休の終わりはいつもそうで、慣れるということがありません。
 
 新聞を開けばコロナに台湾有事。
 嫌なことばかりです。

 抗不安薬を処方の2倍飲んで、どうにか心の安寧を保っています。

 まこと、稼ぐということ、また、生きるということはしんどいものです。 


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パンケーキ

2021年05月04日 | 社会・政治

 家に閉じ籠っているのもいい加減飽きて、繁華街に出かけなければよいのだろうと、ご近所を2時間あまりも散歩しました。

 散歩の途中、喫茶店に寄って、パンケーキと珈琲の昼食をとりました。
 私としてはかなり珍しい昼食です。
 まぁ、たまにはよいでしょう。

 昼食をとって元気になり、さらに歩き回りました。
 歩くと言ってもただの住宅街。
 しかし、近くても普段歩くことのない所ですから、なかなかに興味深いものでした。

 連休も明日で終わり。
 寂しいですねぇ。

 帰宅して新聞を広げたら、中国の空母群が第一列島線を航行したとかで、それに危機感を覚えた日米は、それぞれ駆逐艦と護衛艦で空母をはさむようにして進んだと書かれています。

 中国は遅れてやってきた帝国主義国家のようで、なりふり構わぬ乱暴ぶりは、滑稽ですらあります。
 しかし滑稽だと笑ってみたところで、かの国には痛くもかゆくもないわけで、だからこそ日米は軍艦を並走させたのでしょう。

 中国は台湾を力づくで奪う腹だという説があって、それは信憑性が高い分析だと聞きましたが、そこまでやったら主要先進国すべてを敵にまわすことになりますから、そんな馬鹿げたことをやるだろうかという気もあります。

 それにしても人間というもの、どこまでいっても争いごとが好きなようで、猿より毛が3本多いだけの愚かな生き物なのだと、実感させられます。

 台湾を支配下に置き、尖閣諸島をうばい、太平洋の覇権を狙って、米国の海を中国の海にするという野望がかなったとして、それが何だというのでしょうね。

 わが国もかつて太平洋を挟んで敵対した米国とことを構え、多くの犠牲者をだし、善戦空しく敗れてしまい、屈辱的な戦後を過ごしてきたという苦い経験があります。

 わが国には未だに多くの米軍基地があり、軍事的には米国の属国でしかありはしません。

 自国の防衛を自国ではできず、かつての敵国に守られているとは情けないことです。
 それに有事の際、米国が自国の兵隊の命を危険にさらし、わが国を守ってくれるかどうかは分かりません。
 米国は何もおせっかいでわが国を守るわけではありますまい。
 自国に利益があるからわが国に多くの基地を保っているのでしょう。
 自国の利益にならないと思えば、とっとと米国に帰ってしまうでしょう。

 当たり前です。

 日本人が日本を守らずして、誰が守るというのでしょう。

 パンケーキなどという舶来の食い物を食って喜んでいる場合ではありませんね。


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絶対に知りえない

2021年05月03日 | 思想・学問

 今日もお上の要請に従って、昼飯を食いに外出した以外は、家に閉じこもっていました。
 コロナ太りは必至でしょうねぇ。

 帰宅後、かの有名な「ベン・ハー」がテレビで放送されていたので、なんとなく、観てしまいました。
 ローマ時代のユダヤの王族を描いた大河ドラマ、というくらいしか知識がなかったのですが、観てみたら、キリスト礼賛みたいな話なのですね。 

 大河ドラマとしては面白く鑑賞しましたが、ラストがキリストの磔と奇跡の誕生というのでは、少々白けます。

 まともにキリスト教を信じている人には、必然とも言うべきラストなのかもしれませんが、日本人の大半はキリスト教徒ではありませんし、私がそうであるように、ずっこけたのではないでしょうか。
 あの長い長い映画は、何のために作られたんだろうという疑問を感じます。

