桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

お礼回り1

2009-12-24 | Weblog
昨日は、地元でお世話になった方を訪ねてお礼を言い歩いた。
最初に行く予定は竜ヶ崎市の磯貝家。当主の寿夫さん、夫人の京子さんには、本当に古くから支援をして頂いた。近年は、娘さんの真理と友人のような関係になり、ときどき一緒に飯を食べたり、飲んだりする仲だが、昨日も訪問のメールをしたらば、昼を一緒にとの返事だった。人様の好意は素直に受ける主義の俺だから、喜んで竜ヶ崎に向かった。
招待されたのはログハウスの自然食の店だった。揚げ出し豆腐の抜群に美味い昼飯を食べながら、磯貝家の皆さんに勝利を祝って頂いたが、お世話になった俺が言うべき有り難うの言葉まで頂いた時間は、人間として一番の幸せと感じる時間だった。
人は苦しみに出会ったとき、自分の中に眠る力を発見するし、苦しみに立ち向かって生きる姿勢が、その後の人生をも定めることになるようだ。
磯貝家の温かな思いに包まれながら、過去の総てが癒される思いになった。不安になるほどの幸せを感じた。

共産党

2009-12-22 | Weblog
俺は共産党が嫌いだった。何も知らなかったから保守王国茨城県の思想に自然と染まり、共産党は狂信的な人の集まりと思っていた。共産党と言えばテレビで全員一致の挙手風景が映され、気持ち悪いと感じるばかりだった。共産党や創価学会は、絶対的権力者がいて右向け右!の号令一下、従い動く怪しげでな集団としか思えなかった。
そもそもヘソ曲がりな俺は、親分の言うことは白も黒になるなんて考えは大嫌いで、右翼極道も苦手だったのだが、共産党や創価学会に較べればマシだと思っていた。
それが変わったのは、今の冤罪になったお蔭だ。チンピラにもならない悪、小悪党に過ぎない俺など、誰も支援はしてくれなかったのに、なぜか共産党員と思われる人たちは、全く躊躇もしないで無実だからと支援してくれた。
なぜだ?だよね。
そのころ、春日一幸という名うての政治屋が国会で共産党の宮本顕治議長を「人殺し」と糾弾したことがあった。宮本さんが網走刑務所に入ったことは知っていて、それは天皇国会主義や戦争に反対したゆえにだと思っていたが、大騒ぎみたいになったので、アレ?と思い、「犬は吠えても歴史は進む」という雑誌を読んだ。
何のことは無い。あの戦争中、反戦主義者を殺しても許された警察・特高警察をもってしても殺人にできなかったことを、金で動く政治屋が騒ぎにして共産党の力を削ごうとしたのだと判った。
それ以来、あれこれを読み、民主主義や平和、真理を求める人の集まりだからこそ、俺たちのような存在も支援してくれるのだと判った。勿論、共産党とて無欠ではない。組織になれば権威も生まれ、純粋な人が除名される話などもあるが、でもどこの政党よりも平和や正義を大事にする組織だと思う。
俺が獄中で作った歌を聴いてくれたことが切っ掛けで、共産党幹部の緒方靖夫さんとは知り合った。シャバに帰っての記者会見には、わざわざ国会を抜けて会いに来てくれたのだったが、昨日はお礼に行き、久しぶりに会うことが出来た。

お礼巡り

2009-12-21 | Weblog
今日も都内を歩いた。
日本共産党にも行った。
緒方靖夫さんとは、親しくご支援を頂いたのて行ったらば、運良くいて会えた。
緒方さんは、俺が獄中で作った歌を聴いて、それから布川事件に関心を寄せて下さった。
仮釈放で社会に帰った記者会見には、わざわざ国会を抜けて会いに来てくれたのだが、あの日のことを考えると、最高裁で勝って会えた今日は、何とも嬉しかったし、不思議な思いだった。

新聞によれば

2009-12-21 | Weblog
昨日、水戸に行って布川事件に関する新聞を読んだ。警察と検察を批判し、裁判をも批判する記事があったが、一番驚いたのが、当日の捜査員か語ったという内容だ。
「指紋を調べろではなくて、合わせろと言われた、それがおかしいと思ってた」と記者に語ったらしい。
この話が記事になった驚きの経過は書かないが、元捜査員の話す通りであって、確かに調べろ!では無くて、合わせろ!は異様だ。
自白テープの改ざん、捜査報告書の差し替え、取り調べ時間表の改ざん、ポリグラフ鑑定記録の隠滅、限りなく存在する警察のでっち上げ工作は、どうやら物的証拠のでっち上げにまで、及んでいたようだ。
俺の記憶と違う自白調書は、絶対に改ざんされている確信が深まった。あの調書の割り印が確認出来たならば、必ず不正が明らかに出来るのに、最早古くて印鑑部分が消えてしまったのが残念でならない。
このような話をしてくれる警察官こそ、真の警察官だと思うが、この人も再審公判に出てくれたら面白い。きっとこれからも真実が現れるだろうから、有罪主張をする!とほざく検察の意気が、再審公判が始まるまでに折れてしまわぬかと心配になってきた。
頑張ってね、樋渡検事総長!

