桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

共産党

2009-12-22 | Weblog
俺は共産党が嫌いだった。何も知らなかったから保守王国茨城県の思想に自然と染まり、共産党は狂信的な人の集まりと思っていた。共産党と言えばテレビで全員一致の挙手風景が映され、気持ち悪いと感じるばかりだった。共産党や創価学会は、絶対的権力者がいて右向け右!の号令一下、従い動く怪しげでな集団としか思えなかった。
そもそもヘソ曲がりな俺は、親分の言うことは白も黒になるなんて考えは大嫌いで、右翼極道も苦手だったのだが、共産党や創価学会に較べればマシだと思っていた。
それが変わったのは、今の冤罪になったお蔭だ。チンピラにもならない悪、小悪党に過ぎない俺など、誰も支援はしてくれなかったのに、なぜか共産党員と思われる人たちは、全く躊躇もしないで無実だからと支援してくれた。
なぜだ?だよね。
そのころ、春日一幸という名うての政治屋が国会で共産党の宮本顕治議長を「人殺し」と糾弾したことがあった。宮本さんが網走刑務所に入ったことは知っていて、それは天皇国会主義や戦争に反対したゆえにだと思っていたが、大騒ぎみたいになったので、アレ?と思い、「犬は吠えても歴史は進む」という雑誌を読んだ。
何のことは無い。あの戦争中、反戦主義者を殺しても許された警察・特高警察をもってしても殺人にできなかったことを、金で動く政治屋が騒ぎにして共産党の力を削ごうとしたのだと判った。
それ以来、あれこれを読み、民主主義や平和、真理を求める人の集まりだからこそ、俺たちのような存在も支援してくれるのだと判った。勿論、共産党とて無欠ではない。組織になれば権威も生まれ、純粋な人が除名される話などもあるが、でもどこの政党よりも平和や正義を大事にする組織だと思う。
俺が獄中で作った歌を聴いてくれたことが切っ掛けで、共産党幹部の緒方靖夫さんとは知り合った。シャバに帰っての記者会見には、わざわざ国会を抜けて会いに来てくれたのだったが、昨日はお礼に行き、久しぶりに会うことが出来た。