スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

国際自転車トラック競技支援競輪&痙攣

2018-06-10 19:08:09 | 競輪
 取手競輪場で争われた第7回国際自転車トラック競技支援競輪の決勝。並びはブフリ‐ボス-グレーツァーの外国,金子-鈴木庸之の関東,中井-林の近畿中部で鈴木裕と山中は単騎。
 前受けはブフリ。4番手に金子,6番手に中井,8番手が山中で最後尾に鈴木裕という隊列。残り2周のホームで中井が上昇し,出口ではブフリを叩いて誘導を斬りました。山中,鈴木裕が続き,さらに金子がスイッチし,引いたブフリが7番手の一列棒状に。打鐘後の3コーナーからブフリが反撃。ボスが4コーナーで鈴木庸之にブロックされて続けませんでした。ホームで鈴木庸之の後ろにスイッチしていたグレーツァーが自力で追い上げましたが2コーナーでまた鈴木庸之がブロック。ここで金子と鈴木庸之の車間が開いたので最後尾になっていたボスが金子の後ろにスイッチ。林が執拗に牽制したもののそれを乗り越えたブフリがバックで先頭。そのまま中井との差を一方的に広げていって優勝。金子の後ろから自力で発進したボスが4車身差で2着。中井が1車輪差の3着に粘りました。
 優勝したオランダのマティエス・ブフリ選手はグレードレース初優勝。ここは外国人選手と日本人選手の力量差が大きく,外国人選手による優勝争いになるとみられました。並びからは番手のボスが有利と思いましたが,鈴木庸之がまずボス,続いてグレーツァーと立て続けにブロックしたために,ブフリ単独で捲る形に。レースの展開としては厳しいのですが,牽制を受けながらも捲り切り,そこからは差を広げる一方になったように,やはり力量ははっきりと上位でした。ブロックがあって後ろが続くことができないレースになったのは,ブフリの優勝にとってはいい材料だったでしょう。

 後に判明したのですが,このときの母の悪寒は高熱が出ていたためでした。ただ,僕には震えているというより,母の身体が自発的に動いたり止まったりするように見えました。僕はこのときは横になっている母の傍らに座り,母の身体をさすっていましたので,そう見えたというだけでなく,触覚的にもそのように感じられました。僕の知覚だと,母は震えているというより痙攣していると表現する方が的確であるように思えたのです。それでこれはただ事ではないと思い,母の意志も確認した上で,救急車の出動を要請しました。
 2010年の10月に母の異変が起こったときは,叔父が近くのアパートに住んでいたので事情が異なりますが,母は救急車を呼ぶことはしませんでした。このときもあるいは状況が同様であれば対応も同様になっていた可能性もあります。ただ,後に母がいったところによれば,このときはどうしても我慢することができなかったので救急車を呼んだということでしたから,母自身が感じた身体の状態というのも,そのときよりよほど苦しかったのではないかと推測します。
 強い異常を感じたのは7月27日だったと母は説明しています。日記を読んでもらえれば分かるように,母はその後も朝は妹を通所施設まで送っていましたし,また外食をする機会というのもありました。つまり最初に感じた強い異常の後,一時的には身体の調子は取り戻していたと判断するべきでしょう。しかしおよそ一月後の8月23日に,一気に限界まで達してしまったというのがこの間の状況であったと思います。
 僕たちにとって幸いであったのは,この日が水曜日であったということです。水曜の夕食はKさんと一緒に摂ることになっていました。僕は予定を変更して午後5時5分に帰ったといいましたが,そのときには妹は帰っていましたがKさんは来ていませんでした。しかし様子を見ていて僕からは母が痙攣を起こしているように感じられる状態になったときには,すでに到着していました。したがって救急車に僕が同乗し病院まで同行することになっても,妹はKさんに任せることができる状態だったのです。ほどなくして救急車が到着しました。
コメント
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