あるみまんの本日の修行

競技者としては引退しましたが、
楽しく完走する為には、
まだまだ修行が足りません、
楽しみのために日々修行です。

ダイアリー2002その2

2005-10-09 | ダイアリー
羽田発、那覇経由で宮古島へ、7回目の宮古島である。
空港でレンタカー借り、宿のジロー村へ、事務所に顔を出すと、
「おかえり~」といつもの声が、事務員のU地さんが笑顔で迎えてくれた。
一回目から変わらぬ笑顔がそこにあった。
荷物を降ろし、平良総合体育館へ選手登録とトラバックを受け取りに行く
今回のメンバーは、取りまとめのなりすけ君と妻の直ちゃん、ハジメ君、
K村さん、重ちゃん、ダンディーK林さん、N津さん、アドベンチャー仲間の
K保田君、目黒TA連合のK出さんとK伊さんの偽り?夫婦
直p、私、の12名、(東急のスイートに、O上女王様がお泊りになって
居られました)もう手馴れたものでジロー村を基点に、「スーパーサンエー」
「マルケンミート」平良市内の「あぱら樹」など徒歩で移動、
宮古時間に体内時計が変わっていくのを感じた、、、、、

宮古工業高校体育館へ選手説明に、旧友、知人との再会もそこには
あった、説明会終了後、総合体育間へ大移動、カーボパーティーへ、
ここでO上女王様とも合流、大いに盛り上がる、毎年変わらぬ光景が
そこに、今年もここにくる事が出来て、感無量であった。
翌日、宮古時間は坦々と過ぎ、東急リゾートへ、バイク預託後前浜で試泳、
明日への期待と不安が共に膨らんでいった。
帰宿後、サンエーに買出し、夕食、そして就寝、いよいよ明日はストロング
マンである。

7:30 東急リゾート前浜ビーチより1385人の選手と共に泳ぎだす、
波はかなり高く、波頭に乗ると、空ストロークになる、流れもかなり速く
いつもより10分近くタイムが悪い、1時間以上掛かってしまった。
気合を入れてバイクスタート、天気は快晴、暑くなりそうである、
風は強く、タフなバイクパートを強いられた。崎島シャツターの手前で
まずはK出さんをパス、膝は違和感なく快調である、平安名崎手前で
K村さんに追いつき、一言二言交わしたが、何を言ったかは思い出せない、
多分世間話であろうが、彼とも長い付き合いである、私がバイクで先行、
K村さんがランで逆転、逃げ切れた事は数えるほどしかない。
そんな事も思いながら、2周目の池間島へ、橋へ出る手前でN津さん
をパス、サドル位置が合わなくて腰痛が出たと言っていた。

池間を過ぎ、大野越農園前でK保田君をパス、抜き際に「前にハジメが
いるよ」と教えてくれたが、もう追う力は無い、気持ちだけでも追うが
気持ちだけでは追いつくはずも無く、かなりへばってバイクフィニッシュ、
自分のメーターでは4:53を確認、何とか5時間は切れていたが
膝の違和感が出ていて、トラバックからリハビリ時に使っていた
強力サポーターとボトルポーチを取り出し、ランをスタートする、
走り始めは、いけるかなと思ったが、膝の違和感は、すぐに痛みに
変わり、2km行った最初のエード「JA平良支所」手前で悲鳴を
上げて膝が壊れた、もう歩く事も出来なくなる。エードで助けを求め、
奥のいすに座らせて貰い、氷でひたすら膝をアイシングする。
エードの前をN津さん、K村さん、K保田君、K出さんとバイクで抜いた仲間が
通りすぎて行く、不思議と悔しさは無く、坦々と見送る。
20分ほどアイシングすると膝の腫れが引いた、しかし走れない、エードの
人たちは「、全部歩いてもまだ、間に合うさぁ~」と送り出してくれた。

空港前を過ぎ、「中休み給油所」エードの先で、折り返してきた
T村嘉則選手に「どうした!!」と声を掛けられた、いい人である、
トップを争う位置にいるのに、声を掛けて励ましてくれた、涙が出た。
やっとの思いで折り返しの海宝館までたどり着く、ここまで2時間50分
位かかっていた、歩いて、少し走って、歩いて、歩いて、また少し走って、
もうゴールする事しか頭に無かった。25kmを過ぎたころ、重ちゃんが
追いついてきた、「先に行ってくれ」と言うと、「こんな機会はもう無い
でしょうから、一緒に行きますよ」と言う、嬉しかった。二人で歩いた
残りの距離を全部歩いた、途中応援の人たちと握手して、写真を撮って、
(重ちゃんはカメラを持って走っていたのだ)楽しかった、応援が嬉しかった。
K林さんに「どうしたの?先に行くよ」と声を掛けられた、「お先にどうぞ」
と私たち、ゴール7km手前でO上女王様?に抜かれる「今の女王様だよな?」
私、「素だと解らないですね」と重ちゃん。

平良市内へ入った、あと3.5km、「お帰り~」の声援が今年は聞けた。
残り1km、沿道の応援の全ての人とタッチして、「ただいま」と言う、
応援が後押ししてくれた、重ちゃんが自分の順位を捨てて、最後まで
一緒に歩いてくれた、彼とも長い付き合いである。湘南ハーフの頃は
彼はまだ10代であった。競技場のゲートをくぐる、ウイニングウオーク?かな。
重ちゃんとがっちり手を繋ぎゴールテープを切った、
12時間32分21秒、出場7回目に最高のゴールが出来た。
あらためて、「全ての人に感謝」をと心に刻む。
暑く、熱い、そして人情の厚い「宮古島ストロングマン」であった。

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