春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、今朝、珍しく9時半まで朝寝を楽しんでしまいました。
目覚めてから朝風呂につかり、時間が遅かったので朝飯は抜いて濃い珈琲をいただきました。
それだけで、腹がふくれる感じがするから不思議です。
午前中は掃除と洗濯。
昼は近所のガストでタコス・ライス・プレートなる珍妙な料理を食しました。
意外と美味。
帰りはスーパーに立ち寄り、一週間分の食材の買出し。
帰宅してからリビングで横になっていたら、いつの間にか眠ってしまいました。
なぜ春はこんなにも眠いのでしょうね。
平日は長いのに、土日はすぐに終わってしまいます。
来週はあまり忙しくないので、週中に休暇を取ろうかと思っています。
そうすれば、一週間がぐっと短く感じられるでしょうから。
昨夜、NHKのニュースで、隅田川に散った花びらが集まって筏のようになる花筏が見られる、と聞き、隅田川を目指しました。
車を吾妻橋の墨田区側にあるコインパーキングにとめ、早速吾妻橋へ。
橋の上から隅田川をのぞきましたが、花筏は全く見られません。
東京湾に向かう遊覧船や屋形船が行きかい、花を散らしてしまったようです。
これはどうも時と場所を選ぶようじゃわい、と気づきました。
公園では桜祭りを開催していましたが、ほとんど葉桜状態。
残念です。
気を取り直して浅草をふらふら。
それにしても外国人観光客が増えました。
やたらと目に付いたのが、薄汚れた安そうな着物をおかしな着こなしで着ている若者たち。
ほとんどが、お着物体験で着物をレンタルして浅草をほっつき歩くアジア系の外国人のようでした。
安っぽくて薄汚れているのは仕方ないとしても、着物レンタルのお店、もうちょっときちんと着付けてやれないものですかねぇ。
白人のおばちゃんが、そういうアジア系の若い女性を日本人だと勘違いしたらしく、道を尋ねましたが、「コリアン」と言われてびっくりしていました。
韓国人だったのですね。
隣国ですし、顔も似ていますし、着崩れていても白人にはわからないでしょうから、地元民と間違えたのも無理はありません。
日本人女性で自前の着物を着て歩いている人もいましたが、そういう人は帯の結び方をみればすぐわかります。
男であれば、帯の位置でわかります。
日本人の男は腰で帯を結びますが、お着物体験の外国人はなぜか腹でまいています。
子供みたいで滑稽ですが、推測するに、排便の際の利便性を考えて着物レンタル店があえて腹で巻いているのではないかと思います。
ひどい人ごみをのろのろ進み、観音様を拝んでから観音裏を抜けて浅草寺病院前へ。
ここは4年前の3月、父が息を引き取った場所です。
心の中で手を合わせました。
古着屋をひやかしたり手ぬぐい専門店をのぞいたり、あるいは和小物の雑貨店に立ち寄ったりして、春の一日を楽しみました。
平日もこんな風にぶらぶら過ごしたいものです。
金曜日の終業時刻を過ぎました。
一週間で一番ほっとする瞬間です。
年度あたまということで、今週は忙しかったですねぇ。
土日をたっぷりと楽しんで、英気を養いたいと思います。
今日の首都圏はひどい雨。
折角満開となった桜、この雨風で散ってしまうのでしょうね。
週末、花見をしようと目論んでいたのに。
これは昼酒を止めさせようとする天の意思と前向きにとらえるといたしましょうか。
でも桜が踏ん張って週末までもってくれたなら、きっと散り乱れる桜の下で昼酒を飲んでしまうんでしょうねぇ。
昨夜は夜8時まで残業した後、どうしても生ビールが飲みたくなり、近所の中華屋に乗り込み、砂肝や海鮮炒めをつまみに生ビール1杯と日本酒の四合瓶を一人であけてしまいました。
朝の内は二日酔いになることもなく、元気だったのですが、夕方からどっと疲労感がきて、だるいです。
多分朝の内はまだ酔ってたんだろうと思います。
医師からは節酒を命じられているのですが、こと酒に関しては意思が弱くて困ります。
毎年のことながら、年度あたまというのは忙しいですねぇ。
そんな時にかぎってトラブルが続発します。
トラブル処理に追われて日々の仕事が滞り、ますますわけが分からなくなるという悪循環。
この恐怖のループから抜け出すには退職するしか無さそうです。
しかし職場復帰して7年目。
こんなことで倒れるわけにはいきません。
今こそ精神に鎧をまとい、奮闘する時と心得るべきでしょう。
曇天の日曜日。
気温は高いようですが、出かける気が起きません。
今年度初めての土日は、憂色濃いものになってしまいました。
月曜日を前にこれほど憂鬱な日曜日は久しぶりのことです。
少し昼酒を飲んで寝逃げしてしまいました。
4月・5月を乗り切ることができれば、少しは楽になるでしょう。
吉田修一の「怒り」を読了しました。
八王子で一家惨殺事件が起き、現場には血で書いた怒の文字が。
犯人は逃走を続けます。
房総の漁村で暮らす少々オツムの弱い愛子の前に現れた青年田代との恋、沖縄の離島に暮らす女子高生と淡い恋を楽しむ少年の実家の民宿に現れた田中、ゲイのサラリーマンの前に現れ、同棲を始めた直人の、3つの物語が同時並行で進みます。
突如現れた3人には、年恰好が似ていること以外、とくに接点はありません。
そして3人ともが、誰にも言えない過去を抱えているのです。
田代も田中も直人も、それぞれに新しい人間関係のなかで信頼を勝ち得、愛されるようになります。
しかし人間というのは疑りぶかいもので、八王子での事件の容疑者の似顔絵が公表されるや、もしかしたら、という疑心暗鬼にとらわれ、それぞれに葛藤します。
終盤に至り、真犯人も、3人の過去も明かされますが、怒の意味するところは謎のままです。
人間という存在の不確かさ、人間関係のもろさが、切ないばかりに暴露されていきます。
作者が芥川賞作家ということもあってか、これはミステリーというよりは人間の本質に迫ろうとする文学作品の趣を呈しています。
したがって、論理的で明快な物語を好む人には向きません。
それは当然、人間という生き物自体が論理的でも明快でもないし、また、同じ人物に対する見方や評価も人それぞれであるという冷厳な事実に拠っています。
怒の意味するところは結局読者の解釈に任され、しかもどんな解釈もおそらく正しくはないでしょう。
そうであるならば、読者ひとりびとりの怒を惹起せしめるよりほか、この小説を読み解くことは不可能であろうと感じます。
怒り(上) (中公文庫) | |
吉田 修一 | |
中央公論新社 |
怒り(下) (中公文庫) | |
吉田 修一 | |
中央公論新社 |
花冷えの土曜日、千葉城さくら祭りに出かけました。
午前中のせいか、人はそう多くありません。
しかし桜は見事に咲いていました。
役人の世界に入って25回目の桜です。
どこもそうなのかもしれませんが、会計年度が4月に切り替わるため、この時季は猛烈な忙しさで、桜を観ると憂鬱になる悪い癖は直りません。
それでも、日に日に暖かくなるのは嬉しいものです。
普段は閑散としている千葉城も、春の到来を寿いでいるようです。
来週からまた忙しい日が続きますが、週末は仕事を忘れて桜に酔いしれたいものです。
本当は花の下で酒でも飲みたかったのですが、夕方、精神科の診察があるので散策だけにとどめておきました。
診察室に酔眼で出向くわけにはいきませんから。