ステージおきたま

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リスペクト!朝日!Nスぺ『赤報隊事件』

2018-01-28 09:55:48 | テレビ

 重いドラマだったぜ。意見が違って、その内容を反日と判定すれば、殺人さえ厭わぬ卑劣漢、その犯人追跡の軌跡だ。

 冒頭、犠牲になった小尻記者の人柄を偲ぶ言葉、常に人々に寄り添う記事を書きたいと願って来た、って。わかるよ、それ。盛岡支局時代、医療用放射性廃棄物処理施設建設反対運動の取材、電話とか代表への聞き取りとかじゃなく、反対運動、ちっぽけなものだったが、の仲間内の会合にも足を運んで、最後までじっくり話を聞いていた姿、思い出した。

 突き刺さった銃弾が、散弾となって体内に飛び散ったんだ!

 最後まで息継ぎすることもできなかった、って、それ死ぬだろ、突っ込みはともかく、そう言いたいほど緊迫感溢れるドラマだった。事件後30年にわたって、ひたすら犯人追及だけを目指した特命取材班、その記者の執念の日々を追っている。記事は書くな、ただ、ひたすら犯人を追え、この使命が、記者にとってどれほどの重圧だったか!ほぼ、人生のすべてをかけたわけだから。

 印象に残るシーンは幾つもある。殺害の瞬間はもちろん、その直後、支局内の混乱や、記者の安全か新聞社のゆるぎない姿勢かをめぐる対立とか、現場の血塗られたソファを保存するよう支局長に迫るところとか、犯人とおぼしき者を追跡するシーンとか、取材の行き詰まりに班内で起こった言い争いとか、・・・・

 でも、一番衝撃を受けたのは、実行犯と目された右翼の大物との対決シーンだった。取材に応じる条件として、記者の住所を明らかにすることを求める相手。記者は安全な場所にいる、こちらは身一つ、世に晒している、話が聞きたければ、同じ立場に立て、との主張だ。これは、恐い。記者当人はともかく、家族に危害を加えられる可能性が出て来る。しばしのためらいの後、住所を書いて手渡す二人の記者!この覚悟のほど。言論を暴圧する者に対しては、ここまでの覚悟がいる、ということなのか!どうだ、できるか、俺?

 対等の立ち位置に立って、激論が戦わされる。目的が正しければ暴力も肯定される、それを行う者は優しき人だ、との主張に対して、記者は、小尻記者の仲睦まじい家族写真を示し、残された奥さんや子供を前しても、記者殺害は正しいと言い切れるのか、と迫る。言葉につまる相手。絞り出す言葉、「できないかも知れぬ」わずかに広がる安堵心。

 だが、今時、半日とか愛国を叫ぶ人たちにこの個々人の生への、家族の存在への眼差しがあるだろうか?名も顔も隠し、一方的な罵倒を繰り返す者たち、平気で嘘をねつ造する人たち。そんな者たちの間では、今も赤報隊は救国の英雄なんだってことを、ドラマの最初のニュース映像で知った。これも、ショック受けたシーンだった。

 言葉として、残ったもの、言論テロに対するもっとも有効な対処策は、いささかも動じることなく旗を掲げ続けることだ!との言葉。それが何より大切だ。昭和初期、血盟団や若手将校による暗殺実行によって言葉を閉ざして行った政治家や言論人、それが戦争になだれ込む勢いを助勢した。30年をかけて犯人を追い続けた記者、それを支持し続けた新聞社としての矜持、事件後も主張をかえることなく旗を掲げ続ける朝日新聞、リスペクトだな、絶対に戦中の朝日に戻るな!

 そして、この記者魂を熱い心を抱えつつ表現しきったNHKスペシャルのキャスト、スタッフにもだ!今晩のドキュメンタリー編、楽しみにしてるぜ!

 

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