桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

お礼巡り

2009-12-21 | Weblog
今日も都内を歩いた。
日本共産党にも行った。
緒方靖夫さんとは、親しくご支援を頂いたのて行ったらば、運良くいて会えた。
緒方さんは、俺が獄中で作った歌を聴いて、それから布川事件に関心を寄せて下さった。
仮釈放で社会に帰った記者会見には、わざわざ国会を抜けて会いに来てくれたのだが、あの日のことを考えると、最高裁で勝って会えた今日は、何とも嬉しかったし、不思議な思いだった。

新聞によれば

2009-12-21 | Weblog
昨日、水戸に行って布川事件に関する新聞を読んだ。警察と検察を批判し、裁判をも批判する記事があったが、一番驚いたのが、当日の捜査員か語ったという内容だ。
「指紋を調べろではなくて、合わせろと言われた、それがおかしいと思ってた」と記者に語ったらしい。
この話が記事になった驚きの経過は書かないが、元捜査員の話す通りであって、確かに調べろ!では無くて、合わせろ!は異様だ。
自白テープの改ざん、捜査報告書の差し替え、取り調べ時間表の改ざん、ポリグラフ鑑定記録の隠滅、限りなく存在する警察のでっち上げ工作は、どうやら物的証拠のでっち上げにまで、及んでいたようだ。
俺の記憶と違う自白調書は、絶対に改ざんされている確信が深まった。あの調書の割り印が確認出来たならば、必ず不正が明らかに出来るのに、最早古くて印鑑部分が消えてしまったのが残念でならない。
このような話をしてくれる警察官こそ、真の警察官だと思うが、この人も再審公判に出てくれたら面白い。きっとこれからも真実が現れるだろうから、有罪主張をする!とほざく検察の意気が、再審公判が始まるまでに折れてしまわぬかと心配になってきた。
頑張ってね、樋渡検事総長!

渡辺昭一

2009-12-21 | Weblog
今日は東京のお礼巡りの予定で布佐駅に来たらば、そのトイレで、後から来た渡辺昭一にバッタリ!
関東の連れ小便、黙っているのも悪いから、久しぶり!と声を掛けた。
すぐに反応しないで言った言葉がいい、「あぁ、しばらく、誰か判らなかったよ」、だと。
渡辺とは、確かに1年ほど前にスーパーで会ったきりだから、しばらくだけど、この男、裁判では、中学生時代に会ったきりの俺を玉村さん方前でバイクに乗って通り過ぎる一瞬に見て判ったと証言したのだ。笑えるよね。
時間があるから、つい一言、そうだね、しばらくだったね。でも、42年前は、何年も会わなくても判ったんだよね、玉村さん宅前でよ、凄いよね。と言ったらば、えへへと笑うだけだった。
笑顔が素敵だったから、もう一言付け加えた。新聞で目撃証言したことを後悔してないとか言ってたけど、人生は釣り合いが取れてるからね、どこかで後悔することになるかも知れないよ。寒いから身体を大事にして、後悔させられるまで長生きしてね、と言って別れた。少し皮肉がきっかつたかな?
何だか知らないが、変なオヤジであることは確かだ。再審公判に検察が引っ張り出せば面白いねぇ。

報告

2009-12-21 | Weblog
昨日の朝の水戸は寒かった。例年の水戸に較べれば、まあ大したことは無いが、暖冬の今年は応える寒さだった。
昨日は、連れ合いの実家や親戚、水戸の支援者にお礼をしに歩いた。
実家では、両親が炬燵で横になり、高校駅伝を見ていたが、二人の訪問と報告を喜んでくれた。
父親やは母親は、時折、目を赤くして話をしていた。お祝いを貰い、父親の持つ掛け軸を見たり、車を洗ったりして帰った。
支援者宅は、どこも留守ばかりだったが、最後に寄った共産党東部地区委員会では、その分取り返すくらいに沢山の人がいて、皆さんに喜んで頂いた。
毎日、安らかな喜びを味わえて、本当に幸せだ。