ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

映画『沈黙』、心には戸惑い。

2017-02-13 10:27:27 | 映画

 久しぶりだ。何年振りてくらい久しぶり。この映画は見なきゃいけない!って強く突き動かされて、イオンシネマ。よく上映してたもんだ。だって、絶対客入らないよ、置賜じゃ。まずこの手の小難しい映画に興味を持つ層が極めて薄い。その数少ない人たちの中で映画や演劇に足を運ぶ人はさらにぐーんと限られる。

 休日に違ないが、まっ、入って6、7人くらいか?予想は見事的中、我ら夫婦を含めて観客は7人!そう、そんなもんなんだよ、ここは。『相棒』の方は行列できてた、まっ、そんなもんだよ、ここは。神さんはオリバー・ストーンの『スノーデン』の方が見たいって言ったけど、そんな、やってるわけないでしょ、政治性で突出した映画。

 さて、当の『沈黙』、見終わった感想は、戸惑い。どうももやもやとすっきりしないものが残った。残虐非道の責め苦に遭いながらも、信仰を守っていく人々の強固な信念。人間ってあそこまで強くなれるのか!という驚きや感動。祈れども祈れども救いの手を差し伸べてくれぬ神の沈黙。信者たちを思えばこそ、次第に信仰への疑いが広がっていく若き神父の苦悩。いずれも心を打った。涙した。

 あんな拷問にゃとても耐えられんだろな、凄いなぁキリシタンの人たちは、と羨望を感じながらも、いや、あんなぎりぎりいっぱいの世界にゃ住みたくねえよ、てのが正直な感想だった。うーん、平均的日本人なんだよなぁ。平和ボケって言われるかもしれんが、4日4晩、荒波に洗われるとか、逆さづりされるとか、そんな極限状況そのものがお断りだ。強烈な殉教を強いる確固たる信仰てもんに向いていないよ、こっちは。宗教ばかりじゃない。思想ってやつだって同じ。愛国心だのナショナリズムだの領土だの防衛だの革命だの、熱狂するものにはどこまでも眉に唾していきたいのさ。

 今の世界、大きな問題は、宗教的狂信や宗教的非寛容がもたらす不信と対立なわけだろ。神に殉じたキリシタンやそのバードレたちの強固な信仰心、そいつは異端者への憎しみ、排斥には向かわないって言えるか。実際、映画で描写されなかったが、布教が勢いついていた頃には、仏像の破壊なんかが神父の指示のもと信徒たちの手で行われていた。土着の宗教、文化に対する優越感、それは間違いなくあったんだよ、布教者たちの意識の中に。なんせ、神の使途なんだから。そこんところは、映画でも棄教した神父・フェレイラの言葉で語られていた。もっとも、明治維新の際にも強烈な廃仏希釈運動って文化の破壊活動があったわけだから、我々日本人だってその点じゃ、タリバンやISを一方的に断罪できるってもんじゃないが。

 信仰、救済、神の言葉。沈黙を守る神の御許でいかに信仰を守り通すか。転ぶ=棄教した人たちに神の恩寵はあるのか。これが映画の主題だ。はっきり言って、ピンと来ないってことなんだ、はなはだ不信心の身としては。言い切っちまえば、どうでもいいよ、そんなこと。それより、世界の宗教対立をどうにかしてくれよ、それこそ、差し迫った課題じゃないのかい、とこういうことなんだな、モヤモヤの中身は。

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