スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

日刊スポーツ賞東京湾カップ&序文の冒頭

2019-05-09 19:10:22 | 地方競馬
 昨晩の第33回東京湾カップ
 鞭を入れてイグナシオドーロがハナへ。ホールドユアハンドががっちりと2番手でマーク。3番手はジョニスヴェニールとサクセッサー。5番手がミスタージョイとフォルベルス。7番手のレオズハウライトまで一団。2馬身差でオーシャンブラックとゲイムスターでその後ろのグリードパルフェの3頭が集団。3馬身差でエレガンテヴァイゼ,サージュ,ダバイダバイと続きました。ミドルペース。
 3コーナーでホールドユアハンドがイグナシオドーロに並んでいくとイグナシオドーロは一杯になり,ホールドユアハンドが先頭に。これをマークして一緒に上がってきたサクセッサーが,コーナーはホールドユアハンドの外を回り,直線の入口では単独の先頭に。直線でもその勢いのまま後ろを引き離していって快勝。向正面で早めに動いていったグリードパルフェは追い縋るかの場面もありましたが,直線の途中で内にもたれてしまい,そこで立て直すロスがあって4馬身差の2着。外から2頭目を追い込んできたサージュがクビ差で3着。
 優勝したサクセッサーは南関東重賞初制覇。イグナシオドーロはウィンターフェルと遜色がない力があることを北海道時代にみせていて,力量だけならこのメンバーでは断然と思っていました。もう少し早いペースで逃げてほしかったと思うのですが,体調も整っていなかったのでしょう。この馬を除くと力量にはさほど差がないので混戦になりますが,レースの傾向としてはクラウンカップで好走した馬がここでも好走というケースが多く,クラウンカップで2着だったサクセッサーの優勝は,その傾向には合致したものだったといえます。ホールドユアハンドにはずっと勝てなかったものの,差を徐々に詰めていっての逆転なので,力量差も逆転したとみていいのではないでしょうか。ただトップクラスとは少しばかり差がありそうです。父は2007年にシンザン記念と弥生賞,2008年に京都記念を勝ったアドマイヤオーラで,その父はアグネスタキオンで母はビワハイジ。母の父は1999年にセントライト記念を勝ったブラックタキシード。これはサンデーサイレンスの3×3の近親配合。チップトップスピードキヨフジの分枝。
 騎乗した船橋の石崎駿騎手京成盃グランドマイラーズ以来の南関東重賞制覇。第24回以来9年ぶりの東京湾カップ2勝目。管理している船橋の佐藤賢二調教師は南関東重賞36勝目。第22回以来11年ぶりの東京湾カップ2勝目。

 『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』のマイエルLodewijk Meyerによる序文に対して,スピノザは書簡十五でいくつか注文をつけました。実際に発刊された『デカルトの哲学原理』は,この注文をすべて受け入れる形になっています。つまりマイエルは草稿を書き直したのです。これは僕の推測になりますが,マイエルはおそらく書き直した草稿もスピノザに見せ,スピノザが承諾してから発刊しただろうと思います。つまりこの序文はあくまでもマイエルが書いたものではありますが,初めからスピノザと合議の上で成立した序文であり,したがってそこでマイエルが何らかの考え方を示しているとしたら,スピノザもまたその考え方に同調していると判断して間違いありません。よってこの序文の中でマイエルは数学的方法に関して言及しているのですが,その言及は単にマイエルの考え方であるだけでなく,スピノザも賛同する考え方だったと解してよいと思われます。
                                        
 では具体的にどのようなことが記述されているかを説明していきます。
 序文の冒頭で,数学家たちが用いる方法は,真理veritasを探究する場合にも教授する場合にも,最善で最も確実な方法であるということは,叡智によって大衆の上に立とうとするすべての人の一致した見解であるという意味のことがいわれています。それが本当に一致しているのかどうか,あるいはこの時代に一致していたのかどうかは,僕は実は疑わしく感じます。ですがそれは問題ではありません。マイエルはそのように考えていたし,それはスピノザも一致していたということが重要です。つまり少なくともマイエルとスピノザは,真理を探究する方法としては数学的方法が最善でありまた最も確実であると考えていたのです。これはスピノザが数学を基本的にどのように評価していたのかということとも合致しているといえます。
 そしてここで数学家たちが用いる方法として示されているのが,定義Definitioと要請および公理Axiomaから結論を導く方法だと説明されています。こうした方法だけが数学的方法であるといえるのかどうかは僕には分かりません。しかしスピノザとマイエルは,この方法こそが数学家たちが用いる方法,すなわち数学的方法だと認識していたのです。
コメント
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