スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マトリョーシャ&第三部定理九備考

2022-09-02 19:40:00 | 歌・小説
 『ドストエフスキー カラマーゾフの預言』の中に,杉田俊介の「老い衰えていく神の信徒として」という文章があります。この中で『悪霊』について触れられている部分があるのですが,そこで杉田は,スタヴローギンはマトリョーシャに対して恐怖を感じていたし,畏怖を感じてもいたという主旨のことが書かれています。これは僕にとっては意外な視点でした。
                                        
 マトリョーシャというのは,スタヴローギンから性的な虐待を受けることによって自殺してしまう少女です。この部分の描写が過激であったので,『悪霊』のこの部分は雑誌に掲載することができなかったのです。マトリョーシャは物語の中では明確な被害者であるので,彼女がスタヴローギンから怖れられていたし畏れられてもいたという解釈は,僕にとっては意外なものだったのです。
 杉田によれば,マトリョーシャは神を殺すことができたのです。少なくともマトリョーシャ自身はそのように信じていました。そのために異様な歓喜と興奮の中で自身の身を滅ぼしていったのです。このような杉田の解釈が成立するのかということは,僕には疑問です。ですが,もしもそうであったのなら,マトリョーシャがスタヴローギンによって怖れられたり畏れられたりする理由だけははっきりします。というのもスタヴローギン自身が神を殺すことを願っていたのであり,そのためにスタヴローギンは数多くの享楽や悪を重ねていたのです。マトリョーシャに対する虐待も,スタヴローギンが神を殺すための手段であったとみることができます。ところがスタヴローギン自身は最後まで神を殺すことを達成することはできませんでした。それなのに,自分が虐待したマトリョーシャにそれができたのだとすれば,あるいはスタヴローギンにそう思えたのだとしたら,スタヴローギンはマトリョーシャに対して畏怖の念を感じ,また自身がなし得ないことを成し遂げたことに恐怖を感じるでしょう。
 マトリョーシャに神を殺そうという意図があったとは僕は思わないです。でも,スタヴローギンには,マトリョーシャが神を殺したように思えたということは,大いにありそうだと思います。

 人間の自然権jus naturaeを理性ratioによって規定するのではなく,能動actioであるか受動passioであるかと無関係に衝動appetitusによって規定しなければならないというのは,人間の自然権をその人間のコナトゥスconatusによって規定しなければならないといっているのと同じことです。このことは第三部定理九備考の冒頭でいわれていることから明白です。
 「この努力が精神だけに関係する時には意志と呼ばれ,それが同時に精神と身体とに関係する時には衝動と呼ばれる」。
 第三部定理九でいわれている努力conatusとはコナトゥスを意味し,そのコナトゥスが現実的に存在する人間の精神mens humanaとその人間の身体humanum corpusとに同時に関係するとみられるとき,そのコナトゥスは衝動といわれるというのがこの部分の意味になるからです。なお,この部分でスピノザが意志voluntasについていっていることは,スピノザの哲学全体の中で意志といわれるときの意味と異なっているとみられなければなりませんが,そのことについては現状の考察と無関係なので,ここでは探求から除外します。僕がこのブログで意志というときは,それは意志作用volitioの総体を意味するのであり,個々の意志作用というのは,観念ideaが観念である限りにおいて含んでいる肯定affirmatioないしは否定negatioのことであるという点にだけ注意しておいてください。
 自然権がコナトゥスによって規定されなければならないということは,人間の自然権は人間が存在existentiaおよび働きactioに対して持っているのに相当する権利juraを自然のままでもっているということからの結論ですが,次のように説明した方が分かりやすいかもしれません。
 理性から生じないような感情affectusは,もっぱら能動すなわち働きではなく受動passioであるといわれなければなりません。しかし自然権というからには,自然の力一般について論じなければならないでしょう。したがって,もしも理性によって生じる感情だけが自然の力potentiaに属し,理性から生じないような感情は自然の力に属さないというなら,自然権は理性によって規定されることになります。ところが実際はそうではなく,現実的に存在する人間の感情は,その人間の理性から生じるのであれ理性からは生じていないのであれ,つまり能動であれ受動であれ,自然の力に属するのです。
コメント
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