スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&相違

2021-12-22 20:26:24 | 地方競馬
 第21回兵庫ゴールドトロフィー。リュウノシンゲンが感冒のために出走取消となり11頭。
 発走後の正面ではイグナイターとヒロシゲゴールドが併走。3馬身差の3番手にラプタスで4番手にテイエムサウスダン。6番手がワイドファラオとイダペガサスで8番手のメイショウワダイコまでの5頭は集団。3馬身差でトーセンレビュー。3馬身差でクリノフウジン。1馬身差でスマートアヴァロン。3馬身差の最後尾にスマハマ。コーナーワークでイグナイターが単独の逃げとなり,向正面に入って1馬身のリードになりました。ミドルペースに近いくらいのハイペース。
 2番手になったヒロシゲゴールドは向正面半ばでついていかれなくなり後退。2番手に上がったラプタスが逃げるイグナイターとの差を詰めていき,少し離れた3番手まで上がってきたテイエムサウスダンまでの3頭の争い。直線は一番外に出たテイエムサウスダンの伸び脚が際立ち,内の2頭を差し切って優勝。真ん中のラプタスが内のイグナイターは差して1馬身差の2着。逃げたイグナイターが1馬身4分の1差で3着。
                                  
 優勝したテイエムサウスダンオーバルスプリント以来の勝利で重賞4勝目。ここはラプタスと共にこの距離での実績で他に優る馬。ラプタスが59キロであったのに対し,こちらは58キロでしたので,その分だけ有利に戦えたというところはあったかもしれません。今日のようなレベルでの戦いならまだ重賞の勝利数を増やしていかれるでしょうし,もう少し強いメンバーとの争いでも,戦えるだけの能力があるまではないかと思います。父はサウスヴィグラス
 騎乗した岩田康誠騎手は第6回,7回,8回,13回に続き8年ぶりの兵庫ゴールドトロフィー5勝目。管理している飯田雄三調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。

 観念ideaそのものとその観念の観念idea ideaeの混乱の度合いに差があるのに,そのふたつが同一個体であることが不条理ではないことは,ふたつの観点から説明することができます。
 ひとつはこの観念も観念の観念も,同一の人間の知性intellectusのうちにあるという点です。なのでこのふたつは同一の連結connexioと秩序ordoで神Deusと関連付けられなければなりません。それは観念が混乱していようと十全adaequatumであろうと同じであって,混乱の度合いに差があるかないかということとは関係ないのです。これはこのふたつが同一個体であるという観点からの説明だといえます。
 もうひとつは,ある観念と観念の観念の区別distinguereからの説明です。これは以前に詳しく検討したことですが,観念というのは思惟の様態cogitandi modiであったとしても,必ず様態的にmodaliter区別されるわけではありません。観念対象ideatumが実在的にrealiter区別されるのであれば,観念の間の区別も実在的区別であるといわなければならないからです。しかるに,人間の精神mens humanaのうちにある観念があるというとき,観念は必ず何かの観念,つまり観念対象を有する観念であるのですが,第二部公理五から分かるように,人間の精神が認識するcognoscereのは思惟の様態でないのなら物体corpusです。つまり人間の精神のうちに観念があるといわれる場合には,物体の観念があるということになり,観念対象は物体であることになります。これに対して観念の観念の観念対象というのは,それ自体で明らかなように観念です。よって,物体と観念,いい換えれば延長Extensioの様態と思惟の様態は実在的に区別されなければならないのですから,同じ人間の精神のうちにある観念とその観念の観念がある場合にも,実はそれらは様態的にではなく実在的に区別されなければならないのです。ですからそのふたつの混乱の度合いに差があるのは,むしろ当然だといってもいい過ぎではありません。この例から分かるように,同じ人間の知性のうちにある観念と観念の観念の相違というのは,同じ人間の身体humanum corpusと精神の相違に類するような相違なのですから,異なっているのが当然だという方が理屈としては合っているからです。
 ここでは同じ知性のうちにあるといういい方をしましたが,厳密にはそれも異なるといえます。
コメント
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