スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

湘南ダービー&綜合と分析

2019-05-14 18:53:04 | 競輪
 平塚記念の決勝。並びは松井‐和田‐郡司‐中村‐岡村の南関東,松岡健介-村上の近畿,清水-松岡貴久の西国。
 郡司がスタートを取って松井の前受け。6番手に松岡健介,8番手に清水で周回。残り3周のバックに入るところで清水が上昇開始。松岡貴久の後ろに松岡健介がスイッチ。バックの出口では清水が松井を叩いて誘導を斬りました。5番手まで引いた松井は残り2周のホームの出口から発進。清水も抵抗しましたが,打鐘では松井が叩いて先行。しかし中村が離れてしまい,清水が4番手に。その清水はコーナーから捲り上げていきましたが郡司が牽制。内が開いたので清水マークの松岡貴久がバックでインをするすると上昇。和田の内まで上がり,和田をどかして前に出ようとしました。不意を突かれた和田はスピードをアップすることができず,この間に後ろで脚を溜めていた松岡健介の捲りが炸裂。村上とふたりで大きく後ろを離して直線勝負。差し脚を凌いだ松岡健介が優勝。村上が4分の1車輪差の2着で近畿のワンツー。松井の発進に離れて村上の後ろになっていた岡村が4車身差で3着。
 優勝した兵庫の松岡健介選手は2012年2月に小田原で開催された花月園メモリアル以来の記念競輪2勝目。このレースは南関東勢が圧倒的に有利なメンバー構成で,清水の抵抗は受けたものの松井は叩ききり,中村と岡村は離れてしまったものの想定していたレース展開にはなりました。ただ松岡貴久に内から斬り込まれて分断されてしまったのが誤算。フィニッシュがばらばらの入線になっていることから分かるように,力を十全に発揮できなかった選手が多くなりました。その中でしっかりと自分の脚を使ったのが近畿勢だったということになります。

 マイエルLodewijk Meyerの序文は続けて,事情,これは真理veritasを探究するにも教授するにも数学的方法が最善で最も確実であるという事情ですが,事情はその通りだけれど,現実は異なってきたと述べています。それは著述家たちが,数学的方法は数学にのみ特有の方法であるとみなしてきたからだという見解が付せられています。
                                        
 しかしそれとは別個の見解を持ち合わせていた人もいるにはいたともマイエルはいっています。そして今世紀,これは17世紀のことですが,17世紀に至ってデカルトRené Descartesが出現しました。このいい方から分かるように,デカルトは数学的方法が最善で最も確実であるということに気付いていたというようにマイエルは解しています。僕はこの点でもスピノザは同じ見解を有していたと解します。しかしデカルトの哲学というのは,一部を除けば,定義Definitioや要請Postulatumあるいは公理Axiomaを先に置き,定理Propositioと証明Demonstratioがその後に続くという方法で記述されてはいません。実際にはデカルトはそうでない方が真実でありまた確実な教授方法であると考えていたのです。そのデカルトの方法は,分析的方法といわれます。というか,デカルト自身がそのようにいっています。
 当然ながらこうしたことも序文に書かれているのであって,マイエルもスピノザもそれは知っていたのです。したがって,ふたりは,真理を探究しまた教授するのに最善で最も確実な方法が,定義や公理ないしは要請を先に置いて,しかる後にそこから定理と証明を続けること,こちらは綜合的方法といわれる方法ですが,それはこの綜合的方法だと認識していたのですが,それだけが数学的方法であると考えていたわけではないと読むこともできます。いい換えれば数学的方法には綜合的方法だけが含まれるわけではなく,分析的方法もまた数学的方法であるえるあり得ると認識していたと読むことは可能でしょう。
 ただし,デカルトの哲学に関する著書は,数学における証明方法と秩序ordoに従っているのだけれど,綜合的方法とは異なった仕方で記述されていて,この綜合的方法が幾何学者たちにおいて普通は用いられている方法であるといわれているので,少なくとも幾何学的方法というのが綜合的方法であることは確実です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする