スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

出自と出身&誤謬と結果

2021-12-15 19:27:24 | 歌・小説
 『坊っちゃん』の登場人物の幾人かは,その出自や出身が明らかにされています。そのことが,幕臣と維新の志士に対する漱石の見方と関連していると読むこともできるのです。
                                          
 うらなりは鍛治屋町というところに住んでいます。そこは士族屋敷だとされています。つまりうらなりの出自は武士です。また,うらなりは土地の人で,住んでいるのは先祖代々の屋敷と書かれていますから,出身も松山です。坊っちゃんが下宿することになる家の老婆の話では,うらなりの父親は坊っちゃんが松山に赴任してくる前年に死にました。そして父親が死んでから,うらなりの家は暮らし向きが思わしくなくなりました。どうもうらなりが何らかの詐欺の被害に遭ってしまったためのようです。このことから分かるように,うらなりの出自は武士であって,おそらく先祖は長きにわたって松山藩の藩士であったと思われます。それが,これはおそらくうらなりの人の好い性格のためだと思われますが,金銭的に困窮する事態に襲われました。つまり明治のこの時代には没落してしまった武士であると考えられます。つまりマドンナを巡って坊っちゃんと山嵐からある種の同情を受けるのは,没落した松山藩の武士であるとみることができます。
 山嵐は,坊っちゃんとの会話の中で,自身が会津の出身であるということを明かしています。会津藩は白虎隊で有名なように,最後まで徳川幕府に忠誠を尽くしました。漱石の先祖は武田家から徳川家に寝返った武士で,先祖がそういった寝返りをしたことを漱石自身はおそらく恥じていたのですが,会津藩の武士というのは,漱石からみれば,家臣としてあるべき姿を最後まで貫いた人たちであったということになるでしょう。
 坊っちゃんは東京,すなわち江戸という徳川幕府のお膝元から松山に赴任してきたのです。つまりある意味では徳川家を代表しているのです。つまりこの物語は,松山藩の困窮した武士を,江戸と会津藩の武士が助けようとする物語であると読むことができることになります。

 なぜ誤謬errorを結果から判断してはならないのかということは,スピノザが第二部定理三五を証明するときに示していることからも分かります。スピノザはそこで,誤るとか錯誤するといわれるのは精神mensであって身体corpusではないという意味のことをいっています。なので,少なくともスピノザの哲学の中で誤謬ということをいうのであれば,それは身体のある運動motusについていうのではなく,精神の何らかの思惟作用についていうのでなければなりません。しかるに,麻雀である牌を捨てるとかある牌を手の中に残すといった行為は,身体のある運動に属します。ですからその行為についてそれを誤謬であるということはできません。むしろどの牌を捨てているのかということを決定する要因となる,思惟作用について誤謬であるとか誤謬ではないというのでなければなりません。よって,ある牌を捨てることによって失点したからそれが誤謬であると断定することはできませんし,逆にある牌を手の中に残すことによって失点を回避したからといって,そのプレイヤーが誤謬を犯さなかったということはできないのです。
 なお,僕はここではあたかも精神のうちに生じる思惟作用が,どのような牌を捨てるのかということの原因causaになると読解することができるようないい方をしましたが,スピノザの哲学では第三部定理二にあるように,精神による思惟作用が身体の運動を決定するdeterminareことはない,つまりある人間の精神の思惟作用がその人間の身体の運動の起成原因causa efficiensとはならないといわれていますので,その点にも注意しておいてください。ただ,感情affectusの場合は,第三部定義三にあるように,人間の身体のある状態と同時に人間の精神のある状態を同時に示します。したがってある感情は,それ自体で人間の身体の運動の起成原因となりますし,その感情は認識されることによってその人間の思惟作用の原因ともなるのです。僕がこのような意味でどの牌を捨てるかの要因となる思惟作用について語っていると解してください。そしてその要因が受動感情であるなら,その人間の精神は誤謬を犯しているのであり,実際にどのような結果がゲームの中で生じるのかということは関係ないのです。
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