スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典名古屋グランプリ&異なった精神

2021-12-23 19:52:22 | 地方競馬
 第21回名古屋グランプリ
 発走後の正面ではダンビュライト,ライトウォーリア,ケイアイパープルの3頭が並んでいましたが,コーナーワークでダンビュライト,ライトウォーリア,ケイアイパープルの順になりました。3馬身差でヴェルテックス。5馬身差でホーリーブレイズ。6馬身差でナムラムツゴロー。2馬身差でウインハイライトとトーセンブル。2馬身差でドスハーツ。3馬身差でルールソヴァール。2馬身差の最後尾にエグジットラックという隊列。2周目の正面に入ると3番手はヴェルテックスとケイアイパープルの併走となり,2馬身差でホーリーブレイズ。ドスハーツがその後ろまで追い上げてきました。ミドルペース。
 2周目の向正面でライトウォーリアがついていかれなくなり,ダンビュライトとケイアイパープルの2頭が雁行に。外から追い上げてきたヴェルテックスが3番手に上がり,ホーリーブレイズが4番手に。直線は前の3頭が横に並ぶ形になりましたが,大外のヴェルテックスが内の2頭を突き放して優勝。早めに逃げ馬に並び掛けたケイアイパープルが2馬身半差で2着。逃げたダンビュライトが4馬身差の3着に粘り,ホーリーブレイズがクビ差で4着。
 優勝したヴェルテックスは重賞初勝利。このレースはかなり低調なメンバー構成となり,前走の浦和記念で3着になったこの馬がダートの実績では最も上といえる存在。快勝ではありましたが,そうしたメンバー構成での勝利ですから,すぐに多くのことを望むのは酷なのではないかと思います。父はジャスタウェイ。母の父はサクラバクシンオーフロリースカップシラオキローズトウショウの分枝。母は2003年にCBC賞,2004年に函館スプリントステークス,2005年に函館スプリントステークス,2006年にCBC賞とセントウルステークスを勝ったシーイズトウショウ。Vertexはラテン語で頂点。
 騎乗した横山武史騎手と管理している吉岡辰弥調教師は名古屋グランプリ初勝利。

 ある観念ideaによってその一部を構成されている知性intellectusないしは精神mensと,その観念の観念idea ideaeによって一部が構成されている知性ないしは精神は,異なった知性ないしは精神であるという見方ができます。スピノザの哲学を厳密に解そうとするならばこの解釈が正当かもしれません。
                                   
 第二部定理一七により,現実的に存在する人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusに刺激されるafficiと,その人間の精神mens humanaはその外部の物体が現実的に存在すると知覚します。つまり,その外部の物体が現実的に存在するという観念が,その人間の精神のうちに生じます。このとき,この観念が生じる人間の精神というのは,外部の物体に刺激された人間の身体の精神であるといっておきましょう。
 現実的に存在する人間の精神は,その精神のうちにある観念が生じると,その観念が生じたということを認識するcognoscereことができます。上述の例でいえば,この人間の精神は,自分の精神が外部の物体が現実的に存在していると知覚しているということを認識することができます。これは外部の物体が現実的に存在するという観念の観念です。この観念の観念が生じている精神は,観念が生じているのが身体の精神であるといういい方に対比させていうなら,精神の精神というべき精神で,観念が生じている精神とは,厳密には異なった精神であると解するべきでしょう。
 観念の観念も観念対象ideatumにはなりますし,その観念もまた観念対象になるのであり,この関係は無際限に続いていきます。つまり,僕たちの精神のうちにある観念が生じれば,僕たちはその観念が生じたということを知ることができ,さらにそれを知っているということを知ることができるという具合に無際限に続いていくのです。それらの精神は厳密にはすべて異なった精神であるとみられるべきだということになるでしょう。しかし一方で,どの精神も僕たちの精神であって,僕たちはどの段階でも,少なくとも論理上はそのすべてを認識することができるのですから,それらはやはり同一の精神であって,異なった精神であるというのは不条理であるようにも思えます。ですがこのことは,平行論を導入することによって,その不条理性を排除できると僕は考えます。
コメント
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