スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

五稜郭杯争奪戦&主治医の変更

2018-06-06 19:40:40 | 競輪
 昨晩の函館記念の決勝。並びは新山‐菅田‐斉藤の北日本,郡司‐和田の南関東,竹内‐南‐柏野の西日本で園田は単騎。
 郡司と和田がスタートを取りにいき,前受けは郡司。3番手に園田,4番手に新山,7番手に竹内で周回。残り3周のバックを出るあたりから新山が後ろの竹内を警戒。残り2周のホームの入口では竹内の上昇に合わせて新山も発進。郡司を叩いたのは新山ですがその外から竹内が前に出ました。このとき南が離れてしまったので竹内の後ろに新山。しかし新山は打鐘前のバックで発進して竹内を叩きにいきました。今度は追い上げてきた南と被った菅田が新山を追えず,新山‐竹内‐南‐柏野‐菅田‐斉藤‐郡司‐和田‐園田という一列棒状に。郡司が捲っていくとバックで菅田も自力で発進。郡司が浮いてしまいましたが和田がうまく菅田の後ろにスイッチ。直線で菅田を差した和田が優勝。和田マークの競走に終始することになった園田が4分の3車身差で2着。菅田が1車輪差で3着。
 優勝した千葉の和田健太郎選手は記念競輪初優勝。このレースは落ち着いて走れば新山が先行することはできそうなので,菅田が有利だろうとみていました。竹内の抵抗も予測の範囲内であったように思うのですが,新山が早めに竹内の番手から発進するレースになったためにもつれてしまいました。展開的には脚力がある郡司にとって願ってもないものになったのですが,菅田に合わされてしまってアウト。斉藤が続ければ北日本勢の争いになったかと思われますが,和田が菅田にスイッチできたのは,その時点で郡司の方が勢いがあったからだと思います。展開とタイミングが和田にとって最も有利に働いたレースになりました。

 7月1日,土曜日。妹の土曜出勤の日でした。この日は午前中は物品の販売を行い,午後はビデオ鑑賞でした。
 7月8日,土曜日。妹のピアノのレッスンが予定されていたのですが,ピアノの先生から連絡があり,お子さんが発熱したために来訪できないということでした。ということでこの日のレッスンは中止になっています。
 7月9日,日曜日。母と妹が美容院に行きました。いつものように午後1時からでした。
 7月15日,土曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日もカラオケでした。
 7月16日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半からでした。これは先週の代替ではなく,当初から予定されていたものです。
 7月19日,水曜日。午前中に母と墓参りに行きました。お盆の墓参りです。
 7月27日,木曜日。妹の養護学校の保護者による昼食会があり,母が出掛けました。
 7月30日,日曜日。この日は横浜市長選挙がありました。僕は夕方に投票に行きました。また,この日に8日に中止となっていた妹のピアノのレッスンが組まれました。この日は当日の連絡で午後4時半の開始になっています。
 7月31日,内分泌科の通院の日でした。
 病院に到着したのは午後11時50分頃でした。中央検査室では4人の患者が採血を待っている状況でした。だいぶ時間に余裕がありましたので,先に採尿を済ませ,注射針の処理も済ませてから,採血しました。そして院内の食堂で昼食を摂り,午後1時の診察を迎えました。
 主治医はこの日から変更になっています。医師の個人情報に関連する話は僕は医師とはしませんので,あくまでも見た目だけのことですが,この医師は歴代の主治医の中では最も若いのではないかと思います。20代後半といって通用するような男の医師でした。厳密にいうと,入院したときに主治医だった女の医師はたぶんこの先生よりさらに若かったと思うのですが,退院して通院するようになってからは,入院中に回診に来ることもあったG先生の方が主治医になっています。ですから今度の先生が最も若いというのは,通院のときの主治医としてです。
コメント
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