秋華賞を勝ったアカイトリノムスメの母はアパパネです。父はキングカメハメハ。Apapaneはハワイに住む鳥の名前。この鳥が赤い鳥なので産駒にアカイトリノムスメという名がつけられました。
アパパネのデビューは2歳の7月。このレースは3着に敗れましたが2戦目の未勝利を勝つと次の特別戦も連勝。年末の阪神ジュベナイルフィリーズも制してこの年のJRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されました。
3歳初戦のチューリップ賞は2着。これをステップに挑んだ桜花賞で大レース2勝目。さらにオークスも同着でしたが優勝し,大レース3勝目。
秋初戦のローズステークスは4着でしたが,秋華賞は制して大レース4勝目。2歳女王になった上に3歳牝馬三冠を達成という快挙を成し遂げました。古馬との初対戦となったエリザベス女王杯は外国馬の3着。文句なしにJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されました。
4歳の初戦に選んだのはマイラーズカップでここは4着。しかし続くヴィクトリアマイルを制して大レース5勝目。安田記念に進みましたがここはリアルインパクトの6着でした。
秋は府中牝馬ステークスで復帰。ここで14着と生涯初の大敗を喫しました。ここまでは前哨戦は負けて本番で巻き返していましたが,エリザベス女王杯は前年と同様に外国馬の3着。香港マイルに遠征したものの13着と大敗でした。
現役続行を選択しましたが,5歳初戦の阪神牝馬ステークスは7着。ヴィクトリアマイルも5着。安田記念で16着と敗れ,現役を引退しました。
いずれも牝馬戦で大レース5勝。牝馬には,牡馬相手でも対等に戦える馬と,牡馬が相手になると牝馬戦での能力を十分に発揮できない馬がいるのですが,この馬は典型的な前者のタイプであったといえるでしょう。
近藤が一方では経験が理論および思考とともに直感の基礎を構成し,他方では直感は経験則とは異なるというとき,デジタルとオカルトという区分が意識されているのです。すなわち近藤がそこでいわんとしているのは,直感というのはデジタルなものでありオカルトではないということなのです。そしてこのようにみたとき,近藤がいっていることが,スピノザが第二部定理四〇備考二と第五部定理二八でいっていることと近似しているということが理解できるのではないでしょうか。近藤のいい方に倣えば,経験則というのは第一種の認識cognitio primi generisであり,それは第三種の認識の基礎cognitio tertii generisにはならないからです。
近藤がこのことを強調するのは,近藤が自身の打ち方は,オカルトには分類することができないと考えているからです。つまり,確かに近藤は直感を用いて麻雀を打っているのですが,それはオカルトではなくデジタルなのです。つまり直感とオカルトというのは異なるのであって,そのことは近藤自身も強調しています。そして裏を返せば,麻雀を直感で打つにしても,それはデジタルな仕方で,いい換えれば論理的に説明することができるということです。つまり,オカルトが第一種の認識に依拠した打ち方であり,デジタルが第二種の認識cognitio secundi generisに依拠した打ち方であるとすれば,デジタルな打ち方は直感の打ち方の基礎になっても,オカルトな打ち方は直感の基礎にはならないのです。そして同時に,第一種の認識に基づく打ち方,すなわちオカルトに依拠した打ち方は,どのように打つかということを合論理的に説明することができないのに対し,第二種の認識すなわちデジタルな思考に基づいて打つ場合は,どう打つのかということを合論理的に説明することができるのですから,直感すなわち第三種の認識に基づく打ち方もまた,なぜその直感が働くagereのかということについて,合論理的な説明が可能であると近藤はいっているのです。
前もっていっておいたように,デジタルな思考に基づいて打とうとオカルトに依拠して打とうと,打ち方自体は同一になるという場合が往々にしてあります。異なるのはそれについて,合論理的な説明が可能であるか否かという点にあります。
アパパネのデビューは2歳の7月。このレースは3着に敗れましたが2戦目の未勝利を勝つと次の特別戦も連勝。年末の阪神ジュベナイルフィリーズも制してこの年のJRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されました。
3歳初戦のチューリップ賞は2着。これをステップに挑んだ桜花賞で大レース2勝目。さらにオークスも同着でしたが優勝し,大レース3勝目。
秋初戦のローズステークスは4着でしたが,秋華賞は制して大レース4勝目。2歳女王になった上に3歳牝馬三冠を達成という快挙を成し遂げました。古馬との初対戦となったエリザベス女王杯は外国馬の3着。文句なしにJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されました。
4歳の初戦に選んだのはマイラーズカップでここは4着。しかし続くヴィクトリアマイルを制して大レース5勝目。安田記念に進みましたがここはリアルインパクトの6着でした。
秋は府中牝馬ステークスで復帰。ここで14着と生涯初の大敗を喫しました。ここまでは前哨戦は負けて本番で巻き返していましたが,エリザベス女王杯は前年と同様に外国馬の3着。香港マイルに遠征したものの13着と大敗でした。
現役続行を選択しましたが,5歳初戦の阪神牝馬ステークスは7着。ヴィクトリアマイルも5着。安田記念で16着と敗れ,現役を引退しました。
いずれも牝馬戦で大レース5勝。牝馬には,牡馬相手でも対等に戦える馬と,牡馬が相手になると牝馬戦での能力を十分に発揮できない馬がいるのですが,この馬は典型的な前者のタイプであったといえるでしょう。
近藤が一方では経験が理論および思考とともに直感の基礎を構成し,他方では直感は経験則とは異なるというとき,デジタルとオカルトという区分が意識されているのです。すなわち近藤がそこでいわんとしているのは,直感というのはデジタルなものでありオカルトではないということなのです。そしてこのようにみたとき,近藤がいっていることが,スピノザが第二部定理四〇備考二と第五部定理二八でいっていることと近似しているということが理解できるのではないでしょうか。近藤のいい方に倣えば,経験則というのは第一種の認識cognitio primi generisであり,それは第三種の認識の基礎cognitio tertii generisにはならないからです。
近藤がこのことを強調するのは,近藤が自身の打ち方は,オカルトには分類することができないと考えているからです。つまり,確かに近藤は直感を用いて麻雀を打っているのですが,それはオカルトではなくデジタルなのです。つまり直感とオカルトというのは異なるのであって,そのことは近藤自身も強調しています。そして裏を返せば,麻雀を直感で打つにしても,それはデジタルな仕方で,いい換えれば論理的に説明することができるということです。つまり,オカルトが第一種の認識に依拠した打ち方であり,デジタルが第二種の認識cognitio secundi generisに依拠した打ち方であるとすれば,デジタルな打ち方は直感の打ち方の基礎になっても,オカルトな打ち方は直感の基礎にはならないのです。そして同時に,第一種の認識に基づく打ち方,すなわちオカルトに依拠した打ち方は,どのように打つかということを合論理的に説明することができないのに対し,第二種の認識すなわちデジタルな思考に基づいて打つ場合は,どう打つのかということを合論理的に説明することができるのですから,直感すなわち第三種の認識に基づく打ち方もまた,なぜその直感が働くagereのかということについて,合論理的な説明が可能であると近藤はいっているのです。
前もっていっておいたように,デジタルな思考に基づいて打とうとオカルトに依拠して打とうと,打ち方自体は同一になるという場合が往々にしてあります。異なるのはそれについて,合論理的な説明が可能であるか否かという点にあります。