スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京優駿&虚構

2019-05-26 19:37:41 | 中央競馬
 日本ダービーの第86回東京優駿
 サートゥルナーリアは立ち上がって1馬身ほどの不利。内からロジャーバローズとエメラルファイトが先手を窺うところ,外からリオンリオンが追い抜いて1コーナーで単独の逃げに。ここから2コーナーにかけて飛ばしていき向正面の入口で5馬身くらいのリード。ラップを緩めなかったので,さらに差は広がりました。2番手がロジャーバローズで3番手に上がったのがサトノルークス。エメラルファイトが4番手に。5番手以下は2頭ずつの併走で,ダノンキングリーとクラージュゲリエ。マイネルサーパスとヴェロックス。ランフォザローゼスとシュヴァルツリーゼ。ニシノデイジーとサートゥルナーリア。レッドジェニアルとナイママの順。この後ろにタガノディアマンテ,アドマイヤジャスタ,ヴィントの3頭が一団となり,最後尾にメイショウテンゲン。最初の1000mは57秒8の超ハイペース。
 3コーナーを回るとリオンリオンとロジャーバローズの差は4馬身くらい。ここから3番手との差も4馬身くらいに広がりました。直線に入るところで3番手に上がったのはダノンキングリー。直線ではリオンリオンが一杯になり,ロジャーバローズが先頭に。やや離れた外から追ったのがダノンキングリー。その後ろから追ってきた馬は前の2頭に最後まで追いつけず,優勝争いは前の2頭。最後まで粘り切ったロジャーバローズが優勝。ダノンキングリーがクビ差で2着。3着は直線で脚を伸ばしてきた5頭の争い。外から2頭目のヴェロックスが2馬身半差で3着。大外のサートゥルナーリアが半馬身差で4着。最内のニシノデイジーがアタマ差で5着。真中のクラージュゲリエがクビ差で6着。内から2頭目のランフォザローゼスがクビ差で7着。
 優勝したロジャーバローズは重賞初制覇で大レース制覇。前走の京都新聞杯で2着になり,出走の権利を得ていました。このレースは皐月賞の上位3頭が強力とみていただけに意外な結果ではあります。ただダービーはなぜか5番から10番くらいの馬はなかなか勝てない傾向にあり,サートゥルナーリアとダノンキングリーはその傾向を覆せませんでした。ヴェロックスは発走前の消耗が大きかったのではないでしょうか。とはいえこのペースを先行して,ダノンキングリー以外の追随は許さずに優勝しているのですから,ロジャーバローズの能力も相当のものと考えなければなりません。父は第72回を制したディープインパクトで父仔制覇。
                                        
 騎乗した浜中俊騎手は2016年のマイルチャンピオンシップ以来となる大レース10勝目。日本ダービーは初勝利。管理している角居勝彦調教師は皐月賞以来の大レース37勝目。第74回以来12年ぶりの日本ダービー2勝目。

 定義Definitioに含まれているのが好ましい,定義されるものの起成原因causa efficiensは,知性intellectusがその定義されるものを概念するconcipereのに資することを条件としています。よってその起成原因によって定義されるものの十全な観念idea adaequataが知性のうちに発生するのであれば,定義されるものが知性の外に存在するとき,そのものの起成原因はそれと異なっていてもいいのです。こうした定義における起成原因の条件のことを,スピノザはその起成原因は虚構であって構わないといういい方をします。どういう意味で虚構であるのかはこの説明から明白でしょう。Aの定義のうちにAの起成原因が含まれているとき,その定義がAを知性が概念するのに役立てばいいのであり,もし実際にAが知性の外に存在する場合の起成原因ではなくてもよいという意味の虚構です。
 気を付けておかなければならないのは,これは虚構であって虚偽falsitasとは異なるという点です。虚偽というのはスピノザの哲学では混乱した観念idea inadaequataのことを意味します。ですがこの定義の条件でいわれる虚構は,定義されるものが十全に認識されるということを前提としています。ですからこれは虚偽ではなく真理veritasです。虚構は虚偽ではなく真理なのです。
 ただし,これが真理であるのは,起成原因によって定義されたものの十全な観念が発生するからなのであって,そこに起成原因とその結果effectusとしての定義されるものという因果関係が結ばれているからです。この結びつきのゆえにそれは虚構ではあっても真理なのです。もしこの結びつきを欠いてしまえば,というのは,定義に含まれている起成原因と定義されるものとが個別に認識されるならという意味ですが,これは虚偽です。少なくとも虚偽であり得ます。たとえばXの定義にAという起成原因が含まれているとき,Aは必然的にnecessario生じるとは限りませんから,XなしにAだけを認識するcognoscereならそれは虚偽であり得ます。これはスピノザ自身が,虚構といっている条件,つまり知性の外にXが生じる場合の起成原因はAでなくても構わないということからも明白です。この場合でいえばAとXが因果関係で結ばれることによって,AについてもXについてもそれは真理であるということが担保されるのです。
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