スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

伝記作家の評価&助言

2018-06-22 18:43:59 | 歌・小説
 伝記に伝記作家の評価の混入があるのは,大抵の伝記は伝記作家がその伝記の対象に何らかの関心を抱いた上で伝記を記述することになるからです。このことに関連して,補足しておきたいことがあります。
                                     
 多くの場合,伝記作家は伝記の対象者に対して肯定的な関心を抱くことによって伝記を書くことになります。ある作家の作品に魅了されたがゆえにその作家の人生にも興味を抱き,それを調査して伝記を書くというのはこの場合です。その典型が『ドストエフスキイの生活』で,この伝記の場合には小林秀雄のドストエフスキーの作品に対する関心の方がむしろ強く出ていますから,作品に合わせたような伝記が記述されているといっても過言ではありません。ですからこういった伝記は伝記の対象者,この例でいえばドストエフスキーの人生について真実のすべてが記述されていると解するのは危険で,虚偽が含まれていると思ってた方がいいです。あるいは少なくとも,虚偽は含まれていなくとも,真実のすべてが書かれているわけではなく,伝記作家の都合のよい部分だけが掬い上げられていると思っておくべきでしょう。
                                     
 十川信介の『夏目漱石』の場合にはそこまで考えなくてもいいですが,十川は漱石の小説にも多大な関心を抱いていて,それが伝記を記述する契機になっているのは間違いありません。ですから無意識のうちにであれ,漱石を美化してしまうことはあり得るということは,この伝記を読む上で前提としておかなければならないと僕は考えます。
 大部分の伝記はこのようなことを前提として読めば間違いないと僕は思います。しかし中には,それとは別に,何らかの否定的な関心をある人物に対して抱いたがゆえに,その人物の人生を調査して伝記を記述するという場合もあります。よってこのような伝記は無意識的に,伝記の対象者を卑下するような記述が混入する可能性があります。ですから伝記作家が伝記の対象者にどういう関心を寄せたがゆえに伝記を書いたのかということは,伝記を読む前に知っておくべき事柄のひとつなのです。
 伝記にはほぼ伝記作家の評価が混入します。しかしその評価は,必ずしも肯定的とは限らないのです。

 まとめると,診察の前に僕が,抗癌剤を用いた延命治療はしたくないと言った母に伝えたのは,ふたつのことです。ひとつはその治療が辛く苦しいものかは実際に受けてみなければ分からないので,受ける価値はあるだろうということです。そしてもうひとつは,辛い治療を受けてまで長く生きたくはないというのが母の希望なので,仮に治療を受けるとしても,それが辛くて中止したくなったらいつでも中止することができるということについて,医師から確約を取っておくべきであるということでした。
 ただ,実際のこの後の診察では,抗癌剤を用いた治療のことは主題とはなりませんでした。前述したようにこの日の診察は今後の治療方針の伝達のためであったのですが,母の大腸癌は検査用の管を通すことが困難なまでに大きくなっていましたから,当座は腸閉塞を発症しないようにすることが重要で,こちらの話が中心だったのです。腸閉塞の発症を防ぐためには大腸癌の切除が必要で,しかしそのためには実際にどの程度までの癌であるのかということを詳しく調べなければなりません。母も腸閉塞を発症してすぐに死んでしまうということは,妹の今後のこともあって本望ではありませんでした。ですから大腸癌を手術で切除することが必要であるとなれば,その手術は受ける決意を固めていました。
 大腸癌を調べる検査は注腸検査という名前の検査で,この検査をするためにも事前に準備が必要でした。準備というのは食すものに関連する事柄です。なのでこの検査はこの日のうちには不可能で,この検査を受けるための専用の食材が院内のコンビニエンスストアで販売していましたから,この日はそれを買って帰りました。帰宅したのは午後3時10分ごろでした。
 9月14日,木曜日。妹の誕生日です。ですから通所施設まで妹を送った帰りに,ケーキを買って帰りました。夕食後に妹を祝いましたが,おそらく母が妹の誕生日を祝うのはこれが最後になるだろうという類の感慨が僕にも生じました。おそらく母も同じことを思っていただろうと推測します。
 9月15日,金曜日。この日が注腸検査で,母はひとりで病院に。妹は僕が送りました。
コメント
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