アパパネの母は2000年にアメリカで産まれたソルティビッドという馬です。アマゾンウォリアー,ファンシミン,アンティックヴァリューなど,日本で多くの牝系が発展しているファミリーナンバーが9-fの一族。
ソルティビッドは競走馬として輸入されました。2戦目で初勝利をあげた後,オープンを勝利。2歳の暮れに重賞で2着になり,年明けにまたオープンを勝利。ただその後は勝利をあげることができませんでした。競走馬としては早熟のスピードタイプ。当時のアメリカ産の輸入馬には,こういうタイプの馬が多くいました。
4歳の3月のレースを最後に繁殖牝馬に。2007年の産駒がアパパネです。繁殖牝馬としては,自身と違ったタイプの産駒が輩出したことになります。
繁殖牝馬となったアパパネの産駒は現時点で4頭が競走馬としてデビューし,いずれもJRAの現役馬です。最初の産駒が4勝。2頭目の産駒も4勝し,この馬は重賞2着が2回と3着が1回。3頭目の産駒も4勝していて,重賞3着が1回と大レース4着が1回。そして4頭目の産駒が今年のクイーンカップと秋華賞を勝ったアカイトリノムスメですから,繁殖牝馬としてのアパパネもかなり優秀です。
日本での歴史はまだ始まったばかり。アカイトリノムスメも,アクシデントさえなければゆくゆくは繁殖牝馬となる筈ですから,さらに活躍馬が出てくるという可能性を大いに秘めた牝系だといえそうです。
麻雀におけるオカルトの発生を,哲学的な観点から一例だけ説明しておきましょう。
まず基本的な前提として,第二種の認識cognitio secundi generisで認識するcognoscereことができる事柄について,第一種の認識cognitio primi generisに頼ってプレイするということが,人間にとって可能であるということをみておかなければなりません。このことは,第四部定理一から説明することができます。この定理Propositioは,第一種の認識で認識したことが有する積極的なものは,第二種の認識ないしは第三種の認識cognitio tertii generisで認識した事柄によって除去されることはないということを意味しています。このことは,人間の精神mens humanaが第一種の認識で何かを認識するということは,そのものを誤って認識する,いい換えればそのものの誤った観念idea falsaがその人間の精神のうちに発生するというのと同じ意味であり,人間の精神が第二種の認識ないしは第三種の認識で何事かを認識するということは,その人間の精神がそのものを真に認識する,いい換えるなら,その人間の精神のうちにそのものの真の観念idea veraが生じるという意味であるということから明白です。したがって,あるプレイヤーが麻雀を打っているとき,自身の打ち方がオカルトに即してどのようになるのかということを認識しているとき,その認識は,そのときにデジタルに即した場合にどう打つのかという認識によっては除去されません。これは,僕がオカルトのプレイヤーはデジタルな打ち方ができないプレイヤーなのではなく,デジタルな打ち方にオカルトの要素をわざわざ上乗せして打つプレイヤーであるということとも関連しています。オカルト的要素を含む認識は,デジタルな認識によっては除去されないのですから,同じプレイヤーのうちに,デジタルな要素とオカルトの要素が両存するということも,この定理から明らかになっているからです。
もう一点,この定理で除去されないのが,単に誤った観念といわれているのではなく,誤った観念が有する積極的なものといわれている点にも注意が必要です。これは僕がこのブログで虚偽の積極性といっているものであって,人間の精神のうちにある誤った観念あるいは同じことですが混乱した観念idea inadaequataのうちにも,積極的なものが含まれているのです。
ソルティビッドは競走馬として輸入されました。2戦目で初勝利をあげた後,オープンを勝利。2歳の暮れに重賞で2着になり,年明けにまたオープンを勝利。ただその後は勝利をあげることができませんでした。競走馬としては早熟のスピードタイプ。当時のアメリカ産の輸入馬には,こういうタイプの馬が多くいました。
4歳の3月のレースを最後に繁殖牝馬に。2007年の産駒がアパパネです。繁殖牝馬としては,自身と違ったタイプの産駒が輩出したことになります。
繁殖牝馬となったアパパネの産駒は現時点で4頭が競走馬としてデビューし,いずれもJRAの現役馬です。最初の産駒が4勝。2頭目の産駒も4勝し,この馬は重賞2着が2回と3着が1回。3頭目の産駒も4勝していて,重賞3着が1回と大レース4着が1回。そして4頭目の産駒が今年のクイーンカップと秋華賞を勝ったアカイトリノムスメですから,繁殖牝馬としてのアパパネもかなり優秀です。
日本での歴史はまだ始まったばかり。アカイトリノムスメも,アクシデントさえなければゆくゆくは繁殖牝馬となる筈ですから,さらに活躍馬が出てくるという可能性を大いに秘めた牝系だといえそうです。
麻雀におけるオカルトの発生を,哲学的な観点から一例だけ説明しておきましょう。
まず基本的な前提として,第二種の認識cognitio secundi generisで認識するcognoscereことができる事柄について,第一種の認識cognitio primi generisに頼ってプレイするということが,人間にとって可能であるということをみておかなければなりません。このことは,第四部定理一から説明することができます。この定理Propositioは,第一種の認識で認識したことが有する積極的なものは,第二種の認識ないしは第三種の認識cognitio tertii generisで認識した事柄によって除去されることはないということを意味しています。このことは,人間の精神mens humanaが第一種の認識で何かを認識するということは,そのものを誤って認識する,いい換えればそのものの誤った観念idea falsaがその人間の精神のうちに発生するというのと同じ意味であり,人間の精神が第二種の認識ないしは第三種の認識で何事かを認識するということは,その人間の精神がそのものを真に認識する,いい換えるなら,その人間の精神のうちにそのものの真の観念idea veraが生じるという意味であるということから明白です。したがって,あるプレイヤーが麻雀を打っているとき,自身の打ち方がオカルトに即してどのようになるのかということを認識しているとき,その認識は,そのときにデジタルに即した場合にどう打つのかという認識によっては除去されません。これは,僕がオカルトのプレイヤーはデジタルな打ち方ができないプレイヤーなのではなく,デジタルな打ち方にオカルトの要素をわざわざ上乗せして打つプレイヤーであるということとも関連しています。オカルト的要素を含む認識は,デジタルな認識によっては除去されないのですから,同じプレイヤーのうちに,デジタルな要素とオカルトの要素が両存するということも,この定理から明らかになっているからです。
もう一点,この定理で除去されないのが,単に誤った観念といわれているのではなく,誤った観念が有する積極的なものといわれている点にも注意が必要です。これは僕がこのブログで虚偽の積極性といっているものであって,人間の精神のうちにある誤った観念あるいは同じことですが混乱した観念idea inadaequataのうちにも,積極的なものが含まれているのです。