スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

金亀杯争覇戦&オカルトの発生

2021-12-06 19:07:48 | 競輪
 昨日の松山記念の決勝。並びは新田‐大森の北日本,松本‐橋本‐渡部の愛媛,山田‐香川の西国で松谷と稲垣は単騎。
 新田と山田がスタートを取りに行き,新田が制して前受け。周回中に上昇してきた松谷が3番手。発走後に新田を追った橋本がその位置を確保したので4番手は松本。山田は7番手となり,最後尾に稲垣という周回に。残り3周のバックの出口から山田が上昇。稲垣も続いてホームで新田を叩きました。新田は稲垣の後ろになり,後方となった松本が上昇。松谷まで続いてバックで山田の外に並び掛けるとペースが極端に落ちて打鐘。外から松本が発進。一旦は離れた松谷は内を突いて上昇し,ホームでまた渡部の後ろに。5番手に山田となり,8番手となった新田がバックから発進。山田が合わせて出ようとしましたが新田が乗り越えました。しかし直線の手前で橋本が牽制。そのまま橋本が踏み込むと松本を差して優勝。立て直して橋本の外からまた伸びてきた新田が半車輪差で2着。逃げ粘った松本が半車輪差の3着で橋本マークの渡部が4分の1車輪差で4着。
 優勝した愛媛の橋本強選手はこれが記念競輪初優勝。このレースは新田の脚力が上ですが,先行は松本になりそうなので,その展開をうまく生かせば対抗格の筆頭と考えていました。新田としては橋本に牽制されるのはともかく,山田にもスピードを殺される形になってしまったのは誤算だったといえるでしょう。とはいえそれは後方から捲っていこうとする選手にとっての宿命であるとはいえます。展開上はあり得そうな結果と思っていただけに,配当にはやや驚きました。

 麻雀というゲームは,初心者であっても,1回だけの勝負であれば,プロを相手に勝つ可能性があるゲームでした。したがって,どんなに強いプロであっても,連戦連勝というわけにはいきません。4人で打つ麻雀であれば,1位になるということが勝つということを意味すると仮定するなら,勝つことよりも負けることの方が多いゲームです。4人の実力が同一であるとすれば,単純な計算では4回に1回は勝ち,3回は負けることになります。対戦を重ねていくことで,勝つことができる1回を1.1回,1.2回というように増やし,負けることを2.9回,2.8回という具合に減らしていくというような形で,麻雀のプロは争っているのです。
                                        
 このことは,デジタルであるかオカルトであるかということとは関係ありません。つまり単にデジタルに即して打ち,それ以外の要素を排除しても,やはり勝つ確率を,たとえば2回に1回というように,極端に上昇させることができるわけではありません。結局のところ,麻雀は負けることの方が多いゲームであるということは変わらないのです。僕の考えでは,これが麻雀というゲームにおいてオカルトという要素が発生してくる要因です。要するに,デジタルに打っても必ず勝てるわけではないから,そこでオカルトに頼るのです。つまり,第二種の認識cognitio secundi generisを駆使することによって必ずよい結果が生じるというわけではないので,よい結果をより多く出すために第一種の認識cognitio primi generisに頼るということになるのです。僕はここでは一例として,流れが来ているとか,調子がよいといった現象をあげましたが,こうしたことに限らず,たとえば普段の行いをよくするとか,神仏に頼るといった,おおよそ麻雀の結果を出すこととは関係ないことでも,麻雀でよい結果を出すことを目的としてそうしたことをするなら,それもオカルトに含まれるというように僕は考えます。たぶん何事かにゲンを担いでいるという人はそれなりに存在していると思われ,それもここでいうオカルトのひとつになるのですから,麻雀というゲームにオカルト派のプレイヤーが存在するということも,不思議でないのは理解することができるのではないでしょうか。
コメント
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