スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

マイナビ女子オープン&集合論者

2019-05-22 19:42:14 | 将棋
 第12期マイナビ女子オープン五番勝負第四局。
 里見香奈女流名人の先手で西山朋佳女王のノーマル三間飛車。先手が急戦を挑みました。ノーマル三間飛車に急戦を仕掛けると,この将棋もそうであったように振飛車に飛車を4筋に振り直す手損を強要できるケースが多いので,とくに居飛車が先手の場合は先手がよくなる分かれが多く,戦法としては優秀です。ただ対抗形の急戦策はどうしても後手の方が玉が固いので,分かれがよくなっても居飛車が勝つまでは大変というジレンマも抱えています。
                                        
 先手が5四に歩を垂らして後手が受けた局面。
 ここから先手は☗9五歩☖同歩☗9三歩☖同香と端に手を付けてから☗2二歩と打ちました。これは桂馬を入手できれば☗9四歩~☗8六桂が厳しくなるとみたもの。ですが後手はそれを避けるために☖4五銀☗同歩と先に桂馬を取って☖3三桂と逃げました。
                                        
 一時的に駒損ですが,1九の香車は取り返せます。第2図となっては端攻めが空振りとなった上,☖4五桂と跳ねる手も生じてしまい,先手がやり損ねた感があります。
 手順中,☖4五銀のときに☗2一歩成と出来るのでなければいけないのでしょうが,さすがにそれは無理そうです。よって第1図で端に手を付ける前に☗2二歩と打っておいた方がよかったのではないでしょうか。そこで☖3三桂なら桂馬を交換して端を攻められますし,実戦と同じ手順なら,一時的とはいえ駒得がもう少し生きる展開にできたかもしれません。
 3勝1敗で西山女王が防衛第11期からの連覇で2期目の女王です。

 もし集合論を公理系で記述することができた場合,いい換えれば集合論は綜合的方法に置き換えることができない分析的方法であるわけでなく,綜合的方法に置き換えることが可能な分析的方法であるという場合には,スピノザは公理論を展開すれば必然的にnecessario無限infinitumが定義されると考えていたわけではないということになります。そしてそういう可能性がまったくないというわけではないでしょう。ですがこの場合の綜合的方法は,スピノザが示そうとした綜合的方法と,方法の上で一致するだけであり,内実は相容れないほど相違を有することになります。ですから結果的に,方法論的観点から集合論が否定されることはなくても,形而上学的に否定されることになるでしょう。ですからスピノザは最初から集合論を数学とは認めないような考え方を有していた可能性もありますし,そうでなくても形而上学的には否定することになるのです。たとえそれが数学であるということは認め得るにしても,その数学は精神mensの受動passioである表象imaginatioと,精神の能動actio Mentisである概念conceptusとを区別することができないような数学であるということになってしまうでしょう。
 実際にはこうしたことは,スピノザの側から生じるのではなく,集合論者の側から生じてくるものだといえます。すなわち,もし集合論にはそれを背後から支える形而上学が必然的に存在しているということを弁えている数学者が存在するとしたら,その数学者はスピノザの哲学が集合論とは相容れないということを直ちに理解する筈だからです。ですから僕はスピノザからみて集合論は数学であるのかどうかという観点からこのことを追求しましたが,集合論者からみれば,スピノザの哲学は否定されなければならない哲学であるという結論が出てくる筈なのです。そうであるなら集合論者はむしろ,集合論がスピノザが認めるような数学ではないということを,喜んで受け入れることになるでしょう。これはスピノザがどういう学問を数学であると認識していたかということとは関係ありません。
 ただし,すべての数学者がスピノザの哲学を受け入れないわけではありません。むしろ公理論者は積極的にそれを受け入れることになります。
コメント
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