スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

平安賞&国家の自然権と個人の自然権

2022-09-27 19:16:59 | 競輪
 向日町記念の決勝。並びは坂井‐成田‐小原の東日本,脇本‐稲川の近畿,清水‐桑原‐筒井‐小倉の中四国。
 清水がスタートを取って前受け。5番手に坂井,8番手に脇本で周回。残り3周のホームに入る手前から坂井が小倉との車間を開けて脇本を牽制すると,脇本もホームでは小原との車間を開けて待機。長い一列棒状からバックに入って脇本が発進。打鐘後のホームの入口で清水を叩いてかまし先行。清水が3番手,坂井が7番手となりましたが,脇本のスピードがよかったために縦長の隊列に。バックでは完全に前のふたりが抜け出し,優勝争いは脇本と稲川に絞られました。ただ稲川も意図的だったのかもしれませんが一時的に脇本との車間が少し開いてしまい,直線に入ってまた差は詰めたものの届かずに逃げ切った脇本の優勝。稲川が4分の3車身差の2着で近畿のワンツー。清水の番手から直線で踏み込んだ桑原が4車身差で3着。
                                        
 優勝した福井の脇本雄太選手は前々回出走の立川のFⅠ以来の優勝。グレードレースは先月のオールスター競輪以来の優勝。GⅢは6月の燦燦ムーンナイトカップ以来で通算11勝目。記念競輪は3月の玉野記念以来で10勝目。向日町記念は昨年からの連覇で2勝目。このレースは脇本が脚力上位。清水のラインが4人になりましたが,ライン全体があまり強力ではありませんでしたから,脇本が相当の確率で優勝するだろうとみていました。残り2周のホームではかなり後ろに置かれましたが,そこから巻き返してかまし先行に持ち込み,さらにそのまま粘ったのですから,やはり力が抜けていての優勝だったと思います。

 スピノザの政治論では国家Imperiumが人間あるいは人類の最終形態ではないということは,別の観点から説明することもできます。
 国家の主権あるいは統治権imperiumは,その国家の自然権jus naturaeであるとみなすことができます。ただ,それが国家の自然権として規定されるのは,それが人びとの共通の意志voluntasに基づくからです。それが人びとの共通の意志に基づくから主権あるいは統治権というのは正統化されるのであって,その正統化された統治権による命令を人びとは義務として果たすことになり,それが人びとの自然権として,この場合の人びとというのは人びと全体というより人びとに含まれる一人ひとりの個人ですが,その個人の自然権が拡充されていくのです。いい換えれば,人びとが共通の意志を有するようになるのは,ひとえに諸個人の自然権の拡大,あるいはひとりでいるときにはほとんどないといえるような自然権を多く獲得していくからです。
 よってもし国家の統治権が,個人の自然権の獲得あるいは拡大に反する場合は,その国家の統治権は正統性を欠くことになります。なのでこの場合はその国家の人びとは,共通の意志によって正統性を有する別の国家を形成していくことになります。というか,人びとにはそうした権利が与えられているとみなければなりません。こうしたことは一般的には革命といわれるのであって,革命というのが生じ得るということは,人類の歴史が証明しているといっていいでしょう。もちろん革命そのものが正統化されるというわけではありませんが,国家の統治権は個人の自然権に対して正統的なものでなければならないのであって,そうでない場合にこの種の革命が生じるのは,個人のコナトゥスconatusに由来する自然権からして必然といえるのです。
 よって,国家の統治権は,人びとの共通の意志の範囲の中でのみ成立する国家の自然権なのであって,それを超越するような自然権ではありません。むしろ統治権は人びとの自然権の獲得あるいは拡大に資するべき権利なのであって,それを制限したり制約したりする権利ではありません。つまりこの統治権は人びとに義務を命令しますが,あらゆる義務を命ずることができるわけではないのです。
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