スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

お~いお茶杯王位戦&侵害の発生

2022-09-07 19:37:45 | 将棋
 一昨日と昨日,平田寺で指された第63期王位戦七番勝負第五局。
 豊島将之九段の先手で角換わり相腰掛銀。終盤まで激戦が続く大熱戦の素晴らしい将棋でした。
                                        
 数手前に後手の藤井聡太王位が☖1三角と打ったのが好手で,先手はその手が厳しいので苦戦に陥ったと判断していたようです。ただその後で後手がすぐの攻めに出なかったので,先手に☗8四金と打つ手が入り,第1図では難解な局面となっていて,後手はここでは負けかもしれないと思っていたとのことです。
 第1図から☗7七金と寄って角筋を通し,☖6五歩の受けに☗1五歩と攻め合いに出ました。ただこれはあまり正しい判断ではなかったようで,角が動けるようになったのでとりあえず☗8七角と上がり,☖6九銀と打たせないようにするのが有力でした。
 この後,飛車角交換になってまた後手が優位に立ったのですが,4八の金を取らずに成銀を6八に寄せたため,また難しくなりました。
                                        
 第2図まで進んで思わしい変化がすべて負けなので,先手はここで負けと判断したとのこと。実戦は☗5三歩と打ちました。代案は☗5八金と☗6六歩。☗5八金は後に実戦でも現れて先手が負けていますので,☗6五歩から無理やりこじ開けにいってどうだったのかということになるでしょう。
 4勝1敗で藤井王位が防衛。第61期,62期に続く三連覇で3期目の王位を獲得しました。

 現実的に存在する人間は,理性ratioに従っている限りでは本性essentiaが一致します。自然権jus naturaeはコナトゥスconatusすなわち現実的本性actualis essentiaに由来しますから,その限りでは自然権も一致するのです。よってこの場合では,ある人間と別の人間が自然権を侵害し合うことも生じません。ある人間の自然権が別の人間の自然権と一致するのなら,両者は自然権を拡大するために協力するということはあっても,一方の自然権を減少させるとか阻害するということは起こり得ないからです。それは各々のコナトゥスに反することだといえるからです。
 現実的に存在するある人間が理性に従うということは,その人間の能動actioを意味します。要するに,現実的に存在する人間は,能動的である限りでは自然権が一致しますし,互いの自然権を侵害するということもないのです。よって,現実的に存在するある人間と別の人間の自然権の相違は,現実的に存在する人間が理性に従わない場合に,あるいは同じことですが働きを受けるpati限りで生じることになりますし,同様に現実的に存在するある人間が別の人間の自然権を侵害するということは,その人間が理性に従っていない場合に,つまり受動的である限りにおいて発生するということになります。第四部定理三四は,人間は受動的である限りにおいて対立的であり得るということをいっていますが,この対立のひとつとして,他者の自然権の侵害があると理解してよいと思います。
 こうしたことも,自然権がコナトゥスに由来するがゆえに生じます。第三部定理九から分かるように,現実的に存在する人間は,十全な観念idea adaequataを有する限りでも混乱した観念idea inadaequataを有する限りでも,つまり能動的である限りでも受動的である限りでも自己の有esseに固執するperseverare,いい換えればコナトゥスが働きますから,コナトゥスに由来する自然権もまた,十全な観念を有する限りで,理性に従っている限りである人間に属するということはできないのです。
 このことから気を付けておかなければならないことがあります。それは,たとえばある人間が別の人間より多くの自然権を有しているからといって,それは必ずしもその人間が他者より大きな力potentiaを有しているとはいえないということです。
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