スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

テレ玉杯オーバルスプリント&社会的地平

2022-09-21 19:14:49 | 地方競馬
 第33回テレ玉杯オーバルスプリント
 バーナードループは加速が鈍く1馬身の不利。メスキータは立ち上がるような発馬で2馬身の不利。激しい先行争いにはならず,プレシャスエースが逃げて2番手にオパールシャルム。3番手のシャマル,4番手のリメイク,5番手のティーズダンクまでは一団。3馬身差でユアマイラブとダウラギリ。8番手にパーソナルマキ。9番手にバーナードループ。10番手にイバルで3馬身差の最後尾にメスキータ。最初の600mは36秒7の超スローペース。
 向正面から3コーナーにかけてプレシャスエースが2番手とのリードを広げていきました。3コーナー手前からシャマルが上がっていき単独の2番手に。オパールシャルムは苦しくなってリメイクも3番手に上がりました。直線にかけてプレシャスエースのリードが一気に縮まっていき,直線に入ってほどなくシャマルが先頭に。リメイクも追ってきましたが追いつくことはできず,優勝はシャマル。リメイクが1馬身半差で3着。直線の入口ではまだオパールシャルムの後ろの5番手だったティーズダンクが,一杯になったプレシャスエースを差して3馬身差の3着。
 優勝したシャマルサマーチャンピオンからの連勝で重賞3勝目。このレースは実績で上位のシャマルとティーズダンクに,オープンを2勝している3歳で軽量のリメイクが食い込めるかが焦点。きわめて順当な決着になりました。さきたま杯で先着を許していたティーズダンクを逆転することができたのは,小回りコースと浦和コースへの経験値を得たからだと思います。この路線では中心的存在であり続けるでしょう。父はスマートファルコン。母の父はアグネスデジタル。祖母の父はダンスインザダーク。母の従妹に18日のローズステークスを勝った現役のアートハウス。Shamalはペルシャ湾岸地域に吹く風。
 騎乗した川須栄彦騎手と管理している松下武士調教師はオーバルスプリント初勝利。

 前もっていっておいたように,僕はスピノザが国家Imperiumという概念notioと社会societasという概念を分けていないことを,肯定的な観点から解します。この点は浅野も同様です。浅野によれば,スピノザは国家的なものが発生する手前にある社会的地平に注目しているのです。この社会的地平というのは,諸々の様態modusが多層的に関係するその関係の連鎖から成立する物質的な過程のことであって,個々の様態がその他の様ざまな様態に遭遇することによって生じる異化と変成の場のことです。つまりスピノザの哲学からいわれるような社会というのを,浅野は,たとえばヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelや三木によって国家といわれるような,領土と国民をもつひとつの集団のように解しているのではなく,その内部で絶えず変化が生じつつも,ひとつの様態としては同一にとどまるような集団として解しているのです。いわばそれは人間の身体humanum corpusのような物体corpusなのであって,現実的に存在する人間の身体の内部では,絶えず様ざまな変化,最も分かりやすくいえば栄養の摂取とか不要物の排泄といったような変化が生じているのですが,そうした変化が生じつつも全体としての身体はその形相formaを失わず,その人間の身体として現実的に存在し続けます。社会というのもそれと同じなのであって,その内部で常に多くの変化が生じつつ,全体としては同一の形相でとどまるようなひとつの集団なのです。
                                        
 スピノザはこうした集団としての社会という概念を,国家という概念と区別していないのですから,スピノザにとっての国家というのは,浅野がいっているような社会と同様のものであると解さなければなりません。つまりスピノザは国家の内部では,様ざまな変化が生じるということは認めていて,それでもなお国家は同一の形相でとどまるというように解しているのです。もっといえば,そうした変化が生じなくなるとすれば,国家は同一の形相でとどまることはできないでしょう。よってそこでは,ヘーゲルや三木が国家と社会を分けるとき,社会の側から国家の問題性を照射するような道が開かれているのです。これが三木やヘーゲルにはなくスピノザにはある視点で,三木はそこを追う思考の枠組をもっていなかったのです。
コメント
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