 キリスト教のことはよく知りませんが、隆盛の始まりが教祖の磔というのは、なかなかに残酷なものです。
 後に多く生まれるキリスト教の宗教絵画は、私にはどれもSMっぽく感じられます。

 しかしながら、欧州を始めとして、多くの人々があの宗教を信じ、信じるからこそカソリックとプロテスタントの殺し合いなどが生まれ、さらには多くの亜種とも言うべき新興宗教が生まれたのでしょうね。

 魔女裁判やら異端やらアンチ・キリストやらの弾圧が生まれ、時代が進むと植民地獲得の道具となり、キリスト教は悪の帝国たちの精神的支柱として生き残ることになりました。

 今となってはキリスト教は形骸化し、もはや過去の遺物のごとき存在になり果てました。
 
 もっとも、葬式仏教と揶揄されるわが国における仏教の様相も、キリスト教以上に形骸化しているとしか言えませんが。

 私の知り合いにスイス人の青年がいますが、彼曰く、欧州においてはまともにキリスト教を信じている者は少数で、多くは形だけの信者だとか。
 わが国における仏教と一緒ですね。

 
 一人の青年が言うことですから、それを信じてはいけないのかもしれませんが、キリスト教にしろ、仏教にしろ、もはやその命脈は風前の灯と言ってよいのではないでしょうか。

 太古の昔から、人間が知りたいと願い続けてきた唯一のことは、生と死の問題だと思います。

 なぜ、あるいはどこから生まれ、なぜ、あるいはどこへ死にいくのか。

 そしてこれだけは、絶対に知りえないことでしょう。
 唯一知りたいことは絶対に知りえない。
 悲しいことです。

 人間の願望に応えようとしたものが宗教なのではないでしょうか。
 ただし、そこに答えを見出すには、矛盾や疑問を封印して、頭から信じ込むしかありません。
 信じ込めれば幸せでしょうが、現代を生きる人々は、なかなか信じ込むことが出来ないでいます。

 キリスト教にしろ仏教にしろ、頭から信じられる宗教になるには、大幅なリニューアルが必要なようです。
 あるいはまったく新しい、世界的宗教の出現を待つしかないのでしょうか。


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日本国憲法、嗤うべし

2021年05月03日 | 社会・政治

 今日は憲法記念日。

 わが国自慢の平和憲法制定を寿ぐ日です。
 米国製の憲法で、なぜか何十年にも渡って改正がなされず、すっかり時代遅れの遺物と化してしまいました。

 永井荷風は憲法発布の日、米国の作りたる憲法発布のよし、嗤うべし、と、短くその日のことを書いています。

 この憲法の問題点は、解釈の変更を重ねて、少なくとも9条については、有名無実化してしまったこと。

 当初は一切の武装を否定していたのが、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名前を変えながら軍隊を整備し、重武装をなし遂げてしまいました。
 もう自衛隊なんていう嘘くさい名前は止めて、堂々と日本陸軍・海軍・空軍を名乗ったほうが、実状に合っているような気がします。

 通常兵器に限って言えば、我が国は世界有数の軍事大国です。
 核武装こそしていないことになっていますが、もしかしたら密かに核兵器を保有しているかもしれません。 

 実状に合っていない憲法を護持し、嘘の上塗りを重ねた憲法を後生大事に守り続けることは、日本人の倫理観を破壊する作用が働いている気がします。
 国家の最高法規が実状に即していないのでは、我が国は法治国家たるの資格を失ってしまい、なんだかもやもやします。

 かつて、我が国では、多くの国民が憲法改正に反対していましたが、今となっては憲法改正を支持する人のほうが護憲派よりも多くなりました。
 憲法の嘘というか、矛盾というか、そういうものが噴き出してきたのでしょうね。

