桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

忘年会・祝勝会・クリスマス会

2009-12-24 | Weblog
利根町宣伝後は、恒例の松島事務所での乾杯。昨日は、忘年会と祝勝会を兼ねて行った。
総勢は14名ほどだったが、勝った後は、何をしても楽しい。
俺は先約があり、中座して水戸へ帰った。水戸で待っていてくれたのは川上家。クリスマス会だった。
予定より遅れての到着だったが、玄関を開ければ三人の子供たちが「お帰り」と言って代わる代わるに身体に飛び付いて来る。
何時もながらの手作り料理が並べられての食事。勿論、乾杯から始まった。
あの決定の日のこと、それかのこと、俺や連れ合い、川上家のそれぞれにあったことを語り合い、ついでに将来のことも語り合い、ビンゴゲームをして楽しい夜だった。
家族に見送られて帰宅したのは11時近くになっていたが、俺の我が儘を笑って許してくれる、もう一つの家族。有り難さを噛み締めた夜だった。

お礼回り2

2009-12-24 | Weblog
竜ヶ崎の磯貝家の皆さんと別れて、利根町宣伝組とは別に、同級生や自分が住む地区の皆さんにお礼を言って歩いた。
留守の人もあったが、伺った先では、皆さんが素直に祝ってくれた。同級生は、何も出来なかったと言うが、そんなことは無くて、議会に対する署名行動など、いろんなことで力になってくれた。
これで地元的にはくぎりが付いた感じでホッとした。この行動の前、被害者宅跡にある建物の前で毎日新聞の取材があった。今までは遠慮していたが、終わった今となれば遠慮はいらない。迷惑にならない範囲で自分たちの無実を示す行動を重ねるつもりでの、元現場前の取材だった。

恐怖

2009-12-24 | Weblog
俺が取手警察で調べられていたとき、真犯人が壊したらしい便所の窓の桟を持って見ろと言われたことがる。
早瀬四郎は「どうやって壊したのか、持って言ってみろ」と言った。犯人が持った物になど、触りたく無かったから、即座に断ったが、触っていたらばどうなったろうか?
きっと「物証が発見された!」と報道され、有罪の決定的な証拠にされたことだろう。
当時の鑑識員は捜査幹部に「指紋を合わせられないか」と言われたらしいから、これは邪推とも言えまい。事実、便所の桟に付いては、俺に触って見ろと言って示した後、何故か鑑定書を作成していた。
鑑識員に断られた捜査幹部は、あわよくば桜井に触らせたい、もしくは偶然に触れた跡が残らないかとか思い、この鑑識を実施したのだろう。
今朝も、何人かの男を殺したと騒がれている女性に物証が発見されたとの報道があったが、俺は信じないね。警察を信じるのは詐欺師を信じるより、もっと危うい。
今日は足利事件公判に行くが、怪しげな本丸的科学警察研究所の親玉が証言する。物証を作り出す研究所長、福島は何を話すのか、楽しみだ。

お礼回り1

2009-12-24 | Weblog
昨日は、地元でお世話になった方を訪ねてお礼を言い歩いた。
最初に行く予定は竜ヶ崎市の磯貝家。当主の寿夫さん、夫人の京子さんには、本当に古くから支援をして頂いた。近年は、娘さんの真理と友人のような関係になり、ときどき一緒に飯を食べたり、飲んだりする仲だが、昨日も訪問のメールをしたらば、昼を一緒にとの返事だった。人様の好意は素直に受ける主義の俺だから、喜んで竜ヶ崎に向かった。
招待されたのはログハウスの自然食の店だった。揚げ出し豆腐の抜群に美味い昼飯を食べながら、磯貝家の皆さんに勝利を祝って頂いたが、お世話になった俺が言うべき有り難うの言葉まで頂いた時間は、人間として一番の幸せと感じる時間だった。
人は苦しみに出会ったとき、自分の中に眠る力を発見するし、苦しみに立ち向かって生きる姿勢が、その後の人生をも定めることになるようだ。
磯貝家の温かな思いに包まれながら、過去の総てが癒される思いになった。不安になるほどの幸せを感じた。