渡辺昭一

2009-12-21 | Weblog
今日は東京のお礼巡りの予定で布佐駅に来たらば、そのトイレで、後から来た渡辺昭一にバッタリ!
関東の連れ小便、黙っているのも悪いから、久しぶり!と声を掛けた。
すぐに反応しないで言った言葉がいい、「あぁ、しばらく、誰か判らなかったよ」、だと。
渡辺とは、確かに1年ほど前にスーパーで会ったきりだから、しばらくだけど、この男、裁判では、中学生時代に会ったきりの俺を玉村さん方前でバイクに乗って通り過ぎる一瞬に見て判ったと証言したのだ。笑えるよね。
時間があるから、つい一言、そうだね、しばらくだったね。でも、42年前は、何年も会わなくても判ったんだよね、玉村さん宅前でよ、凄いよね。と言ったらば、えへへと笑うだけだった。
笑顔が素敵だったから、もう一言付け加えた。新聞で目撃証言したことを後悔してないとか言ってたけど、人生は釣り合いが取れてるからね、どこかで後悔することになるかも知れないよ。寒いから身体を大事にして、後悔させられるまで長生きしてね、と言って別れた。少し皮肉がきっかつたかな?
何だか知らないが、変なオヤジであることは確かだ。再審公判に検察が引っ張り出せば面白いねぇ。

報告

2009-12-21 | Weblog
昨日の朝の水戸は寒かった。例年の水戸に較べれば、まあ大したことは無いが、暖冬の今年は応える寒さだった。
昨日は、連れ合いの実家や親戚、水戸の支援者にお礼をしに歩いた。
実家では、両親が炬燵で横になり、高校駅伝を見ていたが、二人の訪問と報告を喜んでくれた。
父親やは母親は、時折、目を赤くして話をしていた。お祝いを貰い、父親の持つ掛け軸を見たり、車を洗ったりして帰った。
支援者宅は、どこも留守ばかりだったが、最後に寄った共産党東部地区委員会では、その分取り返すくらいに沢山の人がいて、皆さんに喜んで頂いた。
毎日、安らかな喜びを味わえて、本当に幸せだ。

地震

2009-12-19 | Weblog
我が家の状況は、再三ブログに書いているが、先日の地震は飛び起きた。
最高裁決定がある前は、もし地震で屋根が潰れて来ても、そのときは仕方ないし、誰かに見守られているから大丈夫だと考えていた。でも、最高裁で勝ちが決まってみると、再審で無罪になるまでは梁に潰されて死にたくは無いと思うようなった。
だから、先日の地震では飛び起きた。いきなり起きても、さあどっちへ行くのか、とっさに判らないものでウロウロしてしまい、玄関の方で落ち着いてから笑ってしまった。
俺の人生って、本当に面白い。こんな体験を出来るのは、広い世界でも少ないよね。
さて、今日は何がある一日になることやら。

快晴

2009-12-19 | Weblog
気持ちいい青空が広がっている。風は冷たいが、そのうちね冷たさが心地良い。最高裁で勝った喜びは、まだ続いているが、更に安らかな落ち着きが身体に染み渡るように感じてきた。
俺には拘禁のトラウマがあった。自分の皮膚が自分の身体を締め付けるようになって息が出来ない感じになる。刃物で身体を切り裂きたい思いになる苦しさは、なかなか辛かった。
先日の記者会見で、杉山は苦痛として残るモノは無いと言っていたが、彼は苦しさを手紙に書いて社会の人に訴えていたようだ。社会に帰りたいと訴えていたようだ。正直に苦痛を苦痛として吐き出していたことが、杉山の中にトラウマを残さなかった原因かも知れないと思う。人間は、その思いを正直に語った方がいいのかも知れないね。
俺自身は、そのトラウマから得たものがあるので、それはそれで良いのだが、人が苦痛を語るとき、それを黙って聞いてあげることも必要だと思わされた。
本当に気持ちの良い青空の下、一人でも多くの冤罪仲間に、この安らかで穏やかな思いを与えたいと思っている。

有り難うございました!

2009-12-18 | Weblog
私のブログを覗いて下さる方から、沢山の喜びの書き込みを頂いた。
今度の決定は、これで再審が決まりましたから嬉しかったです。本当に嬉しいかぎりでしたが、みんなで楽しく、みんなと楽しく、そしてみんなを楽しくの思いで塀の中で暮らし、社会でも努力したつもりの私には、最高裁決定を我がことのように喜んで下さる人に囲まれましたのが、とても嬉しかったです。
全国から祝いの電話やメールを下さった皆さんと同じように、私のブログに書き込みをして下さった方は、私が社会に戻って生きてきた月日を「良くやった!」と認めて下さったように思えまして、本当に嬉しく思います。
有り難うございました。
まだ再審公判が待っていますが、検察の汚さを徹底的に暴く闘いを続けます。
これからも私だけに出来る闘いを、私らしく続けますので、どうか宜しくお願いします。
有り難うございました!

裁判官

2009-12-18 | Weblog
布川事件の最高裁決定に付いて、第一次再審に関わった裁判官が「当時の結論は証拠が違うから当然」という趣旨のコメントをした。そうだろうか?
今回の決定に付いて書く新聞の中身は、そもそも自白しか証拠がないままに有罪にした判断そのものを批判している。
この裁判官が誰かは知らないが、裁判官として当然のように自白だけで有罪にする、その感覚が冤罪を作り出して来たと言って過言ではないのだ。そこに思いいたすこともなく、平然として有罪判断を当然視するところに、裁判官職の歪みを感じてならない。