 ことは9条に限らず、1条の天皇条項、憲法改正の手続きを定めた条項なども時代錯誤な代物になってしまいました。 

 両院の三分の二以上の議員が発議し、国民投票を経なければ憲法改正はなりません。
 事実上、改正は出来ない仕組みになっています。

 しかし、最近の憲法に対する国民の意識の変化は、憲法改正が成るのではないかという予感を感じさせます。

 かつて養老律令という法律がありました。
 西暦757年に制定された法律で、平安時代には形骸化してしまい、ほとんど省みられないまま、明治維新まで国の最高法規ということになっていました。

 日本国憲法、そうなるような気がしてなりません。
 そうなる前に、時代に合ったものに改正し、また、改正の要件を緩和し、時代の変化に柔軟に対応できるものにしなければならないと強く思います。


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呑む

2021年05月02日 | その他

 今日は晴天なれども強風が吹き荒れました。

 昼を食いに蕎麦屋に行き、その足で今夜の夕飯を買いに行った以外は、家でのんびり過ごしました。

 蕎麦は好物の鴨せいろを食しました。
 鴨肉、それに鴨のつみれがたっぷりと入った濃厚でコクのある逸品です。
 休日の蕎麦屋では、冷酒を1合、食前に呑むのを慣例としますが、やはり、酒類の提供は止めていました。
 時代の要請なのかもしれませんが、少しくらい呑ませてほしいものです。
 
 夕飯は鯖の塩焼きと豆腐、それにごぼうサラダです。
 これでまた一杯やってしまうんでしょうね。

 まったく酒飲みというもの、賎しいですなぁ。

 時代の要請による酒類の提供禁止を見るにつけ、私は恐怖を覚えます。
 強権的な政策にではありません。
 行きつけの酒を呑ませる店が、バタバタと潰れてしまうのではないか、ということにです。
 蕎麦屋や中華屋などはそれでも昼の営業でなんとかなるのかもしれませんが、居酒屋やバーはもたないような気がします。

 わが国の食文化は、酒を呑むのを前提に、つまみ的能力が高いものを生み出してきたように思います。
 コロナでその伝統が破壊されてしまうのではないかと思うと、暗澹たる気分になります。

 家で呑むのも結構ですが、旨いつまみを出す店で呑むのはまた格別の喜びがあります。

 その格別の喜びを取り戻せるのはいつになるんでしょうか。


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引退

2021年05月01日 | その他

 今日、どうしてもそごう千葉店に店を構える椿屋茶房のビーフカレーが食いたくなり、独り、千葉に向かいました。

 車で15分ほど。

 もともとカレーはあまり好まなかったのですが、なぜか、ここのビーフがごろごろ入ったやつが気に入って、時折、食べに行きます。

 今日は同居人は休日出勤のため、気軽にお昼を食べに向かいました。
 サラダとスープとビーフカレー、それに食後の珈琲までいただいて、大いに満足です。

 食後、本屋に立ち寄りました。

 そこで、思いがけない人とばったり会いました。

 3月いっぱいで早期退職した58歳の先輩です。
 腹がいっぱいで、お茶も入らないという状況であれば、本屋の前のベンチに座る程度しかできませんでしたが、しばし話し込みました。

 先輩、まだ職場のことが心配な様子で、さかんに今の状況を聞きたがります。
 正直に話すと、先輩、暗澹たる気持ちになったようで、暗い表情を浮かべます。

 先輩の席に後任者は来ず、暫時空席。
 いつ後釜が来るのか分かりません。

 おかげで部下たちはメンタルをやられるやつが続出。
 あらためて、先輩の偉大さが分かります。

 それにしても、退職後わずか一か月で、すっかりおじいちゃんぽいというか、引退した人っぽい風情を身に着けていたのには驚きました。

 現役を退くと、穏やかになるのですねえ。
 うらやましいかぎりです。

 まぁ、現役の時は苦労した人ですから、それは喜ばしいことです。

 遠からぬ将来、私も退職して、そうなるのでしょう。
 それは楽しみですが、まだまだ働かなければなりません。

 我が道の先輩の姿は、老後も悪くないと思わせるものでした。
 


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